練習記録 高探馬帯穿掌

高探馬帯穿掌の穿掌の打ち方は手法でやります。主にに点穴で使いますが、この場合の穿掌の場合は龍の勢の一つ竜頭を使いますので、特別な打ち方が必要です。筒の中に槍が仕込んであって、筒を鞭のようにのように差し出すて、急に止めると中の槍が勢いよく飛び出します。これが高探馬帯穿掌です。

大事なのは、この高探馬帯穿掌の過渡式勢です。高探馬帯穿掌は高探馬からの過渡式に重要な勢があります。これを練習します。高探馬から左足が前に進みながら、急激に止まります。その勢は差し出した穿掌の先から飛び出ます。

高探馬帯穿掌は、穿掌ではなく冲拳など他の手法でも使えますが、高探馬帯穿掌での練習で何を練習しているかというと、この勢です。

点穴で鑚勁を用いるときに有効な勁であり、相手の経穴に深く早く鋭く入り込みます。この勁は一般に走られていない発勁ですが、射勁と呼ばれるものです。

点穴術

良く映画などで、敵の首をゴギッと回して、絶命させる技があります。

実際にやってみると分かりますが、(★★やってはいけません。★★ ゆっくりやっても首が捻挫するなど大変なことになります。ちゃんとした安全な練習方法があります)

そんな簡単にできるものではありません。相手の体がついてきます。

勁道は手揮琵琶です。

前から相手の頭を纒糸勁で抱き込むようにして、縮勁(しゅくけい:体を縮める時に生じる勁道)で耳の方へ両手の指先に気を送り、滑らしていくと、耳たぶの下のあごの骨の外側に、中指(他のどの指でもいいが、中指が自然)が自然と引っかかる。(ここまでの練習は、友人などを相手にすると、面白いようにうまくできるが、套路などで纒糸勁や、縮勁を練っておかないと、自然とは出来無い。)

その指が引っかかった急所が、翳風 (えいふう)です。兵法などでは独胡(月古)ともいいます。耳垂の後方で、少しへこんでいて、すっぽりと指が引っかかります。とても自然にです。

翳風 は三焦経という、交感神経の働きを調節したり、リンパ節などを活性化する経絡の経穴です。ここを優しく指圧すると、頭がはっきりしてきて元気が出ます。  逆にここが緊張している人は、イライラしたり、気分が落ち着かなく、高血圧、逆に緩和しすぎている人は、眠たくて、うつうつして、低血圧、こんな感じです。特に偏頭痛、突発性難聴などの原因にもなります。  髪の毛のつやはここの経穴が正常だとみるみる蘇ります。(詳しくは頭推按で)

この急所に、指が引っかかったら、組み付かれたときなら、そのまま白鶴亮翅の要領の採勢で投げ飛ばす(扌率角といいます)ことも出来ます。(こちらの方が相手に優しい・護身術として使用)

生死の境であれば、手揮琵琶の勁道ですこしひっかかったまま、後ろ手の方向へ円運動をしながら、首をねじて引き抜くような感じにして、指先に気を送ります。相手は耳を中心として頭の側面全体に強烈な痛みが走ります。

そのまま円運動をとぎれることなく反対側前の手の方に手揮琵琶の勁道で、八の字を描いて首を持ち上げて引き抜くようにしますと、全く力もいらず簡単に相手の首は折れます。寸前で止めると、重傷な捻挫です。       ★★絶対にやらないでください。★★

点穴術とはこの様に恐ろしいものですが、練習で、ちゃんとした先生についてゆっくりとやっても、まるで骨がないようにどんな強硬な首もふにゃふにゃになる感覚が分かります。

赤ん坊の首のようになります。

そのふにゃふにゃになる感覚を覚えておけば、自信がつきます。

点穴術はこの様にしてゆっくりと練習します。ゆっくり練習すると、とても健康に良く気持ちいいです。(紙一重ですので、良い先生についてやってください)

