流水は腐らない。

私たちは、日常では動かすところが決まっています。
ラジオ体操をしても、スポーツや武術の訓練をしても、その動きの特性に応じた動きがあります。
その部分の流れはスムーズになり、人間の体はほとんどが水でできているのですから、その水が流れるようになります。
もちろん腐らないので、よく動きその部分は健康です。

ところがどうでしょうか?

水の流れは、流れていないところにどんどんとゴミをため、汚れをため、よどみます。
そしてそこの水は腐ります。
特定の流れを作ってしまうと、このような弊害が生まれます。

太極拳は元々は養生の技術です。
どのようにすれば体全体のよどみをなくすことができるのかを経験的に探求し抜きました。

簡単です。水が流れないところを作らないことです。そして太極拳ができあがっています。(古くは内家拳法)
太極拳の運動は、体のうちをどのようにも水が流れる運動です。
それを探求し抜いた結果が、四正手で立体的網羅、四隅手で時間経過的網羅、五行で流れる方向を網羅して、完全に水がよどむところを無くした武道です。十三勢です。

ですから、太極拳の練習では、動きを考えると一挙によどみます。水が流れるように自然に任せて動くから、実戦においても、自然とどのような対応も可能な、対実戦武道なのです。
実戦での対応は、ただ、まるで水が流れるようにです。

よく外家拳が剛だとか、内家拳が柔だと言われますが、そうであるなら太極拳は内家拳ではありません。

水は、岩をも砕く剛の性質と、どのような形にもなる柔の性質を合わせもっています。
よどみの原因となる部分を砕きながらまろやかにして流れるから、よどむところは無くなり、体内の水は腐らないのです。
水の腐りは、病と直結です。腰や膝の痛みなど全てそうです。

太極整体はそのようなことを理解した上で、よどみを発見し、太極拳の技術でそのよどみを取り去り、水を流します。

よく間違われるのが、太極拳はただ柔らかいという風に思っている人がいますが、それは水では無く空気でも無く、柔らかいだけです。

水も空気も剛の性質は恐ろしい力を発します。自然災害を見ればわかるはずです。

空気もよどむと濁ります。腐り、邪気を発します。それらを観じるのも太極拳では護身技術の一つです。
体内は水です。環境は空気で、それらの流れを網羅するのが太極拳なのです。

水の流れる力が無いと、大きな岩も動かせません。一切の力を用いないのでは無く、水のような力(勁)すなわち、楊式では主に沾粘勁を用いて、拙力を使わないと言うことです。
太極拳経の「察四兩撥千斤之句」の四両も千斤を撥くということ、最小の力で大きなものをはじき飛ばすという意味ですから、全く力を使わないと言うことではないのです。

水の力、空気の力のようなものを勁、それ以外の柔軟性の無いものを拙力として分けています。
水も空気も流れますから、体の隅々、環境の隅々までを網羅します。

体内の流水は、筋骨、内臓、脳や神経血管などあらゆる生理に、柔軟な勁を加えながら、よく柔和して、伸びやかで弾性を生み出し、強固で調和したものへと変化させます。

体中に水が流れるような太極拳の修練は、体中の大河や小川せせらぎに至まで、清らかな水が時には柔らかく、時には力強く流れる様をイメージするものです。

太極拳は中国のものですが、インドから流れてきた根本養生の道です。
日本でも剣術の中でも特に柳生新陰流は、行雲流水を理とするものでした。

流水は腐らない。今からでも遅くありません。体の中の水の流れを太極拳で取り戻してください。
剛柔一体を常とする太極拳は、人間の体のうちの水を活き返らせてくれます。

ただ、闇雲に太極拳を柔らかく動いても、その本質部分が理解されて、またそれを行う事ができないのなら、逆に体の中の水のよどみを作ることになります。

剛の性質が無いただ柔らかいだけの太極拳は、流れの無い河です。
最近、太極拳で身体をこわす方が増えています。ですから、私は敢えて言います。
太極拳でより体が衰えていく。膝や腰を痛める。以上の理屈を考えると否定できないことです。

太極拳だけに限らず武道や運動・スポーツも諸刃の剣。これも真実です。
その諸刃の利点を得るには、それらの本質を得ることなのです。
水の本質、空気の本質、太極拳の本質、それらを経験すれば、必ず得ることができるのはあたりまえのことです。

流水は腐らないのです。

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