放松・野に咲く花のように

放松・・

「放」は、緊張や束縛を解いて、上下左右に自由に伸びる意味を表します。

「松」の元々の字は、鬆で、簡易化され、木偏の右側の「公」は、おおっぴらに開いている様で、鬆は、髪の毛のように動きがありさわさわと、葉が細く向こうが透ける様を形容したものです。

放松の結果に、リラックスや拙力の脱力、意識的でない自然さが生まれますが、放松は放松です。リラックスや脱力ではありません。意識すると、本末転倒ということになります。

放松の基本原理は「三才」です。天地人の宇宙の実相を表す言葉です。太極拳は全て三才勢で動きます。三才勢の基本修練は、内丹の「大周天」でも行いますが、武当派の楊式太極拳の大架式の套路には大周天が含まれています。それを当門では習います。

「地」は重力を発しています。地に引き込もうとする勢いです。これだけに、身を委ねると、体は地にへばりつき、立つこともできません。これが脱力です。こうなると、様々な弊害が出ます。気血は沈着し、上半身の気血は不足し、うつ病や上半身の虚血性疾患、抹消血管や神経の脆弱化、それにより脳出血や虚血性心疾患など様々な障害が出ると、内丹に伝わる導引法では戒めています。

最近の太極拳は、脱力するだけが多いので、主にこの重力に囚われてしまいます。ずしんと沈むような、「重」の感覚は、即ち双重の病となります。地に根が張るようなという、足裏の感覚はまさにこれです。今の中国の武当山の一部でもそう教えているから驚きです。まったく、これは弊害になります。

しかし、しっかり重力を感じて動くと、その「地」からの勢いに対して自然にその場にたたずむ勢いが、「天」から後頂を糸でつられるような感覚でおこっていることもわかります。これが天と地の陰陽和合、即ち「太極」の状態です。

逆に、天からつられるような勢いだけを感じて動くと、これも「浮」となり、フワフワとして地に足が付いていない状態となります。また、気血は上に滞り、下半身の気血が不足し、同じく上半身の末梢血管や神経の圧力が高まりすぎ、脳出血の引き金や、心筋に内圧が増し血圧が高まり、肺胞や心臓の疾患などが増え、下半身の虚血性の疾患が増え、神経症やヒステリー、パラノイア、統合失調症などの精神疾患が増えると太極拳の内丹ではされています。

こうなると、双方が浮き上がりますが、人間は片方でも立っていないといけないので、偏重の病となります。

この中間にあり、天と地をも巡る(大周天)ことが大切です。即ち、天と地の勢いの間に自然にたたずむ事が大切なのです。

その天と地の間にたたずむのが「人」です。これが天地人、太極拳の三才勢です。

人間の体だけで考えると、天の勢いは上半身、地の勢いは下半身に、人の勢いは丹田に備え動きます。これが三体勢です。これは内丹において小周天にて修練します。(大周天、小周天は、書籍「簡化24式太極拳で骨の髄まで練り上げる技法」をご覧下さい。)

放松とは、野(地)に咲く花のように、自然に天に向かって伸びる、地と天の間にただ立って、活き活きとした生命力溢れる姿です。

これが「放」(天地へ発散と収斂をして)「松」(人として鬆らかくたたずむ)です。

太極拳、十三勢とはこのようなもの

buto5 哲学者、数学者、科学者など幅広い分野で活躍した学者・思想家として知られているライプニッツは、「昨日を背負い、明日を孕んでいる今日」と時空の観念を表現している。
太極拳は、四正手と四隅手で空間と時間を創造し、中定という自己の存在を主体として、四方を客体として和合した五行で生きる自分の存在を、無尽の縁起的関係を受け入れながら、ミクロからマクロまでの無限の空間と、無始無終の永遠の時間の中心に、その刹那に自分を置いている、壮大な一瞬の輝きである。そして常に有るものでは無く、移り変わっていくもの。
従って、太極拳はただ「楽しい」「気持ちがいい」、その感覚が結果として、その一瞬に表れる。
その結果が現れてこそ太極拳であり修慧、論じたことは単なる思慧である。しかし、結果が現れたところにこそ、その理があることを知る。それが全てである。修慧は思慧も聞慧も含む三慧である。因縁、縁起の和合である。
太極拳の形を師から真似る。聞慧即ち「守」。太極拳の理を教わり、それで動くことができるようになる。思慧すなわち「破」。最後には、あたりまえに一人で、ただ気持ちが良く、楽しく動くことができる。そこには結果としての「理」があり、結果としての「形」がある。
「形」を知って論じる事なかれ、「理」を知って論じる事なかれ、太極拳が楽しくなれば、そこに理と形があるに過ぎない。そうなれば、その理を話すことができる。形を表すことができる。その形は、見えているだけであり、次の瞬間には消え失せる。それだけである。しかし、全てのものを含んでいる。般若心経に言う。色即是空。空即是色。
時空と五行。十三勢とはこのようなものである。