翳風 (えいふう)を少し押さえてみてください。自分では、そんなに痛くなりません。前から誰かにやってもらってください。引っかけて体重をかけて相手の体の方向に少し上に持ち上げてもらってください。死ぬほど痛いのです。

角度がとても大切です。これは、自分の体が一番知っているんですが。

他にも寝たふりをしていて、相手を倒す急所とか、山ほど有ります。  太極拳の点穴術はとても面白いです。しかし、恐ろしいです。

くれぐれも、勝手にしないでください。病院行きです。

ごくせんの仲間由紀恵のような拳法って本当に使えるんですか?

ごくせんの仲間由紀恵のような拳法って本当に使えるんですか?

YouTubeの動画を見た人から、こんな質問がありました。

あの動きは内家拳のように思います。

内家拳は平常心、副交感神経での動きが最も大切です。

そこから考えると、平常心と、生死を超えても守りたいものがあるときには、使えます。

太極拳は、この様な攻撃にはこの技というものはありません。

そんな難しいことをいちいち考えていては、山ほどその技術を覚えないといけません。又、いざとなるとそんな難しいことは出来ません。

無意識に動ける動きを思い出し、それを修練をするだけです。

無意識の動きは円運動です。子どもが何かをよけるときや、転んだときなど全て円運動になっています。

呼び水のように、元々体の奥底が知っている動きを思い出すための修練です。

散手はその動きをひたすら相対して練ります。

推手は相手の動きの全てを自分の動きとする訓練です。

套路は、無意識に近いところまで意識をおろして、そこにある動きを練って練って練り、気や勁道を思い出しておく練習です。

太極拳の発勁は無意識で発せられる場面になると、相手の命を奪いかねません。動物の本能のような動きだからです。潜在能力、先天の気が平常心と生死の境に最大限に発揮されます。

そんな場面がこないようになるのも、太極拳の心意です。枕の先と言います。相手が敵意や殺意を抱く前の感受の起こりを受けて、融和に化すのです。

太極拳の擒拿術も無意識で使われると、相手の骨を折ったりする事になります。擒拿術はとても痛く体がロックしますので、意識的に使うと相手を制すことが出来ます。又、関節を固めないとそのまま抜身術になります。そこから扌率角等投げ技もあります。当て身も意識を持って発勁を発することになるわけで、相手を制します。 しかし、発勁も、点穴術で発せられた鑚勁だと相手の命を奪いかねません。

人間は自分の急所を無意識に全て知っているのです。だから、無意識の時、相手の急所を的確に打てます。太極拳の点穴術を意識で覚えるのも単にフィードバックのためです。無意識下にある情報との呼応です。 いざとなると、いちいちどこの急所を突くなどとは考えられません。 無意識の時というのはどの様なときでしょう。生死の境です。

太極拳は相手が本気でないと使えません。

しかし、その無意識の動きを思い出すための修練は出来ます。

その動きを出来るだけ、護身術として技術化することも出来ますが、あくまで技術です。理の理解です。運動神経の逆利用や、関節の理解、てこ、遠心力、反射神経の逆利用、崩しなどなどありますが、全ては単なる理です。 しかし、その理をしっかり練習しておくと、意識化でも太極拳は有効に使えますが、無意識下に比べると比ではありません。護身術程度にはなりますが、意識があると平常心を保つことが最重要です。すなわち、理も潜在にある能力の呼び水とするために、数多く練習するのです。

無意識下にあるときは、その動きが自然に起こりどの様な動きになるかは予想がつきません。予想して練習するのは、あまり意味がありません。相手の動きはその場その場で同じものはありません。

意識して練習すると、意識的にしか体が動きません。 出来るだけ意識しないで動けるようになる。これが大切です。

その点古式の套路は優れた練習法と言えるでしょう。

ひたすら、深層にある人間が動物以前の自然の気と動きを思い出す事のみを修練するからです。

毎日欠かさず、良い先生について套路を練っていると、いざ死ぬ目にあったときに、間違いなくその動きが自然に起こります。実証済です。その本体上に技術があるときは、それが作用として有効に働くわけです。

