王樹金老師はお腹が出ていましたが、丹田はふくらむのですか?

丹田は単なる関元穴という仁脈という経絡に属する経穴です。つぼです。 そこが張っても、腹が膨らむことはあり得ません。 丹田が張ると言うことは緊張ですから、経穴の状態は最も悪いと言うことになります。下腹が張るのは、未病状態です。

経穴にエネルギーが溜まると暖かくなります。そして柔らかくなります。ポカポカします。周辺の脂肪は燃焼します。 武術の逆腹式呼吸をしっかりするとお腹はふくれません。 エネルギーは物量でなく、熱量ですからお腹を膨らますことはありません。

王樹金老師は確かにお腹が出ていましたね。糖尿病も患っていたという話しもありますが、真実の程は知りません。

少なくとも、糖尿病などにならない心身を呼び戻すのが内丹術です。

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下丹田とは、東洋医学では関元穴に位置する。単なるつぼと考えれば良い。
丹田とはそもそも、気が集まることを体感する場所である。しかし、そこには関元穴がある。だから東洋的には経穴として考えるのが最も正確であろう。良く巷でいわれているのは、丹田は身体感覚だということである。身体感覚?身体感覚とは、その原因が身体に現れた結果でを感じることであって、その原因ではない。結果のことを感じることが、丹田であるとは全くおかしな話である。

例えば、原子炉では、内部でウランがエネルギーを生んでいる。熱を発している。その熱を感じる、エネルギーを感じる。身体で言うとその感覚がすなわち身体感覚のである。丹田は身体感覚である?ウランとは、原子炉においてエネルギーや熱を感じることであると言っていることと同じである。とんでもない話である。ウランがなければ、原子炉などただの箱である。
ウランは原子炉になくてもエネルギーと熱を発する。ウランそのもの、それがいうなれば丹田である。ウランは熱やエネルギーの田である。丹田は丹というエネルギーの田である。
ウランは原子炉という内にあって、原子炉を活性化する。丹田は下腹部にあって、神経叢などの人体の重要な部分を活性化する。それが体中に気力やエネルギーを与えていく。明確な気の中心である。
丹田はウランとおなじようなものである。そのウランは一定の条件を与えると活性化する。丹田も同じである。

従って、東洋医学では経穴があることがはっきりしているので、東洋医学的説明としてそれで良い。経穴の感覚は事実とその実証であるから、その身体感覚の理由である。
丹田という臓器もなければ、組織もない。
しかしそこには経穴はある。周辺には神経叢もある。筋肉もある。脂肪もある。腸などの臓器もある。

その中で、筋肉はある程度鍛えれば、少しは大きくなるが、固くて締まる。ふくれることはない。

例外は脂肪である。特に下腹部の脂肪は大きくふくれあがる。

丹田を鍛えれば、神経叢や筋肉が活性化し、内熱を発し、脂肪は燃焼する。当たり前である。
太極拳は内筋を使うので、それほど外部の脂肪を燃焼はさせないが、内部脂肪は燃焼する。
従って、医学的には、丹田を鍛えればお腹が出るなど全くの嘘である。人間でなく仙人であるというなら、それでいい。
そういう人はそう言っていれば良いだろう。またそれを信じるも自由である。

しかし、武道を極めているものは、そんなことはあり得ないことは身をもって知っている。

中丹田は、胸の中央にある。そこには胸腺はある。しかし胸は熱くなる。そこには膻中穴がある。気が集まると内部が活性化される。電荷、赤外線実験でも明確に実証されている。その集まる場所は身体感覚においても膻中穴である。実際にそこが中丹田である。唯一有るものであり、中丹田というものを説明できる。何度も言うが、身体感覚はその結果である。

丹田は身体感覚などといっている限りは、気を集める丹田の焦点を知らないだけである。丹田は経穴である。そこに気を集める。身体の動きを駆使して、身体において勁や勢を丹田に集中していく訓練をする。それが武道の修練である。そうして集まったら、その源から全身にエネルギーを発露させる。それが発勁であり、その時の感覚が身体感覚である。身体感覚は小さな子どもでも感じうる。それが丹田であるとは?なんとも言えない不思議な説明である。
そうなると、下腹のどこに?胸のどこに?頭のどこに?そんなふうに聞かれても、漠然と身体感覚であるとうそぶくことになる。
確かに結果として身体感覚であるので、答えにはなっていないのに気付かない。詭弁の極みである。

極めつけは、上丹田である。泥丸という脳の中心である。脳の中心には先祖脳と言われる中枢神経の要がある。経穴の印堂穴である。印堂穴の出入口は眉間にある。経穴を表面だけのホールと捉えるのは、穴というものの基本的構造を知らないだけである。
穴は穴の底までが穴なのである。穴の底にこそ源がある。体表の点は出入口にしか過ぎない。
だから、丹田が単なるつぼだといってしまうと、その表面だけを思い浮かべてしまう。
経穴は人を殺したり麻痺させたり、または、覚醒させたりすることのできる重要な場所なのである。
太極拳などの武道を制するものは、つぼを最も重要視する。経穴が要であることは当たり前である。その主要部分が丹田なのである。それらの場所を点穴すると、人は重大な状態に陥る事は当たり前に知られている。それが証拠である。身体感覚ごときで人命に到るはずがない。経穴であるから人命に関わるのである。
下丹田は関元穴であり、その表面の位置から仙骨の前の底にまで穴がある。身体感覚などといっている場合は、その丹田の活性の結果を感じたに過ぎない。誰でも感じることができる。いちいち言うこともない。当たり前のことである。下腹が熱くなった、気が入った。ほら下腹に丹田があるよというだけで良い。誰でも言えるし、確かにそのどこかにあるから感覚という点では間違いでも無い。しかし丹田はどこにあるの答えではない。
研ぎ澄ましていくと、あらゆる太極拳の武道練習をすると、明確に関元穴が下丹田であることが分かる。
その下丹田の活性が周囲に活性を生み出す。身体感覚として感じることができる。誰でも感じる。
しかし、太極拳家は明確に下丹田を鍛える。内丹に準じ、仙骨に勁を置き、任脈・督脈や衝脈の円転上下する行気を用いて、明確な芯を捉える。それができてこそ、下丹田を鍛えることができる。坐道などが太極拳の源流であるのも、その修行の根源である。
中丹田も、上丹田も同じ。穴の奥深くまで通じる一筋の芯。その活性が周囲に体感を生む。漠然と、大きなくくりで身体感覚を捉えても、その結果をどうするのであろう?そんなまやかしで丹田を捉えている限りは、なにも知り得ることはない。その身体感覚の源は、経穴としてしっかり存在する。

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