知られざる手揮琵琶

syukibiwarozen 楊家の三世、楊澄甫氏が演じるこの型は、太極拳の中では最もシンプルな型に見える「手揮琵琶」です。以前に実戦空手の髙段者にこの型を披露したことがあります。その彼は前足の虚歩の場合の構えは、空手の場合は猫足だといい、太極拳の構えとは違うというのですが、とんでもない、太極拳でも虚歩の構えの場合は猫足ですよと説明したことがあります。また、手揮琵琶には弓歩の構えもあり、古式楊式太極拳の実際の套路の過渡式に含まれています。
  実際に手揮琵琶を使って、彼と技で攻防を行ってみると、彼はその効果をとても納得したばかりか、その日から入門して太極拳に深くのめり込んでいきました。
 しかし、近代において太極拳が套路として伝承されてきている中で、太極拳を行っている人たちの中で、手揮琵琶の虚歩の構えが猫足であることや、弓歩の構えがあることをを知っている人に会ったことがありません。私のところの道場では、招式、散手練習における手揮琵琶の虚歩の構えは猫足で、実戦練習では弓歩も多用します。しかし、套路においては一般の套路と同じく踵を地につけた虚歩で行います。この意味がわかると、この手揮琵琶を使った技を強烈な攻防一体の技術として使えるのです。套路においては、その攻防一体の勢いを涵養しているに過ぎません。套路は構えの連続した型ではないのです 。実際の戦闘術における勢を徹底的に練り上げる練習法なのです。従って、この意味さえ知らなければ、套路の本質さえないということになります。なぜ、前足の爪先が上がっているか?楊無敵と言われた楊式太極拳の創始者である、楊露禅の行っていた太極拳の本質に立ち戻ればいいのです。そして、その本質は実際の相対の招式を行って理解できるものです。当道場では、基本を身につけた後は、応用または武道でそれらを涵養していきます。

太極拳の龍の勢と龍脈

武当派の楊式太極拳では龍の勢(沾粘纏糸の勢)を多用します。

双龍採扌厥(そうりゅうさいけつ)・双龍大扌履(そうりゅうだいり)・双龍斜飛(そうりゅうしゃひ)双龍撇身(そうりゅうへいしん)大纏手(だいてんしゅ)や小纏手(しょうてんしゅ)昇龍纏腕(しょうりゅうてんわん)などの太極拳の擒拿術は、龍の勢を実感するのにとても役立ちます。

とても大切なことですが、龍の勢は龍脈を通ると言うことです。龍脈は聴勁により感じ取り、入り口からしか入ることができません。そして出口からでることにより、龍の勢による発勁は完成します。

途中で龍脈をそれたり、飛び出たりすると龍の勢は消滅します。
例えば、双龍斜飛は相手の右手首を我が左手の龍が上あごの左側でねじりかみます。相手の右肘の折れ曲がったところから、相手の胸元に龍脈が通って、相手の左側の気舎から頸脉をかすめて抜けていくのですが、入り口は相手の右脇腹の後方にあります。
そこから入っていって、龍の勢で龍脈に入っていかないと龍の勢は通りません。

龍は前に向かっていきすなわち、85式套路では倒攆猴から斜飛式の過渡式の抱掌から、完全に後ろへ向いてしまう斜飛式の方向まで、五行の勢を使用して曲がりくねった龍脈を通り抜けます。

双龍斜飛はこの套路における、典型的な龍脈を描く龍の勢ですが、よく、野馬分鬃と混同されるようですが、全く違うものです。

龍脈の複雑ですが、その龍脈を知ればとてもたやすく龍が通り抜けることができることを、相対練習で習得してください。

龍の勢は沾粘勁と纏糸勁という重要な太極拳の勢を兼ね備えた合勢です。全ての技で龍脈を見つけて通ることができれば、太極拳は神明の域に入ります。

そういうことで、この龍の勢をとてもわかりやすく実感できるこのような把式(擒拿・摔角・解法など)の練習は重要なのです。
把式は龍脈を知り、龍の勢を使いこなせた、すなわち巧みな型(技術とその動きの全体像)であるということです。広義では巧