太極拳のアファメーション「affirmation」

7023 目覚めた直後のポジティブ・アファメーション「affirmation(肯定)」は、一日を全く違うものにしてくれます。
武当派の太極拳において、楊式の套路を早朝に行うのは、套路を行う事によって、自分自身を自然との一体として肯定することから始まります。無為自然の自分自身を肯定することで、一日はそのポジティブな自分によって流れていきます。

この毎日のポジティブ・アファメーション「affirmation(肯定)」は、その積み重ねにより、科学でも証明されている神経を含む可塑性がある人体の生理を大きく変貌させていきます。人間の心身は可塑性を持ち、その変貌を内丹術では理論化しています。

導引法はその可塑性を踏まえて、ポジティブ・アファメーション「affirmation(肯定)」の効果を最大限に高めるものです。

このように、真の太極拳は人間にとって自然との一体である自分に蘇らせるための、最高のポジティブ・アファメーション「affirmation(肯定)」なのです。

その効果により、精神は一切の変化(易)に左右されることの無い、無為自然の状態を堅強に維持することになります。

このような効果を得るための、ポジティブ・アファメーション「affirmation(肯定)」は、タオのエッセンスである「愛」が根幹にあります。その「愛」は無極であり、あらゆるものを受け入れることができ、またそれらと一体である自分の自己肯定は、強烈なる歓喜となるのです。

このような太極拳の套路を行うためには、太極思想にある真意を理解する事も必要です。太極拳には本来それらを体現する動きが含まれており、それを読み解くために太極思想やタオがあります。読み解いた真意は太極拳の套路の勢と一致したとき、真の太極拳すなわち導引法となるのです。

その導引法を学ぶには、それら全てが自分の内にあることを知ることができ、またそれを肯定することができるメソッドが必要です。そのメソッドには、套路の型を1つ覚えるにしても、綿密なる蓋然性が必要です。

その蓋然性は、経験と実証、そして、それを表現する理論によって形作られています。

本来このようなことが備わってこそ、武道(武それは道という意味です。武の道ではありません。)であり、太極拳もこれで人生の素晴らしい一部となるものです。

そうでなければ、太極拳という張りぼての代物に頼ることによる害は免れません。

私たちは、そのような太極拳の重く沈む本質を、軽く浮いている流行によって覆い被されて見えなくならないように、日々、真の太極拳を発信していきます。

知られざる手揮琵琶

syukibiwarozen 楊家の三世、楊澄甫氏が演じるこの型は、太極拳の中では最もシンプルな型に見える「手揮琵琶」です。以前に実戦空手の髙段者にこの型を披露したことがあります。その彼は前足の虚歩の場合の構えは、空手の場合は猫足だといい、太極拳の構えとは違うというのですが、とんでもない、太極拳でも虚歩の構えの場合は猫足ですよと説明したことがあります。また、手揮琵琶には弓歩の構えもあり、古式楊式太極拳の実際の套路の過渡式に含まれています。
  実際に手揮琵琶を使って、彼と技で攻防を行ってみると、彼はその効果をとても納得したばかりか、その日から入門して太極拳に深くのめり込んでいきました。
 しかし、近代において太極拳が套路として伝承されてきている中で、太極拳を行っている人たちの中で、手揮琵琶の虚歩の構えが猫足であることや、弓歩の構えがあることをを知っている人に会ったことがありません。私のところの道場では、招式、散手練習における手揮琵琶の虚歩の構えは猫足で、実戦練習では弓歩も多用します。しかし、套路においては一般の套路と同じく踵を地につけた虚歩で行います。この意味がわかると、この手揮琵琶を使った技を強烈な攻防一体の技術として使えるのです。套路においては、その攻防一体の勢いを涵養しているに過ぎません。套路は構えの連続した型ではないのです 。実際の戦闘術における勢を徹底的に練り上げる練習法なのです。従って、この意味さえ知らなければ、套路の本質さえないということになります。なぜ、前足の爪先が上がっているか?楊無敵と言われた楊式太極拳の創始者である、楊露禅の行っていた太極拳の本質に立ち戻ればいいのです。そして、その本質は実際の相対の招式を行って理解できるものです。当道場では、基本を身につけた後は、応用または武道でそれらを涵養していきます。

