太極拳は細胞レベルでストレスを解消する | NewSphere

武当派の楊式太極拳では、古来から「節節貫穿」という言葉があり、人間の潜在力を開花させるための宗門の行でしたから、それが科学的にもやっと分かってきたようです。
「節節貫穿」については、以前の記事でも書きましたのでこちらをご覧下さい。
http://www.ohtaichi.com/?p=5087

ヨガや瞑想といった精神的な世界観を有する運動はただ人をリラックスさせるだけのものではないようだ。最新の研究によるとこれらの運動をすることによって、ストレスと関係のある細胞の働きが抑制されるのだという。

論文が我々に教えてくれるのは、ヨガや瞑想は単なる一時的なリラックス効果以上のものがあるということだ。ビリク氏はこうした運動は「私たちのDNAを私たちが幸福で健康な道に進むように脳へと働きかけてくれるものだ」と述べている。また彼女は、遺伝した細胞は変化しないものではなく、DNAの働きは人々がコントロールできるものだとも強調している。ヨガや瞑想はリラックス効果だけでなく、人間の潜在力を開花させるものとも捉えているようだ。

情報源: ヨガや瞑想は細胞レベルでストレスを解消する 太極拳や気功も | NewSphere

放松・野に咲く花のように

放松・・

「放」は、緊張や束縛を解いて、上下左右に自由に伸びる意味を表します。

「松」の元々の字は、鬆で、簡易化され、木偏の右側の「公」は、おおっぴらに開いている様で、鬆は、髪の毛のように動きがありさわさわと、葉が細く向こうが透ける様を形容したものです。

放松の結果に、リラックスや拙力の脱力、意識的でない自然さが生まれますが、放松は放松です。リラックスや脱力ではありません。意識すると、本末転倒ということになります。

放松の基本原理は「三才」です。天地人の宇宙の実相を表す言葉です。太極拳は全て三才勢で動きます。三才勢の基本修練は、内丹の「大周天」でも行いますが、武当派の楊式太極拳の大架式の套路には大周天が含まれています。それを当門では習います。

「地」は重力を発しています。地に引き込もうとする勢いです。これだけに、身を委ねると、体は地にへばりつき、立つこともできません。これが脱力です。こうなると、様々な弊害が出ます。気血は沈着し、上半身の気血は不足し、うつ病や上半身の虚血性疾患、抹消血管や神経の脆弱化、それにより脳出血や虚血性心疾患など様々な障害が出ると、内丹に伝わる導引法では戒めています。

最近の太極拳は、脱力するだけが多いので、主にこの重力に囚われてしまいます。ずしんと沈むような、「重」の感覚は、即ち双重の病となります。地に根が張るようなという、足裏の感覚はまさにこれです。今の中国の武当山の一部でもそう教えているから驚きです。まったく、これは弊害になります。

しかし、しっかり重力を感じて動くと、その「地」からの勢いに対して自然にその場にたたずむ勢いが、「天」から後頂を糸でつられるような感覚でおこっていることもわかります。これが天と地の陰陽和合、即ち「太極」の状態です。

逆に、天からつられるような勢いだけを感じて動くと、これも「浮」となり、フワフワとして地に足が付いていない状態となります。また、気血は上に滞り、下半身の気血が不足し、同じく上半身の末梢血管や神経の圧力が高まりすぎ、脳出血の引き金や、心筋に内圧が増し血圧が高まり、肺胞や心臓の疾患などが増え、下半身の虚血性の疾患が増え、神経症やヒステリー、パラノイア、統合失調症などの精神疾患が増えると太極拳の内丹ではされています。

こうなると、双方が浮き上がりますが、人間は片方でも立っていないといけないので、偏重の病となります。

この中間にあり、天と地をも巡る(大周天)ことが大切です。即ち、天と地の勢いの間に自然にたたずむ事が大切なのです。

その天と地の間にたたずむのが「人」です。これが天地人、太極拳の三才勢です。

人間の体だけで考えると、天の勢いは上半身、地の勢いは下半身に、人の勢いは丹田に備え動きます。これが三体勢です。これは内丹において小周天にて修練します。(大周天、小周天は、書籍「簡化24式太極拳で骨の髄まで練り上げる技法」をご覧下さい。)