みな型のことを把式と言います。

中国では、成功者の多く住むところには龍脈が通っているとかよく言います。とんとん拍子の成功者は龍脈を通ってきたとも言います。

確かに太極拳を修行して、龍脈を知れば、とんとん拍子に太極拳が聖域に入っていくのも理解ができます。

龍脈を知るには、まず十三勢を思い出して、龍の勢を思い出してからのことです。

龍になって龍脈を駆け巡る太極拳の醍醐味を知れば、きっと世の龍脈も見えてくるでしょう。

太極拳の発勁と三尖三節

「内の三合」 精気神 ・「外の三合」 手眼身 ———-以上を「内外六合」

精は手であり——–気は眼——–神(しん)は身である。

内の精気神の一致は、すなわち、手眼身の一致である。

太極拳の発勁の際の手眼身は三尖に通じ、相照する。「三尖相照」

神は身を震わせ三尖に向く

気が眼を光らせ三尖を見る

精は手(足)に三尖に爆発する。

三尖とは精気神の三が集中するところ「内の三尖」、手眼身が集中するところ「外の三尖」。

時空の内の「空間」の仕組みである。

「時間」の仕組みは三節(出発点・経過点・末端)(原因・因縁・結果)であり、三尖三節で、太極拳の発勁は完成し「懂勁」となる。

太極拳の散手練習

太極拳の練習方法でも、実際に実戦を想定して攻防を行う散手という練習方法があります。
ところが太極拳は自然に出る勢を使う武道のため、一般に行われているようなルールや、一線を超えてはならないという、意識下で使えるものでもありません。
実際に生命を脅かされるような場面に出くわすと、こうすればあのような技を出すなどに考えて、うまくいくことがないことは、実戦経験があるものにとっては当たり前のことです。

私たちの太極拳の練習は、いかに太極拳の長い歴史の中で、先人達が精選して抽出した、人間の根本にある強烈で純粋な勢を、当たり前に使えるかということを練習するものです。

そのために、多くの技を練習しますが、その練習はあくまでその勢をあたりまえに使っていると言うことを忘れてはなりません。

套路は、その勢を持って連続して動けるようにした、素晴らし練習方法です。

しかしながら、実戦で果たしてその勢を一人で套路をやっているときのように、スムーズに当たり前におおらかにリラックスして気持ちよく繰り出すことができるかというと、私たちがやっているような運用練習が必要なのです。

実際に実戦として使えるのは、火事場のくそ力のような、当たり前に考える前に反応する勢による技です。

それをひたすら練習します。それも多くの技を臨機応変に対応できるようにやるのです。

しかし全て勢の実践です。それしかありません。

相手の対応は千差万別です。その時その時に応じて当たり前に自然に技が出るのが太極拳です。

考えない。技を覚えようとしない。こんな時はどうするなどあり得ないのです。

こんな時は、そんなときに合わせて、勢が自然と出るような練習をする。

その練習として技を相対で運用する。この練習理論を理解しているといないでは、大きく太極拳の武道としての習得が変わってきます。

私が大阪で教えている頃は、弟子達が一般人ではありませんでしたから、少々、ダメージを与えても平気でしたから、加減を少なめにして練習をしていました。

しかし調子に乗ってくると太極拳は、図らず大変なダメージを与えてしまいます。そんなときに、活法ができないと大変なことになります。

できても、活法では追いつかないこともあり、病院に行くことも多くありました。今は、仕事を持っている人ばかりですので、教えるときは、あぶないですから、調子に乗らないようにしています。

太極拳を本気で散手などして練習できるはずもありません。いかに、リラックスしていれば、視野が広くて、気持ち良く勢が出るかと言うことを、多く経験しておくことで、いざという場面でその自信が役に立ちますから、わざわざ、殺し合いをすることもありません。又、いくら実戦だと言って仕合をしても、非情で人殺しでなければ、自分が殺されることもない相手を殺すなどできるはずがありません。

ですから、太極拳の散手練習は、お互いにスピードを合わせ、おおらかに、勢を暢やかに、技を掛け合うことが大切なのです。女性でも子供でも老年の方でも同じ勢を持っていますし、変わることがありません。ですから、その勢でおおらかに柔らかく練習しますから、十分安全に太極拳を練ることができるのです。強く撃つことも、強く受けることも、強く握ることも、投げることも必要有りません。

スピードを上げていっても、その勢が失われなければ、そのスピードを上げて練習して、套路で、その勢をじっくりと感覚で伸ばしていきながら、相乗効果で自らの太極拳の勢をより発露させていき、いずれは当たり前に、何の障害もなく技として勢が発勁されるようになるのです。

その自信は、必ず散手練習で身につきます。その自信は套路でより練られ、又散手練習で生かされます。これが太極拳の武道です。

副交感神経を優位にした状態での太極拳の発勁は、相手の動きもゆっくりと見え、又視野も広く、相手の動きに合わせて、下手な考えや深層の癖も執着や緊張もなく、当たり前に自然におおらかに、人間本来の強い生きる力として発せられます。これが、太極拳の神髄です。

