楽しけりゃいい

今生さえ楽しければ良い。
死んだ後も、生まれる前も気にしなくても良いと言うことです。

この瞬間を精一杯楽しもうというのが「道」の価値観です。それが滔々と続く。絶対的に。

「道」とは人間にそれを教えるものです。

今生さえ楽しければ良いと、自分(個人)さえ楽しければよいは違うことです。

この瞬間が楽しいと言うことは、実は全てと楽しさを共有していることになります。
「道」にも光り輝いているから楽しいのです。

太極拳の套路はこの瞬間を輝き続けながら、いつまでもいつまでも輝いていきます。これが套路です。

「道」では自分(個人)さえ楽しければ良いということと、今生さえ楽しければ良いということが並び立つ論理は成り立ちません。
もしそれが成り立つのであれば「道」ではありません。

今生きることが楽しければ、個人も森羅万象も周りも楽しいのです。
これがありのままの楽しさです。「道」の楽しさです。

ですから、太極拳はただ楽しめば良いのです。
心の底から、何にも頼ることも無く壊れることも無い楽しさなら。

「殺しに来た相手を味方にする。」太極拳の境地です。
この境地は、今生さえ楽しければ良いという価値の共有です。これがタオです。
ここに自分(個人)さえということは成り立ちません。
今生きていることが楽しいとは、自分(個人だ)けでは成り立たず、相手も森羅万象も全てを味方として成り立ちます。
「道」と合一して生きている人は、今生さえ楽しければよいのです。そして、自分(個人)さえとは思うことなどあり得ないのです。

太極拳は楽しければ良いのです。そしてその楽しいとは壊れないものです。自分(個人)だけなら壊れます。
ここに陰陽和合があるのです。だから、套路は周りとの一体感を求めるのです。気持ちがよい、楽しいと感じるのは自分です。だから、気持ちが良い楽しいと心の底から感じることで良いのです。もちろん対錬の練習でも何でも同じです。

人生も同じです。今生がただ楽しければいいはずです。しかし絶対に壊れることの無い楽しさは、全てと一体で有り、道と合一であり壊れることの無いものです。套路でその感覚をシミュレーションできます。これが私たちが想念太極拳と呼ぶ、存思太極拳の一部です。

神明を得る。今この瞬間(今生)が輝くように楽しい。これだけでいいのです。
これに気づけば、太極拳も人生もタオも完全になります。

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