放松とは、野(地)に咲く花のように、自然に天に向かって伸びる、地と天の間にただ立って、活き活きとした生命力溢れる姿です。

これが「放」(天地へ発散と収斂をして)「松」(人として鬆らかくたたずむ)です。

白鶴亮翅 肩こり・四十肩・五十肩を直す 太極整体

太極拳は、套路自体が自力整体ですが、特に肩こり・四十肩・五十肩などに有効な型が「白鶴亮翅」です。

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この白鶴亮翅を椅子に座ったまま、上半身だけでも、仕事の合間などに行います。上半身だけを亮翅といい、八段錦で有名な坐道(太極拳の座禅)の養生術でもあります。

パソコンなどのデスクワークは背中の両肩甲骨の幅が広がり、おなか側の胸骨が狭まる猫背に固定されます。白鶴亮翅の型のとおり、息を大きく吐きながら鳥が羽を広げるように、片方の手は外側頭上に手の平が外側に向くようにして、片方の手は外側腰の下方に手の平が下に向くようにして、肩甲骨同士をくっつけるようにしていきます。その次に、息をゆっくり吸いながら体をゆるめ、右手を上手のひらを下にしてボールを抱えるようにしてください。次は左右対象にします。これを何度か繰り返してみましょう。胸骨と肩甲骨の開閉運動だけでなく、肩甲骨の紡錘円運動により、だんだんと肩が動く範坐道亮翅囲も広がっていくはずです。

立って行う白鶴亮翅は、下半身も使って動きますので、肩を重点的に行いたい場合は、できれば座って行う坐道の亮翅がオススメです。
太極整体では、立たせて後ろから、この掛ける側も掛ける側も白鶴亮翅の形になるように擒拿術で固めながら、鳥の羽を開合するようにして行います。

期門穴「点穴術・拿穴術」と腎

期門穴 経絡のネットワークは腎から始まり腎で終わるが、十二の経絡の流れで気穴に流注していた気は、正確なリズムを持ってこの期門穴への流注で最後となり、次に腎へ向かい章門穴で気の流れを治めながら、京門穴から腎へ気が流れていく。

期門・章門・京門は体の気のネットワークにおいて、期門は経絡全体の気の昇降や、経穴からの気の出入りの正常なリズムのようなもである気機を司る。止まること無く、運動し続ける活力である気の、そのリズムを狂わせると、体全体に気の統一感が無くなる。そわそわして、落ち着きが無く、不安で、少しのことにも怯え、心臓や肝臓の疾患にもつながる。鬱状態などが極まるだけで無く、よくつまずき、足元がよろつき、情緒不安定で、自分の体が自分で無いような感覚になる。様々な症状が全身に起こる。又ここは詳しく紹介する。

この場所への点穴は、ただ打つだけでは行えない。ここは、経穴が浅く小さい場所で、特別な打ち方があるが、強烈な痛みがあり、不整脈などを招くのでとても危険な場所である。ここへの点穴は適度に行えると、相手の戦意を著しく消失させることができる場所である。話すのもままならず、もうろうとして戦意を喪失する。唖穴・暈穴となる。しかし、的確に点穴すると、一斉に気が乱れ、不整脈や徐脈などの重篤な症状を招くので、むやみにこの場所への、特に踢脚などの鑚脚は行わないようにする。どちらにしても、二重構造の胴をつけず、太極拳の踢脚などを本気で蹴り込むなど、相手を殺しても良いという故意に等しいものであり、絶対にやめるべきである。