套路の過渡式が太極拳の神髄

現在行われている太極拳の套路で、型の姿勢、ひどい場合には手の形や足の裏の形などを正しく行うように要求があるとされていますが、実はその套路の型自体は、他の武道と同じく、構えもしくは、残心という、技の始まり部分と終了部分だけなのです。

もちろん構えと残心は大切ですが、その途中にある過渡式が実は技なのです。套路で行う技は基本勢による技が主体ですが、構えて技を練って技を終えて残心、そして連続技で套路が構成されている運用なのです。

一般に普及している套路は過渡式らしきものがありますが、前の構え(残心)と残心(次の構え)をただ連続させるためのものになっています。これは歴史上このようになったのであり仕方がないことです。(詳しくは太極拳の歴史をご覧ください)

従って、太極拳の套路を行うなら、その技の練習を多くこなしておかないと、構えと残心の間にある勢の練習などを套路でできるわけがありません。

体操としては良いでしょうが、套路の型は構えであり残心であることを正しく理解して、構えと残心の間にある技を多く練習する以外に套路が武術練習になるはずがないということです。

又、健康効果にしても、構えと残心をいくら繰り返しても、本来の内丹や動功になることもありません。

太極拳は武術ですので、構えて攻防を行って残心します。当たり前です。

その攻防の勢が一切ない套路は、武道ではあり得ない、構えから残心に直接移動するだけですので、途中のなめらかな勁道や、勢の巡りがないため、型も残心も安全な範囲に留めておかないと、関節や筋などを壊す原因になります。

套路を安全に行うよりも、ラジオ体操の方が安全な体操だと思います。制定太極拳は安全域の中で作られているのでほぼ安心ですが、伝統太極拳は武道だなどと思って動いてしまうと、多くの場合障害があります。

伝統太極拳も復興されて再構成されたものです。制定拳と何ら変わりがありません。

太極拳の套路を行うなら、しっかりと武術の基本練習をして、基本勢を身につけ、そして武術の技として過渡式をしっかりと含む練習をして、それから套路を繰り返して練習する事が大切です。

以上のように、構えから残心までの一連の動きを一つの技として使える事ができる者が套路を教えないと、その套路は何の意味もないどころか心身に障害もでかねないものになります。

制定太極拳をまじめに安全域でやることも良いかもしれません。私はラジオ体操の方をすすめますが。太極拳の伝統拳はいくら体操化されたとはいえ、まだまだ武術要素は形だけ残っています。

その武術要素部分を套路でやろうとすると、太極拳を武術として経験していないもにとっては無理があり、必ずといって腰や股関節、膝、そして首、そして経絡、そして神経系統、血流関係(特に心臓)などに無理がかかります。

套路をしているときには呼吸法を正しく行うと副交感神経が優位になり、とても気持ちが良いのですが、表面的な呼吸による引率による副交感神経優位ですので、日常生活においては、その後に交感神経が反動的に活発になります。そうなると、心身の神経系にも障害が生まれます。

一日中呼吸法を正しくしていれば別ですが、根本的な心意がその域に達していないと、そう簡単にはできるものではありません。どのようなときも平常心、不動心であり、武息という意識的な激しい呼吸も、文息という穏やかな呼吸の時も、はしゃいでいるときも穏やかなときでも関係なくです。

套路は、構えと残心の間にある過渡式の中に太極があります。太極とは陰陽の和合、すなわち、神経でだけいうと交感神経と副交感神経の混沌とした和合です。

一般的に普及している套路の型は構えと残心ですが、そこには極があります。リラックスしてできている人は副交感神経が優位になり、意識を入れてとか、形や姿勢にこだわっている人は交感神経が優位になります。

どちらにしても有極です。

瞑想太極拳と私が名付けている套路は、その過渡式の合極が大事なのです。それは武術として技を多く練って無為自然にその技が使えるようにならないと、合極など得ることができません。合極を得て動いている套路は見ればわかります。

太極拳が無敵だと言われたのは、その技の合極の拳理が武術理論として完全であったからです。套路で行うならそこは眠るような無の状態です。瞑想のような中で武術の技があるのです。

ですから、太極拳と呼ばれたのです。武当山の道家が太極理論と同じ動きが当然人間の心身にもあり、その根本的なもので攻防を行うことができることを、当たり前のように理解し、そしてそれを太極拳法として修練したのです。

