楊式太極拳における擒拿術と解法の原理

2016/6/12武道クラス
20160612_2①懐中抱臂に対する解法、相手は我の右腕を両手で掴んで懐中抱臂を仕掛けてくる。それに対して、青龍飛彎にて解法。
相手の扌履勢による懐中抱臂の引勢に粘勢を保ちながら随勢で随い、引勢を走勢で走らせながら、その引勢を我の我の手を龍の頭と見立て龍が彎曲して左方に飛んでいくようにして、その胴である肘がその慣性につられ相手の顎の方に飛び出しながら、我の上腕である龍の尾がそれにつられて飛んでいく様で、相手の円圏の中に入っていく。これは化勁であり借勁である。相手の引勢を借りて龍を左方に勢いよく彎曲して飛ばすのである。その過程で我の肘が相手の顎の急所に当たるのも良い上、我の手である龍の頭は、相手が掴んだ両手に粘勢で絡み、沖和して連勢となり、包球勢(抱掌)の発勁にてするりと解いていく解法となる。抜いた右腕でそのまま上勢の発勁を相手の右頸動脈洞などに手刀で打ち込む。

②扌履勢摔に対する解法、相手は相手は我の右腕を両手で掴んで扌履勢摔を仕掛けてくる。それに対して、青龍滑翔(かっしょう)にて解法。
相手の扌履勢摔の扌履勢に沾勢を保ちながら随勢で随い、扌履勢を走勢で走らせた勢いを我の右眄勢(五行勢)に借勁し、相手の扌履勢を化勢によって青龍滑翔に変化させる。右眄勢によって生まれた勢は我の右手を龍に見立て、右眄勢に押されながら右後方に飛んでいく事で、我は扌履勢となる。扌履勢は粘勢により相手の両手と沖和し連勢となり、扌履勢の発勁により解法となる。その際に、我の右手には採勢が発せられれば、より強い解法となり、その抜いた手は転動勢により相手の右頸動脈洞に臂鎌拳挒などを発する。本来は解法をせずに、そのまま双龍旋風などの摔角を行い栽法で固める。(本日の練習では行っていないが、双龍旋風の解説:扌履勢の際の我の右手を相手の右手の上に粘勢で粘らせ、我の左手で舌から相手の右手の甲を龍口で噛み、そのまま雲手の旋風勁の発勁と左への側行歩により、相手を頭より地面にたたきつける。相手は、その勢に従い、自分おへそを見るようにして体を丸めて、背中から落ちるように勢を走勢で走らせることで、丸めた体が慣性を生み、その勢いで両足裏が先に地面に着くことで解法となる。我は、その解法の勢いをより走らせ、相手の体を背面にして裏返して固める。※詳細は双龍旋風の練習を参照)

③懐中抱臂は相手の右手を扌履勢によって引き寄せるが、相手が右肘を曲げて防御した場合、懐中抱肘に変化する。
懐中抱臂は相手の右腕を、我の右手で掴んで扌履勢を開始し、すぐに我に左腕で相手の右腕(我の右握りのすぐ下)を掴んで我の左脇で挟み込み*A、相手の右臂を我の右肩上にまで上げて、倒攆猴の天秤勁(十字勁の一種)にて、相手の臂を撅して、膝を崩す技法。この場合は相手の臂は伸びている。しかし、相手が肘を曲げて抵抗した場合、その肘を曲げて相手の体の方に向かう勢に随勢で従って、相手の勢を走勢で走らせながら、沾勢で我の左手を相手の右脇下に滑り込ませ*B、相手の右肘を我の左脇の前側にある窪みに填める。(丁度はまるようになっている)手揮琵琶の縮勁により両手で相手の腕を抱き込むのが*C、懐中抱肘。

④以上の①懐中抱臂の解法は、相手の勢が扌履勢に対して随勢であったが、その随勢が起こせず、すでに扌履勢で引き込まれてしまった場合(上記の③の*Aの部分)その扌履勢の引勢に随勢で随い、沾勢で貼り付きながら我の右腕を走勢で走らせ、連勢で沖和したところで、我の左手で相手の左上腕を単捶で押す。すると、相手の右手にあった実勢はその反射により、左上腕に反射し、右手が虚勢となる。その時に同時に右腕に粘勢を働かせ、退歩跨虎の勢で我の左手は前へ、右手は後ろへ、右足は後ろへ発勁すると、我の右手は魔法のように抜ける。分虚実の発勁である。ここでは行っていないが、抜いた右手で相手の側頭部急所に冲拳や右脇腹急所への進歩踢脚などを放つ。