気機の乱れ方には虚実があり、活法において、期門は虚を担当する。すなわち、リズムが速く乱れている場合、心臓で言うと頻脈、それに伴う不整脈の場合などに、緩やかにして正す。兪穴は肝兪穴であり、逆にリズムが遅く乱れている場合、心臓で言うと徐脈、それに伴う不整脈の場合などに、速くして正す。どちらも拿穴を行う。
期門は気のリズム、章門は気の流れ、京門は気の強弱と覚えておく。
そして腎は言うまでも無く、先天から受け継いだ生命力そのものの気が宿る場所である。ここはボクシングでもキドニーブローといい反則とされている重要な場所である。太極拳の擺蓮脚、下勢打虎などはここを直接狙う。ここの皮下組織は薄く、腎臓に直接、勁が届き外傷を受けやすいので危険な場所である。腎不全などの症状を起こすと、軽い場合は、悪心と嘔吐程度であるが、重度の場合は、けいれんや昏睡を招き、死亡率は50%である。又比較的軽い打撃でも、腎は内分泌系や免疫機能など全般の機能低下に繋がり、生命維持に重要な場所であり、ここの障害を持つと一生涯における生活の質を低下させる。それほど重要な場所であるから、肺と同じく二つあると言っても良い。ここを強く打つと、7年後に死ぬと言われる場所である。一挙に老化が進み、免疫力低下のため、がんなどの病に冒されやすい。にもかかわらず、巷では回し蹴りらしきものを多用した仕合や練習を見るが、通常の防具では背中側の腎は守られておらず、当たりどころが悪ければ、重篤となる。しかしながら、本気で蹴っても、巷の回し蹴りは蹴りがさほど強くない場合がほとんどで、重篤にはならないが、万が一当たり、後に腎臓に障害が出たり、免疫機能が落ちたりなど、体に支障が出ても、もう後の祭りである。太極拳には搬という腎を守る為の技術はあるが、またそれをかいくぐって打つ技術もある。太極拳を真に学べば、その腎、及び、京門、章門、期門などの経穴の周辺を、本気になって練習で分脚や踢脚、擺蓮脚で蹴り込んだり、下勢打虎などで打ち込む仕合や散手練習など恐くてできなくなるのが本当のところである。
腎には先天から受け継いだ気が宿り、肺にて自然界に存在する清気を後天的に取りいれ、脾臓において飲食物から栄養素を体内に後天的に取り入れて、生命を維持するのである。その土台である腎を崩すわけであるから、これは生命をじんわりと絶ったと言っても過言では無い。実際に腎を強烈に打ったり蹴ったりする技術があることを知れば、たとえ防具を着けていても、腎を守ることなく、安易な仕合や散手練習は恐ろしくなるはずである。愚かなことはもっとも恐ろしいと言える。

■点穴術と拿穴術の招式(運用法)

※門下の自宅稽古のために、練習済みの運用法をおいおい掲載するようにしています。

体のさびと気順

 全身に気を巡らしていく。套路をするにも、対錬をするにも、この気順があってこそ太極拳です。

全身の細胞にエネルギーを行き渡らせ、新陳代謝し、酸素を消費し、又供給する。体に呼吸と気がみなぎる。

30代と言わず、20代から、いや子供の頃から、全身に気が巡り、酸素を健康に新陳代謝する能力を維持し続けることは、将来の健康な生活の保険のようなものです。

太極拳を修行するものの心得として、30年前の心身の状況が、現在の心身の状態の基盤を作っていると考え、30年後の未来を想定して、今を生きています。又逆に、30年前の状況が今我が心身の基底であることを認識して、今を生きています。

太極拳は、放鬆(全てをやわらげる)と三節(出発点・中継点・末梢の循環)という技法を用いて、気や勢と共に血や津液、酸素などを巡らします。無理な消費も、無理な取り入れも全てこれで解決していきます。

気順ができるようになると、何も無くても掌が真っ赤になるほど、気血が巡ります。
さびは、油の行き渡らないところに酸素によって酸化されて生まれます。人間の体のさびも同じで、気が行き渡らないところに酸素が滞り酸化します。

