光溢れる生命の時期のように

taichisoul 太極拳における動作は、無為自然の純粋な心、即ち「神=しん」がエネルギーの働き「気」によって、ありのままのあたりまえの色(現象)、即ち、色、声、香、味、触、法(法とは質のこと)という六境(六つの対象)を、感覚器官である眼、耳、鼻、舌、身、意(心の働き)という六根(六つの感受器官)で受容したありのままをもって、行として動くものである。行は慣性、すなわち勢いである。六根は例えば眼であれば、視神経と眼球のように二つがそろって根として完全であり、眼球があっても映像を感受する神経が無いと眼の働きを成さない。「意」も同じで、心があってもそれが働かなければ「意」ではない。
 これらの六根が最初に受容した感覚は、ありのままであたりまえの現象であり、何にも染まっていない。これを無為自然という。これをそのまま感じて、行として発揮することができれば、太極拳の無為自然の行は完成である。感受は膨大であり完全である。最大の感受性を発揮する。
 しかしながら、人間は後天的に、認識による観念や概念を持ち、それが薫習されて、深層の心に宿り、仏教で言う阿頼耶識や、末那識、前意識、意識などにそのフィルターが根付く。そのフィルターによって、六根を捉え、それが、独自の眼識,耳識,鼻識,舌識,身識,意識を持つのである。これが六識である。人は感覚器官で感受した原点が「根」であり、その「根」に「識」が影響しなければ、感覚は余すこと無く行に現れる。これを太極拳に於いて修行するのである。意識で動くなどは即ち本末転倒であり、武道に於いては考えるな感じろが常套であるのに、日本の太極拳では意識で動くがまかり通っている。意識することなど、瞑想に於いてさえ入り口にも立てない姿勢である。
 静かにして目をつむって一生生きていくつもりなら瞑想も良いであろうが、太極拳は動いていながらその修行を行う事により、高度な無為自然の「意」を思い出すことができる。
 私たちの太極拳には、その修行法が体系的に伝わっている。従って「導引法」と言われる。
 五根が感受したそのままを得ることができれば、その感覚は絶大である。
 例えば、「マリファナ」を吸うと、感受した神経から、それを意識するまでの経過にある神経伝達物質が鈍麻する。そうすると、この感受性は最大となり、全ての五感はありのままになり、驚くような世界を経験できる。考えたり、意識するまでの前の感覚だけが高まる。しかし、行為となる思考や行為に至る神経伝達も鈍麻するため、運動神経も鈍る。従って、感受性が最大になるだけであり、勢いも鈍磨する。しかし、後ろにいる人間の気配もわかるようになり、風が頬をかすめるだけで、そのいのちを感じる。虫の羽音が聞こえ、森の空気の流れも見える。自分の身体の内側に流れる気の動きも、相手の心の動きも感じるようになる。触れ合った肌は溶け合うように一体化する。後天的な意識も鈍磨し平和的にもなる。これが、「マリファナ」の作用である。しかし、太極拳の導引法を修行すれば、その感覚はいとも簡単に得ることができるようになり、又、運動神経も鈍麻することは無く、その感覚をそのまま行為に生かすことができる。だから、違法で、何らかの心身に害がありそうな薬物など使用することなどばからしい。薬物にそれを求めるより、太極拳を徹底的に心底修行することをお勧めする。そのメソッドは完全である。太極拳の修行はそれを目指すことで、般若心経にある「無」の悟りを得る。それを、漸法という。逆に「無」の悟りを得て、現実に活かす。それを頓法という。その総合的な無の世界を「無極」という。そこまで戻ることを「還虚」として修行する。
 このように、太極拳の導引法の場合は、感受性を最大にして、行(慣性、勢い)にまで及ぼすために、その運動や生理機能に至るまでの神経経路をクリアにしていく。雑念や煩悩などの意識の滞り、人体の生理循環における気血の滞り、気の渋滞による経絡の鈍麻などを、導引、行気、内丹や存思(瞑想)により解決していく。皮膚感覚は研ぎ澄まされ、八触という経験を得るようになる。八触を得るほど感覚が研ぎ澄まされれば、太極拳で重要な聴勁は神明の域に達する。その他の眼法は十目を得て、耳はあらゆる音を聞き、鼻は人の気の臭いを察し、舌は空気の味までわかる。しかし、根は感覚器官だけが研ぎ澄まされても、その神経が働かなければ用を足さないし、又、それが勢い(蓄勁や発勁)に即座にクリアに反応しなければ、身体の生理に用を足すことは無い。それらを総合的に訓練するのが、套路という素晴らしい練習法なのである。この理合を知って、修行すれば、心身共に有益なことは言わずともわかるはずである。
 太極拳は感受したそのままを、「行」という慣性に生かす武道である。慣性は勢いであり、これが無為自然の十三勢の原理である。医武同源を太極拳に求めるなら、生まれながらにして持つ先天の、最大の感受性と、クリアな心、そして素直な勢いを思い出せば良い。まるで子供の時の光溢れる生命の時期のように。
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