⑤以上の③の懐中抱肘の解法は、③の*Bの時点で、相手の沾勢による前方への勢いに随勢で随って走勢で走らせながら、これも相手の左手先に至る実勢を、相手の左肩後ろを押すことで反射による虚勢にして、簡単に相手はいきすぎてその腕は解法され、ここでは行っていないが、抜けた手により相手の右後頭部または頸動脈洞などに手刀や拳で発勁する。
また、その解法が間に合わず既に、相手が③の*Cの時点で縮勁を始めていたら、今度はその縮勁に随い、相手の上腕を腹側から後方に押し、倒攆猴の流転勁にて右足を後ろに引きながら体を回すと相手の右肩が後方に流れ、簡単に手が抜けるので、そのまま、ここでおこなったような、抜けた手により相手の頸動脈洞に拗歩勢(摟膝拗歩)による手刀で発勁する。

⑥手首に対する擒拿術の高等技術
懐中抱肘において相手の手首(腕)を壊しても良いのなら、強烈な縮勁の発勁を行えば、痛みに強くてもその腕は簡単に壊れる。しかし、練習においてはそのような発勁を行う事はできないのであり、その場合、相手の手首の虚実を聴勁で測り、その虚の方向に縮勁を発する技術が必要である。この場合の勢いは粘勢であり、総合的には紬糸勁となる。楊式太極拳の独特の紬糸勁は、糸を紡ぐような回転の内に相手の虚を描き出し、その虚を紬ぐ高度な技法である。これが行えれば、痛みを与えるだけでなく、効率的な発勁が行える。即ち虚を効果的にせめていくため、相当痛みに強い、筋力があるものもこの紬糸勁により実を失う。
手首の虚を描き出し練習として、海底針による双龍深海を行った。双龍深海は相手の手首を下から両手で掴み、相手の腕を縦にして虚を描き出してから、沈勁にて下方に沈めていく擒拿術である。強烈な痛さがあることを経験する。これが手首の虚に対する発勁である。この感覚を会得して、紬糸勁や纏糸勁の螺旋中にこの感覚を聴勁して発することが大事である。扌履勢による、双龍滑翔(かっしょう)も一部行ってみた。双龍滑翔は相手の手首を上から両手で掴み、相手の腕を横にして虚を描き出してから、扌履勢にて左(右)方に行かせる擒拿術である。
また、この手首の虚勢を利用すれば、解法も容易であることを、青龍入洞による解法を行ってみた。青龍入洞は我の右肩を強い握力で相手の右手で捕まれたとき、雲手の勢により我の右臂が右上空に円を描いて伸び上がり、そのまま我の内に相手の左腕を超えて肘から降りていく(肘が龍尾であり、龍尾から元いた場所に沈んでいく姿を入洞と表現した)ことで相手の掴んだ手を簡単に取り外す技法である。倒攆猴の左眄勢(五行勢)で解法を行う。ここでは行っていないが、解法を急速に行うと、相手は前方に背勢となり、右脇腹急所や腎臓が我の右手の前にあるので、即座に分勁などで冲拳などを発勁する。
相手が、掴んでいた手を粘らせて、身体を背勢にして頑張った場合、倒攆猴の右眄勢を即座に左顧勢に変化させ、同じく倒攆猴にて採腕托臂(撅)にて擒拿術を行う。

 

■詳細及び記録動画

※本日の練習の相対招式の技術を詳細に記載しています。要訣など、随時加筆していきます。

■記録動画

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動画の配信方法が変わりました。YouTubeで非公開で配信しています。