滞りの無い純粋な心(神=しん)そして、折れることの無い爽やかな気(真気)そして、健康な身体(精=せい・生理や脳も含む)を取り戻そうとする太極拳の修行は、過去も未来も今ここにある。その精神にもとづき、この瞬間を全ての命をもって生き抜いているのです。これが人生における気順であると、考えています。過去も未来もこの今にある。ここから始まる気順は過去も未来も気が巡り、そして過去のひずみや滞り、未来の心身のひずみや滞りをなめしていくことになります。

年齢に関係なく、過去未来のさびを浄化することを、今すぐに始めること、それをお勧めします。

65歳を超えると、7%の人がアルツハイマー病になります。100人中7人ですから、かなり高い確率です……しかし、「まだアルツハイマー病になる年齢じゃないから関係ないや」と思っていませんか?

それは大間違いです。アルツハイマー病に限らず、多くの病気はある日突然なるわけではありません。

30歳を超えたあたりから、気づかない間に少しずつ少しずつ、しかし確実に、体内に「活性酸素」のサビつきがたまっていき、そのダメージがある限界を超えたとき、症状が出てくるようになるのです。

つまり、症状が出るころには、かなりサビついているということなのです。

引用元: 澤田彰史:30代から始める、アルツハイマー病予防法- 毎日キレイ.

違和感

違和感。
清々しい命(生命ではなく、刹那の命)、爽やかな性(先天的な人間としての性)、絶対的な理(何の相対的な条件も影響しない理)が丹、それ以外のものを違うと感じる、その違和感です。
美しい真珠を選定するときに、ひたすら美しい真珠を愛でてその命と性、その理を感じ尽くしてから、多くの真珠の中から違和感のあるものを感性で取り除いていく、そして残ったものが高潔な真珠として世に出て行く。

太極拳では、坐道(静坐)や存思(瞑想)でひたすらこの感受性を高めていきます。

武道においては、丹は内勁に有ります。この内勁に違和感のある動きを、武道練習の中で見つけ出し、それを消し去っていきます。

套路においても、この違和感は命を濁らせ、性を蝕み、理が合わず、型を崩し、丹を失い、勢を留めます。
相対練習においても、技を流し、自らが崩れます。自らが崩れると、自らの命、性、理が共に崩れ、内勁は育ちません。

内勁を教わることで、その内勁との違和感を感じ取りながら、自らの内勁を育てていきます。
すなわち、内勁には命と性と理が備わります。丹が備わり技も完成します。

実は、備わるというよりも、ただ思いだしただけです。元々にある先天の能力を。

丹が備わり、人生の日常においても、それに対する違和感を感受すれば、ただ道を歩いているときもあらゆる危険を察知し、人と交わるときも、その邪を見いだし破り、また違和感が無いものとはすぐに融合し、人を活かしていくことは、まるで内勁が備わる太極拳のようです。

このように、違和感というものは、丹を中心にして感受されるものであり、すなわちその丹を極めること、それが大事なのです。

そして、聴勁にしても凌空勁にしてもあらゆる発勁は、その感受によって発せられるのが太極拳です。
宮本武蔵が極めた枕の先。これも全て丹と感受の賜です。

違和感に無意識で動けるようになれば、太極拳も剣術も人生も神明に達することができるのです。

導引法

「小さな池の中にいる鯉。その鯉たちは、原気を解放しているのであろうか?解放したなら、この池をもてあますのだろうか?いや、すさまじい原気を他と融合させる。生き物たちは先天的にその理で生きている。我ら人間も生き物。その生き物たちのように原気の解放を思いだしたなら、同時に融合がある。それを忘れては元も子もない。それを忘れさせてしまうのが後天の病である。我ら人間が陥っている途方も無い病である。」

行き場所の無い解放された気を融合する、そして又新たな気を解放して融合させる、これが導引法です。

例えば息を吸い続けると息を吐きたいという気が生まれます。そして、その気を解放して息を吐くととそこで快感が生まれますが、続けて吐き続けていくと、同時に苦しくなり、今度は吸いたくなります。この繰り返しになります。このような状態は、気が高まれば高まるほど苦しさをただ伴います。これはあたりまえのことです。