太極拳の経験を通じて変化する脳

buto 太極拳は、その経験を通じて根本的な生き方が変化します。この変化は、導引法という古代からのタオの修行によって伝承されています。導引法は、人間の心を、人間以前の自然としての生命心のある境地へ連れ戻すことにあります。それは、脳自体の能力を万物の能力に回復させることであり、その生命心の状態を「神=しん」と呼びます。そのような機能と構造をもつ脳は生理である「精=せい」の一部です。その生命心である「神」が万物に存在するエネルギーを使用して「精」を動かします。その時に生まれるエネルギーの動作を「気」と呼びます。「神」が「気」によって「精」を生かせるのです。人間においても、自然においてもそれは同じです。天は天の生命心によって気が動作し自然に宿る精が生きるのです。花の精、石の精、全ては同じ原理です。精は神によって起こされた気の影響を受けて変化していきます。その変化は「易」です。このように、人間は様々な経験をしますが、太極拳の導引は自然の生命心による経験です。その自然の気により精が変化します。すなわち脳や体、血液、リンパなどがその「神」に対応するように変化するのです。体中に巡る神経系も同じように、常に機能的、構造的な変化を起こしていくのです。太極拳はこのような、経験的実証によりそれを古くから発見し、導引術で「神」を、行気で「気」を、房中術で「精」を無為自然に回復します。

最近の科学では、神経の可塑性などが科学によって明らかになりましたが、導引法による太極拳の修行法の根拠の一部が科学的に証明されたに過ぎません。

神経の可塑性
神経系は外界の刺激などによって常に機能的、構造的な変化を起こしており、この性質を一般に“可塑性”と呼んでいる。神経の可塑性は大きく3つに分けられる。1つ目は脳が発生していく時や発達していく段階にみられる可塑性。2つ目は老化や障害を受けた時などに神経の機能単位が消失するが、それが補填・回復されていく場合。3つ目は記憶や学習などの高次の神経機能が営まれるための基盤となっているシナプスの可塑性(synaptic plasticity)である。特に神経科学にとっては3つ目が重要で、その機構についても徐々に明らかにされている。記憶には、短期記憶と長期記憶があるが、短期記憶は主にシナプスでの伝達効率の変化により、長期記憶はシナプス結合の数や形態の変化により達せられると考えられる。

(今西二郎 京都府立医科大学大学院教授 / 2007年)

引用元: 神経の可塑性(しんけいのかそせい)とは – コトバンク.

身体活動・運動|厚生労働省

IMG_3496厚生労働省では、総死亡、虚血性心疾患、高血圧、糖尿病、肥満、骨粗鬆症、結腸がんなどの罹患率や死亡率を減少させる効果として、一日一万歩程度の歩行を推奨しています。

一日一万歩というと、1000歩を10分として100分、すなわち一時間40分ほど歩くと言うことになります。

アスファルトの歩道をもし、それほど歩くと、膝や腰に強い不自然な圧力がかかり続け、健康効果よりも膝や腰、首などの損傷、同時に体内に強い緊張が生まれる結果、体に不利益な生理反応が起こるなど、マイナス効果が多いことも知られています。

運動強度の単位で、安静時を1とした時と比較して何倍のエネルギーを消費するかで活動の強度を示したものがMetsという数値です。単なる歩行は3Mets程度で、1時間40分も歩かないといけないのですが、軟らかい不安定な山道などを、体の自然な反応を使用した均衡反射によるバランスをとりながら歩くことで、4Mets程度の運動量が得られるので1時間程度の歩行で済みます。それどころか、足の裏の接地面は軟らかい土で圧力が吸収され、その上、柔らかな不安定は体のコアを鍛え上げていきます。一生涯使えるインナーマッスルが健康に維持されます。

