タントラとしての太極拳

 王流の楊式太極拳は武当山で修養されていた内丹術としての行でもあります。

天地万物の構成要素としての気を、行気・運気・導引・存思・吐納などを修養し、身中の「内丹」を練り上げ、身心を変容させて、道(タオ)への回帰を目指し、性命を内側から鍛練する東洋の伝統的な修行法です。

『老子』第四十二章の「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず」

根源たる「道」すなわち完全なる無。そこから先天の一気が生じ、一気は陰陽の二気と成り、陰陽二気は交わり,解け合い融合するようでふれあいながらの沖和の気を生じ、陰陽と沖和の三気から万物が生じます。
道からすなわちその象徴である神(しん)から気がが生じて,その気が陰陽に分かれながら交わって精を生み出すということです。

原子力の融合と分裂の仕組みと同じですね。また宇宙の化成も同じであると考えます。

内丹術は、人間が生成するときの順序も天地万物が化成するときの順序も当然として同じであると見るのが内丹術の考えです。

何も無いところから、陰も陽も何も無いところから、完全な無からまず神(しん)が純粋に生まれます。
その神から気が生まれます。神は一気。そして陰陽に分かれ二気になり。例えば、男女。陽子と電子。に分かれます。その一気の神と気が融合したところに精が生まれるのです。
精は生成のであり。人間であれば人間が生じて一気。男女として二気(例:アニマとアニムスで男女に混在)です。それが融合して胎児が生まれる。これが三です。胎児はまた神として一気になり。男女として別れ、三の生成を繰り返します。その循環を生むのです。

陰陽のもとは無です。陰陽が変転する太極は、どちらももとは無であるから太極なのです。すなわち人間という以前に自然であり、自然の中で精を得た場合に陰陽の気が生まれ、また自然に戻ろうとするのです。それが人の生死です。
一が二になって世に存在し、その陰陽が癒合しようとするのです。これが内丹で一に戻るということです。
すなわち、男女で言うならば、男女が融合するということです。沖和の気(愛情)をもって、神気精共に融合するのです。
これがタントラです。

このように、陰陽変転の基盤にあるのは、不易。変わらないもの。すなわち一なのです。一は無から生まれた最初の一気であり、元々は一つのものです。
それが分かれたから、一に戻ろうとするのです。変化をしない最も安定した状態に。無為で自然な状態に。
一が、二になって、すなわち神が気を生む。神と気は何も生み出さない。神と気が変換を繰り返すだけです。
純粋な心がエネルギーを生み出す。純粋な揺らぎがエネルギーを生み出す。
ただそれだけです。

無が無であるためには、有を生み出す。これが一です。一気なのです。相対性を生み出す両儀がここで生まれます。
純陽の中に一陰が生まれるのです。この一陰が純陰です。
一気は純陰。すなわち神は純陰です。無の純陽の中に一気が生まれる。宇宙のおこりのビックバーンです。
一気はここで二気になります。一つは神、そしてもう一つは気と呼ばれます。物理学では陽子と電子。すなわち総称して、陰と陽ですが、その変換は神が自らを知るために無を見ると無が陰になり変換するのです。相対性の理論です。

そして、その陰陽が混沌としながら移り変わるのです。これを太極といいます。

この別のものが交換しながら融合して一に戻ろうとする。二でなくなろうとする。完全に一つに戻ろうとする。すなわち沖和。これがタントラの行なのです。密教にもこの思想を簡単に表に出せないので、この部分を秘密にしました。男女の融合を神気精の一致として,二が一に戻ろうとして,三を生み出す過程として説明するには、ただおししようも無く、行に収めようとしたのです。密教のことはこれぐらいにしておきます。

そしてこの神気の二が、この世に現象を起こそうとするのです。新たなものを生み出そうとするのです。すなわち生成です。森羅万象を生み出します。すなわち易です。変化するものです。そして精が生まれます。人間なら、そこで人としての全てを生成します。

このように、太極拳は融合を求めることを重視するのです。それは陰陽和合であり、ひたすら一を求めます。
多くの武術は生成、すなわち精の生成を求めるようです。神と気から生まれ出た結果を鍛えるのです。収斂を続けます。そして後天に蓄えて、また分散します。この三を求めた場合は、充分な肉体鍛錬を欠くことはできません。しかし、最後には三も一に戻ることで武術の完成があります。

太極拳はただ一に戻ります。そして先天を取り戻します。
タントラもただ一を求めます。神気精が一致した融合を目指します。肉体的な鍛錬は、先天にあるものだけで良いのです。