そこで内丹は、無極という陰も陽も無い、極が無い世界を元々の源としてます。
呼と吸が一体となった世界、陰と陽が一体となった世界、気が膨張して高まる陽の世界、気が圧縮して静まる陰の世界を一挙にして同化することができるのです。膨張の場合は飽和。圧縮の場合は消滅です。

これをもっとも、素早く身につけるのが、太極拳の武道における発勁なのです。技の中でその発勁をしたときの快感をもって、経験的にその理を実証していきます。

無極における発勁が太極拳の技の完成の到達点です。実物としての相手と技を掛け合い、その発勁の瞬間を自分だけでは無く、他を同化して体験する。これが、内丹を極めるための最も早い方法であり、頓法と言います。

現実的に融合して技を完成させた感覚。これが大事なのです。その感覚を覚えた上で、その感覚を得ながら套路を毎日やる。家で静坐や站椿、内丹術をやる。又他のクラスでもやるも良しです。

内丹を身につけても、それは単なる手段です。我が身が健康になり、気が充実して解放されても、他との融合を得ることが無ければ、悶々ともてあますだけで無く、それらの気は行き所を失います。行き所を失った気は、闇雲に自らを傷つけ苦しめ、他者をも容易に傷つけます。そのようにして解放された気は快感と苦しみを伴いながら、矛盾を繰り返していきます。これを相乗・相侮すなわち乗侮の状態と言います。そして気ばかりが高まり、いつまでたってもその苦しみからは逃れることはできません。お酒を飲みたくなって、お酒をたらふく飲むと一挙に快感が押し寄せ高まり、同時に苦しみも伴うという感覚です。わかりやすいと思います。いつまでもお酒を飲み続け快感も高まり続け、苦痛も高まり続け、いつかは廃人又は病人です。ヨガであれ、内丹であれ多くの人が簡単に陥るところです。

武道で無くても、太極拳でその丹と、そこから発せられる気と勢いを実生活で他者と融合していけるなら、それがもっとも素晴らしいことです。しかしながらその実感はなかなか得ることができません。ですから理論や、知識だけで自らを満たそうとすると、より現実からの逃避と、気の解放の放置に甘んじるしか有りません。そこで生まれたのが太極拳などの武道にある導引法です。
ですから、その実感の積極的な現実として武道としての太極拳があるのです。真の日本の武道もそれらと同じ原理を目指しています。

技が完成すると、とても気持ちの良い快感と楽しさが生まれます。技ができなかったときの違和感や苦しさも無くなります。
ここで積極的にこれを身につければ、現実生活にあるあらゆる事象も同じように融合しながら楽しめます。攻撃してくる相手と融合して自らの勢とするのですから、実生活ならいとも簡単です。武当派では、そのような人法と言うべき陰陽術も太極拳としての武道の体系に組み込んでいますから驚きです。
そして、武道の練習では、何も考えずに、楽しくて気持ちの良い感覚で技が完成することを多く経験すれば良いのです。
あとは、そこで知った感覚を認識していくために色々な理論を知っていけば良いだけです。そこに無為自然があるのを発見するのです。真の日本の武道と同じですね。

又、太極拳の套路だけで丹と勢を得て、その太極拳の型を覚えたなら、それを実際に使って武道をたしなむこともできます。
これはその丹と勢の結果を知ることになります。これが漸法です。どちらにしても武道は、それらの結果を経験しながら実証して行く方法としては最適です。もちろん丹と勢のある套路を身につけて、その丹と勢を生きていくあらゆる事象の中で使っていくのも良しです。
気を全てと融合させる、これが最も大切なことなのです。そしてこれが気功も含む内丹術の行く境地です。太極拳はその地に導く優れた方法の一つ、すなわち導引法なのです。

