太極拳の套路はゆっくり行う。

太極拳の套路はゆっくり行う。(想念太極拳・瞑想太極拳)

太極拳は陰陽が離れず、ずっと気によって連綿とつながっている。

ゆっくりやればやるほど、気を連綿と維持するのが難しい。

実戦においてその気の途切れが、隙となる。また技が崩れるところである。

相手のスピードがゆっくりに変化したとき、そのゆっくりと動くところでの気の維持ができなければ、相手に勢を委ねてしまう。要は相手の勢によってこちらが制御されるのである。

ゆっくりと動いても気が途切れない。

ゆっくり動くと、心の中にも多くの雑念や煩悩が現れる。

張り巡らされた配水管に勢いよく水を通せば、少々のつまりがあっても水が勢いよく循環する。

しかし、ゆっくりと水を通すと、てきめんにそのつまりにより勢いが減少する。そしてそこによりつまりが増える。

ゆっくりと動けば、よく自分のつまりがわかる。(想念太極拳・勢起)

そのつまりのない動きをもって全てを調整する。(想念太極拳・勢収)

詰まっているところが実戦においては致命的である。

太極拳の套路で気を通し、その心のつまりを取り去り神(しん)を通し神通力を得て、その身体のつまりを取り去り精(せい)を通して精通し、気を流し、神通力で精通する太極拳の境地を得るためには、最低でも24式なら30分、85式なら2時間位で動けるような套路の練習が必要である。

気を大河が流れるように連綿と維持する。難しいように思うかも知れないが、それが当たり前にできないところに、人間の心身の問題が生まれていることを知る。

先天(生まれながら)において、ひとは気は絶えず連綿と大河の流れのように流通している。

しかし、後天(生まれた後)において、多くの滞りを持ってしまっている。それが人生を健康に元気に生き抜けない理由の根幹である。

ゆっくりとした套路を、自らの人生の生まれてから死ぬまでと想像して、いかに楽しく気を滞ることなくやり終えるか。

そしていつの間にか当たり前に気が通り、神通し、精通し、その套路の刹那にのみ全てが存在するという、三昧の境地で太極拳が動くようになる。気がついて終わってみると85式であれば3時間もたっていた。これが瞑想太極拳である。

人生のその時その時をただ楽しく生き抜いた。気がつけば◯年もたっていた。

人生もまたこれと同じである。

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