太極拳もタントラも、最初の一気でひとまとまりに神気精を一に戻します。
最後の境地を一挙に得るのです。このような道を、タントラといい、太極といいます。

太極もタントラも、一挙に全てを手に入れます。
一挙に愛し合います。一挙に相手を融合して制すします。

太極拳もタントラ同様、頓法[急速に進む方法]ですが、全てが一致していないと、とてつもなく成就し難いものです。

そこで太極拳にはその成就のために、漸法[ゆっくり進む方法]として内丹術が用意されているのです。内丹術はゆっくりとその無から一・一から二・二から三・三から二・二から一・一から無の修行を理解していきます。

しかし、太極拳は一挙にそれを得ることができます。それを得ないと太極拳にならないからです。
タントラもそうであす。純粋に愛し合うことができれば、すぐに男女は融合できます。そこになんのこだわりがあってはならないのです。そのこだわりを捨てるために、太極拳でも道があるのです。タントラにも法があるのです。それを学ぶのです。

しかし、私たちは学ぶより経験を教えます。それが太極拳の経験です。

太極拳の神明を得るまでは,内丹と道(タオ)を一緒に学べば良いのです。また学ばなくても良いのですが、内丹の理解は経験と共に身につきます。

タントラも、男女が純粋に愛し合えるまでは、まず愛し合うことから始めるのです。なんのこだわりも無くです。タントラは、その中で、法(ヴェーダ)やヨガを学べば良いのです。密教では、空海がそこを明確に説いていますが割愛します。

このように、私たちが学ぶ太極拳は、タントラとしての太極拳でもあるのです。一挙に融合を得る。一に戻る。
それができないのであれば、私たちは太極拳とは言わないからです。

新羅万象を陰と陽から一に戻す力。これを愛と呼びます。凄い力ですね。

太極拳もタントラもこれを修行します。

武術と套路

套路の武術性。

套路においての真の武術性は、武術の根本にある 人間本来の融和という能力にあります。であるから、套路は美しくて荘厳で力強いのです。

人間に潜在する能力は、枠や条件にはめず、おおらかに開放してこそ、発揮されます。それが太極拳の神髄でもあるのです。そこには、人間本来の素晴らしい活力と、全てのものと仲良く調和できる陰陽合一性がある から、人はこの武術を太極拳と名付けたのです。

楊式の古式は武術の動きをそのまま残そうとしている。

套路を行うときは、武術の大切なところと、発勁を発するときの細かな動きを失わないために、ゆっくりと動く時には膝をつま先より前に出します。一般的に日本で普及している健康太極拳とこの一部分をとったとしても違います。膝が出るのは、発勁の時の纏糸勁の軸の回転の慣性を利用した、運動力学の新たな考えでもあります。いま、このような紡錘円の動きは見直されていますが、その動きは武術の本流理論 にも合致しています。又、古い考えだけに囚われずに、新たな実験も必要であると思います。しかしながら、伝統的な、古式太極拳を形を壊さず演じている劉高明先生の套路と、同じように套路を演じることで、その心の導きにより、陰陽和合に生まれ、套路の動きはさらに良くなることもあります。
しかしながら、偏見や、局部的な武術性にとらわれていては、太極拳の全体的な姿を見ることもできません。もっとおおらかに長江大河のごとく、それが太極拳の達人たちの心であるのです。

瞑想太極拳の神髄

85式は楊式の宗家 楊露禅が大成したもので、錬丹法の一つとして黄帝内径とか気功と併せて行われ、仙人を目指す道教の太極陰陽思想の意識を内に秘めています。

中国の華僑賢人達の錬金術として伝統的に伝承され、そこから国民体育法として24式や、その他の流派の集大成として48式が生まれ、88式は85式の体育法として現在に至っています。私たちの太極拳の目的は錬丹法としての太極拳であり、太極拳を深く練っていきます。

第一に85式の形を覚え、その次に虚実陰陽、無極円心の動きを加え、体操太極拳として完成後、気と呼吸を入れて気功太極拳を完成します。

ここまでが体を中心とした錬丹法。

その次に意(心意)を動きの中に巡らせる想念法で太極拳の太極感作(陰陽虚実などを心身感覚で認識すること)を行い、心と体の動きを完全に一致させ、心身一如の太極拳を完成させます。

太極拳の動きは、太極思想といわれる自然の法則に従った動きであり、その動きに心を合わせ、その想念を意識することで、心が自然になり、又、その自然な心が意識できるようになります。