しかしながら、街に住んでいるとなかなか1時間も山道を歩くことなどできません。

しかし、太極拳はそれ以上の効果を出すことができる運動なのです。軽い太極拳で4Mets程度とされています。

ただ、公民館の板張りの間で行ったり、公園で型にはめられた安全域(膝を爪先より前に出さないなど)で動いているのなら、ラジオ体操の方が安全で効果もあります。

太極拳は、一時間程度を途切れることが無く行える套路を、朝の公園で朝日に当たりながら行うのであれば、とてもいい運動になります。朝日に当たると17時間後には睡眠のホルモンがこんこんと出て、自然と眠りにもつけます。

武当山の太極拳は115式ほどを1時間ほどかけて行います。現在は85式が一般的ですので、ほぼ同じように武当山で行われていた古式の基本動作を取り入れて行えます。現在普及している太極拳の動きは、国民の健康体操として制定されたもので、効果よりも安全に主体が置かれていますので、体操程度の効果しかありません。武道としての動きは運動としての効果を最大限に引き出しますが、同時に武道の基本を会得していないで行うと、身体に支障が出るのがあたりまえです。それをそのまま、現在の太極拳体操に取り入れたのであれば、ここまで太極拳は手軽な体操として普及はしなかったでしょう。

しかし、それは実は本末転倒なのです。基本の動きはとても簡単で、まずそれを会得してから古式の太極拳を行えばいいのです。

歩き方も、実は大切な基本があるぐらいですから、むやみに歩くよりも、歩き方の基本をマスターしてから歩かないといけません。太極拳も同じです。最初から、安全域で行う太極拳の基本をマスターしても、山を歩くのと同じように複雑な均衡反射を使用する太極拳には通用しません。ですから、近代の普及太極拳は安全域の体操として制定されたのです。

太極拳が体にいいなどは、諸刃の剣と思ってください。多くの武道家に怪我や故障、心身の病が多いことは、社会を見ていれば明らかです。かといって、歩道を一時間歩いたり、室内や、均衡反射の必要ない太極拳をしていても、ついその域を超えて心身を壊すことになるだけです。

一日に85式の古式太極拳を、40分から1時間程度行われることをみなさんに強くお勧めします。

身体活動量が多い者や、運動をよく行っている者は、総死亡、虚血性心疾患、高血圧、糖尿病、肥満、骨粗鬆症、結腸がんなどの罹患率や死亡率が低いこと、また、身体活動や運動が、メンタルヘルスや生活の質の改善に効果をもたらすことが認められている。更に高齢者においても歩行など日常生活における身体活動が、寝たきりや死亡を減少させる効果のあることが示されている1,2,4,5)。

(抜粋)身体活動量と死亡率などとの関連をみた疫学的研究の結果6)からは、「1日1万歩」の歩数を確保することが理想と考えられる(注)。
(注)1日1万歩の根拠
海外の文献から週当たり2000kcal(1日当たり約300kcal)以上のエネルギー消費に相当する身体活動が推奨されている6)。歩行時のエネルギー消費量を求めるためのアメリカスポーツ医学協会が提示する式を用いて、体重60kgの者が、時速4km(分速70m)、歩幅70cm、で10分歩く(700m、1000歩)場合を計算すると、消費エネルギーは30kcalとなる。つまり1日当たり300kcalのエネルギー消費は、1万歩に相当する。
歩行時のエネルギー消費量を求めるためのアメリカスポーツ医学協会が提示する式11)
水平歩行時の推定酸素摂取量(ml/kg/分)=安静時酸素摂取量(3.5ml/kg/分)+0.1×分速(m/分)
この式によれば、体重60kgの者が、分速70mで10分間歩くと、6300mlの酸素を摂取することとなる。これに「酸素1リットル当たりのエネルギー消費量=5kcal」の関係を当てはめると、約30kcalのエネルギー消費量に相当することが求められる。

引用元: 身体活動・運動|厚生労働省.