夜は心身の内を見直す。

 太極拳の夜間クラスでは、7時頃に夕食を終え、その後は感受性を高め、自分の心身の内をことごとく見つめ直す時間です。
この心身の内を見つめ直し、丁寧に練り上げて、丹としていくことで、昼間の活動の中心にしっかりと備えることが狙いです。

武道においても不動心や、強力な胆力、平常心、内勁には無くてはならない丹です。もちろん套路を行うときにもその丹を練り上げながら練習するので、健康効果だけで無く、自信あふれる精神や、精力あふれる整った生理や肉体、まろやかな弾力のある心が育っていきます。健全な丹があれば、ただ無為で自然で人生を謳歌することができるのです。

その心身の内を感受性を高めて観じてみると、身体内には十二経絡の循環というネットワークが存在することを知ることができます。十二経路だけでなくそれらを連携する経絡(奇経八経)もあります。経絡は現在科学でも検証され、経験的に実験された実証を証明しつつあります。経穴はそのネットワークの症が体表に現れる部分でもあり、また、フィードバックできるところです。

夜間クラスでは、まず立禅や坐道・動功を通じて、そのネットワークの流通を感受性を高めながら感じ取り、活性化していきます。

まず、臍下の指二本の幅くらいのところに気海(きかい)という経穴があります。その奥が、臍下丹田(お腹と背中の中間あたり・下丹田)で、元気の源で、丹の元になる場所です。丹田で火が焚かれて、その少し上にある腎臓あたりが温まるイメージです。この場合は、副腎が内分泌器になります。経穴は中脘(ちゅうかん)です。ここで元気によって焚かれた腎にあるエネルギーはわき上がり、波動が始まります。まずネットワークに走るエネルギーの波動(気)はこのようにして始まります。

 そこから、体の中心を走る、衝脈(しょうみゃく)という経絡を通って、会陰という経穴の対応部分(性腺)まで波動は下ります。会陰は肛門より少し前の体の中心です。性エネルギーを高めます。そこから尾閭(びろう)という尾てい骨の先から、脊椎に沿っている夾脊(きょうせき)という経穴のある経路を通過しながら頭の後ろにある、頸椎の最終部分、すなわち背骨と頭蓋骨の結合部分まで到達して、玉沈(ぎょくちん)という経穴を抜けて、頭のてっぺんの百会(ひゃくえ)に到達します。ネットワークは体の表面も含めて内部深くも走っていると考えます。平たく言えば、背骨を通じて、脳の内部にエネルギーの波動が到達すると考えるとより現実的です。

百会はメラトニンという心身にとても有益なホルモンを分泌する松果体の経穴です。そこから顔の前面の眉と眉の間の印堂(いんどう)という経穴に到達します。そこは脳下垂体の経穴であり、百会など頭部の督脈(とくみゃく)を駆け巡りながら、視床下部や、脳の中心部にある泥丸(でいがん)に到達します。ここは上丹田であり、脳の内側と考えればよいと思います。古皮質や旧皮質の脳が活性化する感覚です。吐納法の場合は、ここまでは吸気で運びます。エネルギーの波動の末端は人中という鼻の下の中心です。

上丹田で練られたエネルギーの波動は喉を伝って甲状腺まで到達します。その経絡にある経穴は、口の下の中心の承漿(しょうしょう)、喉の中心にある廉泉(れんせん)です。甲状腺から抜けて、次に、免疫系の要である胸腺に到達します。経穴は天突(てんとつ)を抜けて紫宮(しきゅう)です。ここで、甲状腺と胸腺のあたりのエネルギーが活性化します。ここが中丹田です。

そこから、お腹の第二の脳と言われる太陽神経叢に波動は向かいます。その最上部にある経穴は中脘(ちゅうかん)で、膵臓にある内分泌器を活性化します。そして、腎にエネルギーの波動は戻り、その波動を受けて、臍下丹田にある元気がより焚き上がります。そしてその周辺の太陽神経叢が活性化します。吐納法の場合はここまでが呼気でで運びます。これの連続で、どんどんと各丹田を焚き上げていきます。ここまでが小周天(しょうしゅうてん)と呼ばれる太極拳の内丹術です。