又、その套路の動きは目に見えないところで日常的に、我が身に備わり動いているので、そうやたらに危険な目にも合わなくなります。

以上から、「ごくせん」。仲間由紀恵のような拳法は使えるのか。

答えは、ドラマ「ごくせん」の世界の中の仲間由紀恵だから使えるのです。

その人が、どこまで自分の本質を思い出したかと言うことです。

野生のライオンに無手の人間は簡単に食べられてしまいます。

十字式

作用反作用を使用して用いる。

▼ ✓ 金鶏

上下への十字勁を使用する。

▼ ✓ 金鶏挓腕

• ✓ 構え

攻手は左手揮琵琶で構え、守手は左手揮琵琶

• ✓ 攻手は右上歩冲捶 散手205

• ✓ 守手は攻手の冲捶を右手で下から上へ、内から外へ、上 P11 金鶏挓腕 金鶏独立の手法 採勢 上腕

から下へ落としながら、採勢で相手の右腕を押さえ込

む、金鶏独立の下の手。同時に左手は上挓法を用い点穴

を押さえて持ち上げる。

• ✓ 挓腕独立 横腹

金鶏挓腕に左足の膝蹴りを加えたもの

▼ ❑ 斜飛

前後への十字勁を使用する。

• ❑ 斜飛挓腕

気とは

今回は気についてのお話です。

気は神と精のコネクト役と考えます。

「氣」又は「炁」が正しい書き方です。

私たちは気とは、ひとつは生命エネルギーのことと考えています。生命エネルギーとは精神も、心も体も全て含めて、それらを動かすエネルギーのことです。

注意したいのは、ここで言うエネルギーとは単に熱量を持つ物質論的なものだけでなく、霊的・生命的・動的な原理としての形而上的側面と、物質的な形而下的側面を合わせて考えます。

広範囲になると、大気をも呼吸により自らの身体の中に充満させることが出来ることから、一体論として呼吸を通じて大気を、形而上的にエーテル(宇宙に充満する媒質)をエーテル体としての生命体自体が呼吸をする人体と別の層の身体であるとして、全宇宙を含めての、生命エネルギーである気をとらえます。

それが満ちていることが気が満ちていると考えます。もちろん、それが満ちているのを感じ取ることができるのです。

それを東洋では「気」と呼びますが、その源は「神」(しん)であり、言うなれば、人間の本質にある無為自然の純粋な生命エネルギーのことを指します。

西洋では父と子と精霊の三位一体のうちの精霊であり「プネウマ」と呼んでいます。

ヒンズー教では呼吸をする生き物の生命力そのものをさす言葉として「プラーナ」という呼び方をしています。

気はこのように、単純に生命にみなぎる生命エネルギーであり、又、森羅万象にその存在自体を生命と考えた場合に存在するものです。

そのエネルギーの伝達は、障害物などがない場合はスムーズに伝承され、又受け取ることが出来、又発することが出来ます。

その障害物が邪気などと呼ばれます。

無邪気の子供の気を思い浮かべるとわかります。ただ元気と言うだけでなく、生命エネルギーそのものです。

太極拳はそのような気そのものを純粋に伝達し、又受け取ることが出来る為の、修練と言っても過言ではありません。

太極拳が熟練すると、太極拳自体は、自分の生命エネルギーを充満させるための内気功となり、又、外気功として自らの生命エネルギーすなわち気を相手に伝えることが出来、又、その受動するための作用を相手の内に呼び起こすことも出来るようになります。
(私たちには頭推按という外気功が伝承されています。頭部以外の外気功は擒拿術及び点穴術を調整応用します。)

気についてはまだまだ深いので、又色々な場面でお話しします。