護身

IMG_0085 ひ弱な女性や、年配者にとって、強力な筋肉と打撃力をつけて身を守ることなどナンセンスです。

 私の弟子の30代の女性たちを筆頭に、ほとんどが小柄でひ弱ですが、初心者でも強烈な護身能力を持っています。
 本来の太極拳は、寝たきりのおばあさんがとても重いタンスを火事場から持ち出したような、火事場のクソ力を、平常心で引き出す訓練をします。
意識的に鍛えた力は、潜在能力(無意識下の能力)の約10%程度しか発揮できません。
 母親が走る車を突き飛ばして子供を助けたというような話は、もう今や当たり前にあります。
 太極拳は、人間として生まれたときから、人間としての、また生物としての(生物の動きを人間の体のうちに見つける勢い)、物質としての(人間が宇宙から始まり物質としての性質もあること)の基本的勢い、人間の体の制約による反射や物理的運動の基本力学を勢いとして訓練します。
生まれながらの勢いは、日常絶え間なく無意識に働いています。しかし、約10%程度しか使用していません。
 しかし、子供の時にだだをこねる勢い、誰かに捕まりそうになると突っぱねる勢い、咄嗟に身を避ける勢い、転びそうになると元に戻そうとする勢い、数を上げるときりがありませんが、日常的に無意識でただ生きているだけで、いざというときに能力を上げて働いています。
そこで、その潜在能力を利用しようと、中国の武当山で開発された拳法が内家拳法であり、後の武当派太極拳です。
それにより、ひ弱な女性でも、頑丈に意識的に鍛えた筋肉やその強さにも簡単に勝ることができます。
 ニュートン力学のエネルギーは質量×速度の2乗であるのであるのですから、ひ弱な女性は筋肉の力やその質量を何かで補う必要があります。
 まず、徹底的に体重を無から100まで移動させる訓練を行います。これが太極拳の分虚実です。
そしてその体重がある一点(三尖)という発勁点まで100%伝わる(三節)訓練を行います。
そして、刺激を受けたらすぐに反応する無意識下の感受を使って超速に反応する訓練をします。(無為)
そして、最も小さい発動である、仙骨前の丹田という力点を使用して、骨が背骨しか無い腰を振動させて超速の動力を生み出します。(鬆腰)
これらは真の太極拳を学ばないと会得できません。まだまだ、それらを補うどころか凌駕する理合により太極拳は成り立っています。
そうするとどうでしょうか、50kgに満たない女性がある一点に100%の重量を集め、すなわち全体重をその発勁点に移動し、その速度を極めていけば、ニュートン力学のエネルギーの通り恐ろしい力を発するのです。これが発勁です。そして、その上徹底的に、急所を打つ技術を極めます。
そして円転する動力の再利用は、均衡反射の動力を鍛え上げ、太極拳独特のエネルギーの連鎖を生みだすから、絶えること無くその動力を使用できるのです。
護身術はひ弱な女性でも使えないと全く意味がありません。意識的に筋肉や拳を鍛えても、潜在に眠る能力を利用できなければ、いざというときには、強大な力を持ったプロレスラーも、ひ弱な女性に簡単に負けます。
関西で1万人以上の暴走族の長に立ち、恐ろしくケンカが強い小さな体の若者がいました。高速道路で、その人の車に乗せてもらうと、キャロルの音楽を聴きながら、まるで踊るように車と車の間をすり抜けるように走り抜けます。とても楽しそうです。その当時は、テープレコーダーだったので、何度も聞いていたのだろうと思いますが、テープが伸びていると、運転が乱れ、「おっとごめん」と言われ、ひやっとしたのを今も覚えています。彼の戦闘もまるで踊っているようで、相手が十人いて、鉄パイプを持った大男でも、彼には赤子の手を捻るようなものでした。
太極拳は、生まれながらにしての無意識下にある能力を最大限に引き出す訓練を行うのですが、それを邪魔をするのは、固定概念や条件的意識です。
だから武道は無を求めるのです。無を得れば、無意識下の能力を余すこと無く使えるようになります。火事場のクソ力を当たり前に、いざというときに使える訓練をするのです。子供の時に体にみなぎっていた勢いを思い出し、最大限に増幅し、それを使えるようにするのです。少しでも頭に意識が上れば、その意識により自分のクセや、今までの多くの運動条件が作用し、動きは沈滞し、その上、相手の体や人生を気遣い、社会的制裁が頭をよぎり、前後のことを意識し、ブレーキがかかるから、潜在能力は使い切れません。従って、太極拳は徒手戦闘術で有り、完全なる護身術で有り、格闘技では無いのです。
格闘は、格闘のための技術ですから、意識的に鍛えた技術のぶつかり合いを勝負するだけであり、定められた条件で格闘をして、その優劣などを決めて楽しむものです。