以上が体の中心を走る大きなエネルギーの波動です。その波動により、体中の全経絡に波動が伝わり、あらゆる臓器を活性化します。
夜間クラスでは、いつも他のクラスでの予備運動として行う指龍(手の指を順番に回す運動)をより綿密に、そのネットワークの確認をしながら行っていきます。
わき上がった腎のエネルギーの波動が、左右へ分かれまず肺経に流れます。手の親指が井穴ですからそこを回します。そして大腸経、指龍では手の人差し指を回します。そこから胃経です。井穴は足の第二指へ抜けます。そして、足の親指から脾経に入って、心経に合流して、手の小指の内側の井穴に抜けますので、そこを回します。そこから、小腸経(手の小指の外側が井穴)に伝わり、膀胱経に合流して足の小指の外側の井穴に抜けます。そして足の小指の内側で腎経に伝わり、心臓の周辺の心包経へ合流します。井穴は手の中指にあるのでそこを回します。心包経は三焦経に伝わり、体の支持組織の隅々まで波動が伝わります。井穴は手の薬指にあるのでそこを回します。そこから交感神経のバランスも整えて、胆経と合流して足の第四指の外側の井穴に抜けます。そして足の親指の内側に井穴を持つ肝経に伝わり、また腎に戻ってきて、統合され、この繰り返しが、エネルギーの波動を増幅していきます。これが太極拳の内丹法です。
このように、経絡のエネルギーの波動の循環を活性化して、全経絡に均衡を取り戻すと、原因不明の痛みや各種違和感、不定愁訴、不安や焦りなどを消失させ、体の末端にまである体細胞を蘇生、活性化するような感覚も取り戻すことができます。

内丹法は、動かないところも、エネルギーの波動が行き渡らないところも無いとする、太極拳の勁の理に整合するために、血液や内分泌、神経系統はもとより、そのような導管を持たない腺の循環経路と、その媒体である支持組織まで波動を及ばせることを積極的に経絡学説にもとづき実現しようとするものです。

このような循環を取り戻すと、この感受性は、大周天(だいしゅうてん)という、天と地の気との循環も感じ取れるようになります。大周天については、又、別に述べます。

原因のわからない腰痛

原因のわからない腰痛が、腰痛の80%を占めているという報告があります。 脊椎に起因する腰痛は15%程度です。 原因のわからない腰痛は、すなわち原因のわからないところでおこっている訳であり、わからないとされているところを改善していけばよいのです。 太極拳の内丹術はそのようなわからないところをまず健全にします。 内丹では築基と言い、体の生理から内分泌、肉体と精神のひずみを全て正しく戻すことをいいます。 それらを色々な方法で改善してから、太極拳で本格的に奥義を教えていきます。 これらの内丹を含まない套路や、武術を繰り返していると、そのわからないところはわからないのでより悪化するのは当然です。

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套路や武術練習では、必ずこの内丹を調整しながら練習をして、築基が完了したものに、より深い太極拳の動きを教えます。 この時には、原因のわからない腰痛など、又、調子の悪い体や精神などもう有りません。 私のところの太極拳クラスでは、太極拳を深める以前に、この内丹をより専門的に行うクラスを新設しました。 原因のわからない腰痛、原因のわからない不定愁訴、原因のわからない憂鬱などなど。 原因のわからないものはわからないとされているところを徹底的に正常化することが必要です。 内丹はそのわからないところを、遙か昔から経験と実証で、わかるようにしてきたものです。 内丹における精神作用も肉体作用も、現代精神学、現代医学でも科学的に立証されてきています。 原因のわからない。という何かがあれば、騙されたと思って、まず当方の夜間クラスにおいでください。 武当山が源流の太極拳の動きは、内丹技術を欠かしては成り立っていません。 内丹の備わった太極拳をぜひ身につけて、一生涯安心して行える、簡化24式の套路やもっと複雑な套路を生涯の友とすることをお勧めします。

