ごくせんの仲間由紀恵のような拳法って本当に使えるんですか?

ごくせんの仲間由紀恵のような拳法って本当に使えるんですか?

YouTubeの動画を見た人から、こんな質問がありました。

あの動きは内家拳のように思います。

内家拳は平常心、副交感神経での動きが最も大切です。

そこから考えると、平常心と、生死を超えても守りたいものがあるときには、使えます。

太極拳は、この様な攻撃にはこの技というものはありません。

そんな難しいことをいちいち考えていては、山ほどその技術を覚えないといけません。又、いざとなるとそんな難しいことは出来ません。

無意識に動ける動きを思い出し、それを修練をするだけです。

無意識の動きは円運動です。子どもが何かをよけるときや、転んだときなど全て円運動になっています。

呼び水のように、元々体の奥底が知っている動きを思い出すための修練です。

散手はその動きをひたすら相対して練ります。

推手は相手の動きの全てを自分の動きとする訓練です。

套路は、無意識に近いところまで意識をおろして、そこにある動きを練って練って練り、気や勁道を思い出しておく練習です。

太極拳の発勁は無意識で発せられる場面になると、相手の命を奪いかねません。動物の本能のような動きだからです。潜在能力、先天の気が平常心と生死の境に最大限に発揮されます。

そんな場面がこないようになるのも、太極拳の心意です。枕の先と言います。相手が敵意や殺意を抱く前の感受の起こりを受けて、融和に化すのです。

太極拳の擒拿術も無意識で使われると、相手の骨を折ったりする事になります。擒拿術はとても痛く体がロックしますので、意識的に使うと相手を制すことが出来ます。又、関節を固めないとそのまま抜身術になります。そこから扌率角等投げ技もあります。当て身も意識を持って発勁を発することになるわけで、相手を制します。 しかし、発勁も、点穴術で発せられた鑚勁だと相手の命を奪いかねません。

人間は自分の急所を無意識に全て知っているのです。だから、無意識の時、相手の急所を的確に打てます。太極拳の点穴術を意識で覚えるのも単にフィードバックのためです。無意識下にある情報との呼応です。 いざとなると、いちいちどこの急所を突くなどとは考えられません。 無意識の時というのはどの様なときでしょう。生死の境です。

太極拳は相手が本気でないと使えません。

しかし、その無意識の動きを思い出すための修練は出来ます。

その動きを出来るだけ、護身術として技術化することも出来ますが、あくまで技術です。理の理解です。運動神経の逆利用や、関節の理解、てこ、遠心力、反射神経の逆利用、崩しなどなどありますが、全ては単なる理です。 しかし、その理をしっかり練習しておくと、意識化でも太極拳は有効に使えますが、無意識下に比べると比ではありません。護身術程度にはなりますが、意識があると平常心を保つことが最重要です。すなわち、理も潜在にある能力の呼び水とするために、数多く練習するのです。

無意識下にあるときは、その動きが自然に起こりどの様な動きになるかは予想がつきません。予想して練習するのは、あまり意味がありません。相手の動きはその場その場で同じものはありません。

意識して練習すると、意識的にしか体が動きません。 出来るだけ意識しないで動けるようになる。これが大切です。

その点古式の套路は優れた練習法と言えるでしょう。

ひたすら、深層にある人間が動物以前の自然の気と動きを思い出す事のみを修練するからです。

毎日欠かさず、良い先生について套路を練っていると、いざ死ぬ目にあったときに、間違いなくその動きが自然に起こります。実証済です。その本体上に技術があるときは、それが作用として有効に働くわけです。

又、その套路の動きは目に見えないところで日常的に、我が身に備わり動いているので、そうやたらに危険な目にも合わなくなります。

以上から、「ごくせん」。仲間由紀恵のような拳法は使えるのか。

答えは、ドラマ「ごくせん」の世界の中の仲間由紀恵だから使えるのです。

その人が、どこまで自分の本質を思い出したかと言うことです。

野生のライオンに無手の人間は簡単に食べられてしまいます。

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