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楊式太極拳の太極剣

daikaisei

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太極剣に巡り合うまでに、私は柳生新陰流を習っていましたが、その時の練習法は、最初から刃引きで勢法(かた)を打つことでした。そして、その重い刃引きがとても軽く打つことができるようになったら、今度は桐の木刀を持たされました。とても軽いものです。そして、それを今度は重く感じるように打てと言われました。いとも簡単に重く打てました。次に割り箸を渡され、それでダイコンを切れと言われて、振り下ろしたところ、すぱっとダイコンが真っ二つになりました。
これは、内勁にて重い刀を振る勢いを本来の潜在能力として取り戻した結果、その内勁で軽い木刀を振ろうが、割り箸を掴もうが同じ勢いが働くと言うことです。このように、柳生新陰流は(かた)の事を勢法と書きます。
そこで、太極剣の師と巡り会い、太極剣を習ったのですが、彼も全く同じことを私に言ったので、既に修得済みであることを伝えました。そこから、剣においては対等にお互いに剣術を教え合いました。王師は柳生新陰流にとても深い興味を覚え、近くに居ながら付き合いのなかった、私の剣の師とも懇意になったようです。
私のところの門下でも、太極剣を特別クラスで行っています。もちろん、重さも刃引きと同じレベルの模造刀です。ジュラルミンのような軽い刀などは使いません。もともと刀は重いものです。ジュラルミンのような軽い刀など存在しません。昔の技術では、強くて薄い剣を作ることなどできず、薄いと言われる日本刀でもあの重さですから、ジュラルミンの剣程度の薄さなど、すぐ折れて使い物にならないからです。
しかし、重い刀を軽く振れるようになると、ジュラルミンの刀でも重く振れるようになります。太極剣の円圏の内勁ができているからです。
剣の円圏は剣尖までです。その円圏を動かすだけの内勁が身につきます。そうすれば、手刀でもその範囲の円圏が保てます。要は、相手との間合いは剣の長さだけあるのです。その範囲に相手が入ってくれば、もうこちらの範疇です。太極拳の大架式は、もともと腕の長さを超えて、剣の長さ以上の円圏を描く套路です。大架式は、その能力を思い出すためのものでもあります。従って、大架式を極めると、太極剣もあたりまえにできる頓法と、大架式をある程度まで高めたら、太極剣を並行して学ぶことで、双方の円圏が合致しながら相乗効果で套路も太極剣も上達する漸法にもなります。このように円圏が広がると、自他和合を、自他不二を攻防の理に持つ太極拳は、相手を包み込むような沾粘連随走化を得ることができます。

歴史3:王流楊式太極拳と文聖拳

私の師がしきりに同じ流れから派生した拳法だといっていた文聖拳というものがあります。文聖拳はは17世紀中葉の明末、清朝の初期の時期に劉奉天(1617―1689)を創始として起源します。彼は元々は武当山で幼少から修行道家として張三豐の内家拳を修行していましたが、思想が孔子(文聖)の儒教に傾き始めその思想を元に文聖拳を興しました。張三豐の内家拳が少林寺の禅宗から袂を分かち道教で育ち、又その中から、袂を分かち文聖拳に育っていったのも理解ができます。

その後、清朝の文武進士であった楊士海は文聖拳を承継して大成させ、离卦義和拳(門)と称していました。武術民武色が強かったため、楊士海は1782年に禁武政策下において捕まりました。

その後、歴史の中で文聖拳は秘密結社などと交差しながら民衆の中で育っていきました。そして、文聖拳や梅花拳が中心となって1898「義和団」が蜂起します。そして1900年に義和団の乱が起こるのですが。西太后は王朝のお留め武術の楊家太極拳の楊 露禅が生前に実力を認めていた義和団(文聖拳と梅花拳)を支持しました。文聖拳と梅花拳は、あまりにも強い徒手殺戮拳法であると聞いていたため、列強の外国勢など肉弾戦で勝利できるはずと確信したといいます。

その文聖拳がもっとも王流楊式太極拳と似ているのは、王流楊式太極拳が張三豐の内家拳を源として王宗岳などの道家によって伝承されたように、同じく劉奉天によって武家思想としての儒家の中で伝承されていったのも、根本が同じものであるからです。

楊家の楊露禅は1840年ごろ、40才を過ぎて北京で王朝の武術指南役となりますが、武術家達をことごとく打ち負かして「楊無敵」といわれました。その楊露禅が生前に西太后に義和門の徒手拳法の実力を何よりも実戦的であると評価していたので、西太后が義和団を利用して諸外国を排除しようと考えたのも頷けます。ただ、一説には楊無敵と言われたのも、朝廷が民間や武士から恐れられるように、楊露禅の実力を持ち上げたためとも言われています。しかし、武当山で修行した楊露禅はそれなりの太極拳法の実力を持っていたのでしょう。だから、義和拳の実力も見抜いていたと言えます。

楊露禅は王族や貴族以外に武術を教えてはならないと王朝から留められており、子らにも王族や貴族に教える武術と同じものを教える事になりますが、きらびやかな衣装を着て、武術をあまり好まないもの達には、ゆっくりとした套路や推手程度しか行うことしかできず、その套路や推手だけに限ってしか、子たちにも教えることができませんでした。
楊露禅が義和団などに助けを求めて諸外国に対抗するように西太后に訴えたのも、このような王朝の武術の実態を知っていたからです。

文聖拳は義和団の乱と密接な関係があり、中国ではタブー視されていましたが、最近になって三代目文聖拳として王安林氏がブログを立ち上げています。

そしてYouTubeでもその拳法を見ることができます。確かに、相当王流楊式太極拳と酷似しています。これほど私の師と近い拳法を見たことがありません。確かに師のいうとおりこれこそ同じ源流だと思います。

ここにYouTube動画を一つ紹介しますが、他のものもぜひ見てください。