太極拳は宮本武蔵が生き抜いた剣術と同じで、本当に相手と殺し合いをするから使えるのです。柳生新陰流も、相手を殺す戦争の術として幕府に認められたに過ぎません。そうでなければ剣道になるのです。叩いて一本です。刀で相手が斬れる、それも急所を斬るから、柳生新陰流という剣術があるのです。従って、突き刺すなどの危ない技術も本当に危険なときに、徒手で使えるのも柳生新陰流なのです。柳生新陰流の勢で急所を徒手で突かれると、太極拳の点穴と同じような効果がありますが、点穴の代わりに剣先があるので、徒手を刀のように鍛える三節も必要でしょう。しかし、柳生新陰流には突きの技術に「尖」という技術があるので、徒手でもそれが使えれば点穴を使えます。転という円転から打ち出す突きは太極拳の三節三尖技術と同じです。
太極拳も同じで、いざ自分が襲われ、自分の大切なものを命がけで守るときに、相手の命を奪うことを止むなしとして使用するだけの破壊力を出すようにできあがっています。
太極拳でも散手対打をしますが、解法という特殊な技術を身につけながら、その発勁をまともに受けないように練習します。もちろん打つ方は、意識を使って制御しますから発勁も出ませんが、無意識に発勁が出ると危険です。その練習の中で、意識しないで考えないでいると、発勁点まで勁が到達することを覚えます。その発勁の感覚を覚えれば、その感覚を毎日の套路で繰りかえし、その勢いと発勁を練り上げます。そして、昼間は単錬の快拳でその実際を練り上げます。無意識下にある潜在能力を絶えず鍛え上げておくと、いざというときに現れる無意識はいつもの無意識なので、意識はそれに対して驚きもしません。すなわちパニックになりません。絶えず、危険な場面を練習で創作し、その時に現れる無意識を知り、その無意識を利用できるように訓練しておけば、パニックの時に現れる無意識は、いつもよく知る無意識であり、またその無意識を利用する術を知っているので武器になり、その上安心であり、すなわち平常心です。
意識だけを極めて格闘する癖を付けていると、いざというときに現れる無意識に翻弄されます。意識だけを極めて訓練した格闘術は、意識を持ってしか使えません。無意識に動く、すなわち生まれながらの勢の勢いに気を与え、精(心身)に100%行き渡らせ、火事場のくそ力を当たり前に使える訓練をするのです。25、6年前、深夜に二人の男性に襲われ、路地に拉致されそうになった私の30代の弟子は、小柄できゃしゃでか弱い女性です。その女性が、相手の一人の男性を頸髄損傷させてしまいました。その男性は下半身麻痺になり一生身障者になってしまいました。もう一人も鼻骨骨折の重傷です。その時のことを聞いてみると、思い出してみると数秒のことだったらしく、彼女は後から捕まれている男性の顔に、自分の頭の後頭部を無意識で打ち付け(教えていた、太極拳の海底針の発勁です)前から首を絞めようと向かってくる男性の腕に自分の左手を捻転させ、同時に喉に白蛇吐信(基本の発勁です)を虎口を開き打ち出したようだといいます。後に警察での検証で双方の話を聞いて、その通りのことが起こったことが確認できたそうです。相手が抱きつこうとする勢いと、後ろの男性の顔面を後頭部で打った反動で前に進む白蛇吐信は強烈で、後ろの男性はうずくまり、前の男性は数メートル飛び、その隙に逃げたそうです。男性の一人が彼女の働いている飲食店のことを知っていたらしく、後に警察から呼び出され事情を聞かれ、太極拳を習っていることを言ったそうですが、一笑に付されたそうです。その後正当防衛が認められましたが、彼女は太極拳をやめ、私の前からもいなくなりました。重く、彼女の人生にのしかかった負担は言葉で言い表すことができません。男性は暴力団の構成員で大学ではラグビーをしていた二十歳過ぎの若者でした。ラグビーで首を鍛えていなければと考えると恐ろしいばかりです。このような不幸が無いように祈るばかりです。
そこで、太極拳では危険を察知する感受性を高める訓練を行います。初歩では、気功などにある八触です。そしてタオの思想により、全てのことをありのままに当たり前に感受するという思想と、内丹によりその能力を高めていきます。それはセルフエスティームで有り、バウンダリーです。
当時は、彼女にこの二つの訓練をすること無く、ただ太極拳の技術を教えていたことが悔やまれます。
10年前から横浜で再開した太極拳の道場において、最近は、積極的に無意識の感受性を高め、すなわち自尊能力を最大限に高め、しきい値感知を極めるための思想訓練や、内丹術も行っています。これからは、危機に遭遇しない、危機を察知したらすぐに危険を回避する技能をも教えていきたいと思います。武当派の太極拳には、これらの技術も備わっており、相手を怒らせたり、翻弄させたり、意識をそらしたり、煙に巻いたり、嘘泣きや、嘘怒り、嘘病などの演技能力も太極幻術として鍛えていたそうです。それらの技術は、私がたまたま私の祖父達の生き様を見ていたために、悪い意味で身についていたのですが、王師と母のおかげで、それが円転して人を生かす幻術となりました。私は、これらの能力でどれだけ命拾いをしてきたか、本当に王師から教わった太極拳には感謝してもしきれません。