ですから、陰陽理論とそしてあらゆる人間の心身の動きが一致している中で、太極拳の套路も武術も修練しないといけません。

しかし、一般的な套路が構えと残心に偏っている限り、そして、その理解がない場合は、太極拳の套路で健康になったり、又武術の練習の一つになる域に到達するはずがないのです。

練習記録 高探馬帯穿掌

高探馬帯穿掌の穿掌の打ち方は手法でやります。主にに点穴で使いますが、この場合の穿掌の場合は龍の勢の一つ竜頭を使いますので、特別な打ち方が必要です。筒の中に槍が仕込んであって、筒を鞭のようにのように差し出すて、急に止めると中の槍が勢いよく飛び出します。これが高探馬帯穿掌です。

大事なのは、この高探馬帯穿掌の過渡式勢です。高探馬帯穿掌は高探馬からの過渡式に重要な勢があります。これを練習します。高探馬から左足が前に進みながら、急激に止まります。その勢は差し出した穿掌の先から飛び出ます。

高探馬帯穿掌は、穿掌ではなく冲拳など他の手法でも使えますが、高探馬帯穿掌での練習で何を練習しているかというと、この勢です。

点穴で鑚勁を用いるときに有効な勁であり、相手の経穴に深く早く鋭く入り込みます。この勁は一般に走られていない発勁ですが、射勁と呼ばれるものです。

練習記録 劈身捶

  1. 劈身捶

    撇身捶の勢を使って劈拳を打つ。用法として、相手の右手で右肩を押さえられて、背勢にされ、相手が左打虎を我が後頭部に放つ場合。撇身捶の勢にて腰腿で右にうねり、右腕の抱掌にて打虎を防御しながら、我が左腕は相手の右腕をしたからすくい上げ、右腕で上から下へ劈拳を放つ。

    招式 打虎劈身捶(その他)上冲劈身捶

  2. 摺叠劈身捶

    扇を閉じて広げるようにして打つ劈拳。

    用法としては、劈身捶のように背勢に拳を受けない場合、例えば我は右前で相手の右劈身捶を左胸に受ける場合、我が左腕は外、右腕は内で交差し(十字手)摺叠して左腕で相手の劈身捶を外に流し、右腕で上から下へ相手の右側顔面や頸動脈や胸に劈拳を放つ。勢は十字手の合から開である。

    招式 劈拳摺叠劈(その他)上冲摺叠劈/双按摺叠劈

「技」と「術」

技が本体(理由を帯びているもの) 術が作用(理由によって起こったその結果)を体系的にまとめたものです。 技があって技能(本体から作用を発するポテンシャル)があり、技法(本体が作用に至るまでの道筋)があります。 武術は武が本体であり技です。医術も医が本体であり技です。 太極拳の場合は技ひとつひとつに無限の術があります。

採腿

翅腿というのは足尖或いは足縁を用いて人を蹴るのですが、採腿は足心を用いて人の膝蓋骨(しつがいこつ)=臏(膝の皿)を踏み砕くとともに面部を打つという技法です。

採腿の技術を練習

その練習の方法は、もし右足を以って採腿を行うときには、右手を何か掴むようにして腰の所に引き付けると同時に、左手の掌を前方に打ち出して相手の面部を打ちます。(この場合の左手の動作を「閃」と言います。)この時の左腕は完全に伸ばさないで少し曲げておく方が良いでしょう。

同時に右足の足心で相手の膝蓋骨を踏むように採腿を行います。この動作を行う時には、軸足(この場合は左足)は少し曲げて腰を落とすようにします。つまり、右足で下方に踏み蹴るとともに、両手は前に分けて用いながら、左膝を曲げて重心をすべて左足にかけます。
姿勢は含胸拔背・気沈丹田・虚霊頂勁・鬆腰坐胯の原則を守ります。左足で採腿を行う時は上記の反対の動作を行う事になります。なお、引きつける手の掌は下を向いています。
この採腿を練習する時は、両足を交互に連続して練習します。久しく続けると、四肢の動きがひとつにまとまってくるとともに、足腰に坐勁が生じてきます。もしそうでなければ、いくら人を蹴ろうと思って足を出しても、身体が浮いていますので、人が倒れる前に自分が倒れてしまうという事になりかねません。ですから、よくよく練習しないでは、この採腿を使うことは出来ないのです。
要するに相手の腕など掴んで、採の技法によって引き落とすことにより、一方の足に敵の重心を移動させ、その膝を踏み砕くわけです。同時に面部を(引き手と)反対の手で打っていますので、上下一度に攻撃する事になります。これは非常に避けにくい攻撃です。上か下かのどちらかの攻撃があたる事になります。