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放松・野に咲く花のように

放松・・

「放」は、緊張や束縛を解いて、上下左右に自由に伸びる意味を表します。

「松」の元々の字は、鬆で、簡易化され、木偏の右側の「公」は、おおっぴらに開いている様で、鬆は、髪の毛のように動きがありさわさわと、葉が細く向こうが透ける様を形容したものです。

放松の結果に、リラックスや拙力の脱力、意識的でない自然さが生まれますが、放松は放松です。リラックスや脱力ではありません。意識すると、本末転倒ということになります。

放松の基本原理は「三才」です。天地人の宇宙の実相を表す言葉です。太極拳は全て三才勢で動きます。三才勢の基本修練は、内丹の「大周天」でも行いますが、武当派の楊式太極拳の大架式の套路には大周天が含まれています。それを当門では習います。

「地」は重力を発しています。地に引き込もうとする勢いです。これだけに、身を委ねると、体は地にへばりつき、立つこともできません。これが脱力です。こうなると、様々な弊害が出ます。気血は沈着し、上半身の気血は不足し、うつ病や上半身の虚血性疾患、抹消血管や神経の脆弱化、それにより脳出血や虚血性心疾患など様々な障害が出ると、内丹に伝わる導引法では戒めています。

最近の太極拳は、脱力するだけが多いので、主にこの重力に囚われてしまいます。ずしんと沈むような、「重」の感覚は、即ち双重の病となります。地に根が張るようなという、足裏の感覚はまさにこれです。今の中国の武当山の一部でもそう教えているから驚きです。まったく、これは弊害になります。

しかし、しっかり重力を感じて動くと、その「地」からの勢いに対して自然にその場にたたずむ勢いが、「天」から後頂を糸でつられるような感覚でおこっていることもわかります。これが天と地の陰陽和合、即ち「太極」の状態です。

逆に、天からつられるような勢いだけを感じて動くと、これも「浮」となり、フワフワとして地に足が付いていない状態となります。また、気血は上に滞り、下半身の気血が不足し、同じく上半身の末梢血管や神経の圧力が高まりすぎ、脳出血の引き金や、心筋に内圧が増し血圧が高まり、肺胞や心臓の疾患などが増え、下半身の虚血性の疾患が増え、神経症やヒステリー、パラノイア、統合失調症などの精神疾患が増えると太極拳の内丹ではされています。

こうなると、双方が浮き上がりますが、人間は片方でも立っていないといけないので、偏重の病となります。

この中間にあり、天と地をも巡る(大周天)ことが大切です。即ち、天と地の勢いの間に自然にたたずむ事が大切なのです。

その天と地の間にたたずむのが「人」です。これが天地人、太極拳の三才勢です。

人間の体だけで考えると、天の勢いは上半身、地の勢いは下半身に、人の勢いは丹田に備え動きます。これが三体勢です。これは内丹において小周天にて修練します。(大周天、小周天は、書籍「簡化24式太極拳で骨の髄まで練り上げる技法」をご覧下さい。)

放松とは、野(地)に咲く花のように、自然に天に向かって伸びる、地と天の間にただ立って、活き活きとした生命力溢れる姿です。

これが「放」(天地へ発散と収斂をして)「松」(人として鬆らかくたたずむ)です。

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5のコメントがあります : 放松・野に咲く花のように

  • ぽこたん

    その解答が少しだけ、今回の「野に咲く花のように」で得られたような感じです‥
    しかし、そのような気持ちのいい状態になるためには修練が必要ということのようですね‥?(ただもって、そのような状態ではないということ)

    • そうですね。修練ですが、自分の最も自然な状態を思い出すだけですから、幼少の時、無邪気に全てと一体になって遊んでいるときのような感覚を思い出せれば良いと思います。太極拳はそれを思い出すための単なるメソッドです。

  • ぽこたん

    早速の御回答ありがとうございます.

    そうなんですかァー!!!!!
    ほんじゃ、子供は太極拳の達人なんですね~(^^♪
    イヤー、困っちゃったなァ~

    …でも、大丈夫そうな気しますゥ‥‥ 

    なんの作為もない空間が漂ってきた感じ‥‥‥?

    •  いえいえ、そのような気持ちのいい状態とは、幼少の時、無邪気に全てと一体になって遊んでいるときのような感覚を思い出せれば良いということですよ。
       そして、その気持ちを思い出したければ、太極拳はそのような気持ちを思い出す為の単なる方法であると言っているのです。その気持ちいいという感覚を思い出したいだけであればです。

       まさかですが、太極拳を習っていない子供が太極拳の達人であるはずがありません。習っていれば別ですが。どこからそんなことが浮かんだのですか?その気持ちを思いだしただけで達人なのですか?大切なベースですがね。

       もちろん、その気持ちを失わず、太極拳を学べば、頓法という達人への近道です。又、その気持ちを忘れてしまった人は、太極拳をしながら思い出す漸法か、まず、子供のような気持ちを太極拳以外で思い出してから、太極拳を学ぶ頓法かと言うことです。

      子供が太極拳の達人など一言も言っていませんから、困ることはないですよ。

      また、子供が太極拳の達人だとしても、そうだとしても一体、何が困るのですか?

  • ぽこたん

    すみません、masawaka様の文章の行間がよめず、誤解を招くような表現をしてしまったようです。
    浅はかで低次元な自分を反省しております。
    (決して、バカにして冗談をふきかけたわけではありません。そういったことができるほど余裕のある人間じゃありません)
    masawaka様の今度のコメントで「そういうことだったんだ」とあらためて、逆に納得のいくものになりました。
    バカなので、ほんとにもしかして、子供は達人かも?と思ったのはウソじゃありません(笑ってください)
    「一体、何が困る」とかは、全く、思いもかけないもので、びっくりしてキツネにつままれたようでポカンとなりました。
    以前から、ここのHPは読ませていただいており、とても、ためになっています。今回、貴重な回答を頂き、本当に有り難うございました。
    ぽこたんはアホたんでしたm(__)m

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