楊式太極拳と柳生新陰流の「勢法」

7023 武当派の楊式太極拳は勢いを重んじます。十三勢という基本勢があるため、十三勢とも呼ばれます。その勢が形に表れるのを「型」といい、型の連続が套路です。

 武当派では型のできあがりの経過を「勢法(せいほう)」と呼び、形という心身に現れる精(せい=心身)の結果は、勢いの表れであることを重視します。
 従って太極拳は、心意によって起こる気勢によって運ばれ、結果として形がある事で、気勢を陰、又は暗、形を陽、又は明として、双方一体として太極として考えるのです。
 一部の空手の流派や、形意拳の一部の流派などでは、形として現れる結果を重んじるため、見た目においては豪快で破壊力も鮮やかに見えます。明勁として表面に現れる力を重視します。下手をすると、その表面的な力に依存する傾向も生まれます。
 又、逆に、気勢のみを重んじるばかりに、その元にある「気」という目に見えない力に依存をする場合もあります。八卦掌の一部の流派などや、オカルト的な拳法、気功などスピリチュアルな傾向に走る懸念のある拳法もあります。
 日本における柳生新陰流も、剣術の型の事を「勢法」といいます。転(まろばし)という勢いは、太極拳の円転の勢と全く同じです。
 柳生新陰流は、日本にある他の剣術とは違い、まろやかであり、流れるような勢いを重視しているため、表面に現れる力強さでは、現代剣道や他の剣術には見劣りがします。
 いつごろからか、柳生新陰流の一部では「勢法」を「かた」と読み、それに「形」という字を当て、形に表れる結果を重視している流れもあるようです。
 どこの世界でも、陰陽合一の妙技を会得できない者達は、その片方の極を選び、それに依存して極めていくことで、安易な道を歩む場合が多いようです。
 太極拳には、暗明がそろって、剛柔が有り、虚実陰陽がそろっているのであるから太極拳なのです。太極拳には、快拳という暗明一体の練習法があります。そこには形意拳や八卦掌の形や気勢の全てが含まれており、お互いに暗明が融合しているので、形意拳のように表面的に明勁が形を描いたり、合気道や八卦掌のように、合気と暗勁だけで、勢いを描くこともありません。
 古式の楊式太極拳では、暗勁と明勁を一体として動く巧勁が、現在にも伝わっています。

太極拳に最適な3種類のミュージックを無料でダウンロードできる、プレゼントキャンペーンを、本日より平成26年5月31日までの間実施する。 – ライブドアニュース

太極拳に最適な3種類のミュージックを無料でダウンロードできる、プレゼントキャンペーンを、本日より平成26年5月31日までの間実施する。

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エムジーエフ株式会社の音楽レーベル・タイチレコード(Taichi Record)より、世界中で販売されている太極拳トリップミュージックを、単行本《簡化24式太極拳で骨の髄まで練り上げる技法》購入者に対して、無料でプレゼントするプレゼントキャンペーンを、本日より平成26年5月31日までの間実施する。キャンペーンサイト http://www.mgfpub.com/mupre/

引用元: 太極拳に最適な3種類のミュージックを無料でダウンロードできる、プレゼントキャンペーンを、本日より平成26年5月31日までの間実施する。 – ライブドアニュース.