気力が湧かないままで、どうぞ。


自殺大国日本において、最近特に女性の自殺者が増えてきています。(2012年6月8日政府の自殺対策白書)そのもっとも多くを占める原因は健康問題で全体の過半数になっています。
これらは、これといった病気ではなく、何となく活力が低下し、疲れやすさすなわち易疲労があり、今まで楽しかったことに興味がなくなってきたり(アンヘドニア)、そして何か鬱々するというものです。

そして、なかなか元気になれないというところから、食欲がなくなったり、イライラしたり、風邪をひいたような症状や、腰や膝の痛みなどと発展していき、何らかの健康に問題があるのではと感じるのです。

そして、悩みを一人で背負い込んでしまったりしてより落ち込んでしまいます。

そうなってくると、ひどい不安を招き、それらを解消するために仕事やネット。ゲーム、ギャンブルなどにのめり込んだり、アルコールを過剰摂取したり、違和感や焦りやイライラが強くなり、もうどうしようもなくなります。

そして、心気的とらわれが強くなり、焦燥感が激しくなってくると、もう誰の声も耳に入らなくなってきます。ほぼ心気症(ヒポコンドリー=hypochondria)の状態です。

これらがうつ病に移行するか、また、心身の重要な病気になるかは時間の問題です。

また、ストレスですが、MRIを使って行なった研究では、強いストレス状況下で感情や記憶の消去をつかさどる脳の部位が委縮していたことが判明したそうです。ストレスはこのような生理的な心身作用にも大きな影響を与えますから、ストレスをためておくことは、よりそれらを進行させ、または原因にもなると言うことです。

その前に、やれることがあるはずですが、病院に行くほどでもなく、漢方薬を飲もうとも、何かスポーツをやろうが、友達と会おうとも気力が湧いてきません。

 それならいっそ気力が湧いてこないまま、根本的な生命力を呼び起こす方法があります。

これが、武当派の太極拳に伝わる内丹術です。
内丹術は、完全にリラックスした状態で先天の気という生命力の気を呼び起こしていきます。
その生命力の気に押し上げられることで自然と人間社会で生きていくための気力を湧き起こしていく方法です。

太極拳は、完全な放鬆状態から、発勁ができる武道です。
放鬆状態はいうなれば、気を沈めている状態です。その状態から気を立ち上げるという技術が完成されている希な武道です。
そのために、様々な修養方法が長い歴史の中で伝承されています。
大切なことは、気力が湧いてこないのであれば、同じように気を沈めている仲間と一緒にいながら内丹術を行い、生命力自体の気を高めることです。太極拳では生命力自体の気を先天の気といいます。

後は、先天の気に押し上げられ、自然と後天的な気が起き上がってきます。後天的な気を引き上げようと無理をすればするほど、結果は悲惨なものになりがちです。
ある程度生命力が持ち上がってくれば、自分自身の「生き方」を広い視野で考え直してみるのも良いかもしれません。太極思想や道「タオ」が考え直すためのヒントにもなるかも知れません。

このように私は、自立厚生の立場から、太極拳の内丹術を積極的に提供していくべきと感じました。

私は、夕食後は妻と二人で内丹術を生活に取り入れ、そのまままどろみながら、まるで胡蝶の夢(夢か現実かわからない)のような世界を体験しながら、ベッドに入れば、入ったのも忘れるぐらいの数秒で寝てしまい、あっという間に朝を迎えています。

そこで、夜は武道練習をやめていたのですが、大阪や京都で実施していた太極拳の内丹術と瞑想を行う夜間クラスを復活することとしました。当事は瞑想太極拳クラスとして行っていました。

夜間クラスでは、一日に一つくらいは套路の型を存思(そんし)という瞑想でとても緩やかにリラックスして行いますから、楊式太極拳の套路も身につきます。生命力が立ち上がり、後天的な気も元気になれば、本格的に太極拳にも取り組んで下さい。強固な心身が呼び戻されます。

それでは、夜間クラス。ぜひ多くの方のご参加をお待ちしています。