このころから、無意識呼吸で自然と気と呼吸が体を巡り、合わせて心が同調し、意識に感じます。

逆に、心や体に乱れがあると違和感を感じたり、端から見ていると自然な動きになりません。

太極拳を見ているとその人の心が分かるのはその為です。仙人といわれるような賢者は、日常の人の動きでその人の心がわかるのも、太極拳の修行のためです。

武道家が相手の動きを読むのもその為です。

最後の到達点として、無極の中で動く太極拳を行います。

殆ど無意識で自然と体が動く、動きと動きの間に無極(ギャップ)が生まれ、時間の止まった感覚が始まります。宮本武蔵の悟りと同じです。

全体はとても緩やかで、私と私の先生は山の中で85式を3時間で演じました。

全くの瞑想状態で、あらゆるものの動きが緩やかに細かく敏感に感じ取れます。

自分自身の体も空気も一体となる感覚で、この感覚を得ると、想念による太極拳の意識(認識できる心意)はそこにある一部であるということが分かり、ある時に世界が変わります。

あらゆるものが美しく光り輝き、聞こえなかったものが聞こえ、当たり前と思っていたことがそうではなかったことに気付くという世界です。

これが、瞑想太極拳への入り口です。

王師語録#1

伝統を守ることはよいことだと思う。しかし、その伝統が間違っていないとは言えない。

歴史を振り返ってみればよくわかることだ。

古き伝人のやり方にこだわっていると、真実の道を見つけることはできない。

しかし、伝統の中にも真実がある。この矛盾を受け入れることが太極の道である。

(王師と話していた事を回想して語録に記録しています。下記にはその回想のきっかけになった事柄などを記載しています。)

映画英国王のスピーチの一場面「ガラス玉を口いっぱいにほおばり話す練習をするという、ギリシャ時代の練習法をする場面」を見ての回想

太極拳とストレッチ・柔軟運動

本来の太極拳は、中国北派の武当山中心に修行されていた武当派といわれる拳法です。楊式太極拳を普及したとして有名な楊澄甫も、南京中央国術館の武当門門長として太極拳の普及に努めました。

このように太極拳などの武当門の拳法は内家拳と呼ばれ、少林門といわれる少林寺を中心とした門派を外家拳と呼んでいました。
内家拳と外家圏の違いは、史実からなど見ると、内家拳の創始者といわれる張三豊が道家の内家にいて創始した拳法であり、少林寺をを外家と呼んだこととか、色々説があります。
しかし、大きな違いは拳法の攻防理論にあるといわれています。
外家は功夫(鍛えて訓練すること)にて、肉を鍛えて、腹式呼吸での虚実(運動のオンとオフの切り替えのようなもの)を育て、打つときには緊張を高めます。内家は勢という自然な勢いを修練して、筋を俊敏にして、逆腹式呼吸での虚実を育て、打つときには緩和します。
このように、一つの拳法理論をしても相対した理論を示すことができるのですが、外家と内家で厳密に分けてしまうことはナンセンスであり、ただ、自ら修行する拳法の仕組みを知るための一つの考え方であるものであると思います。
そこで、最近ストレッチは有害という情報をよく目にします。
多くのスポーツ選手にとってストレッチは有用だとされていて、ほとんどの人が疑いもなく運動前や後には柔軟やストレッチ運動をしていました。しかし、現在のスポーツ研究ではもはや議論の必要すらないぐらいにストレッチは有害だというのです。
実際にストレッチを行った事が運動のパフォーマンスに与える結果を調べてみると、全然効果がないどころでは済まず、ストレッチを行った方がむしろパフォーマンスは低下し、怪我も起こしやすいという衝撃的な調査研究結果が2000年前後から次々と発表されているのです。
このようなことでも、今になって実は有害で効果がなかったという事になるぐらいですから、拳法の理論も伝統的なことをただ引き継ぐだけでなく、色々と疑問を持って研究することも大切だと思います。
さて、内家拳では身体の柔軟運動や筋をのばす運動は行わないというのが伝統です。
これには、ちゃんと理由があって伸びすぎ、固すぎを嫌うからです。
単純に伸びすぎているものはすぐに切れるし、固すぎるものはもろいということです。ストレッチは伸びすぎの部類として考えられているからです。又、人間の身体は固すぎというのはなく、太極拳の技法で相手を固めてしまうことで、固くしてしまうと考えています。採勢(採り固める)や擠勢(押し固める)などの勢で相手を固くして、壊すという考え方です。又、相手の関節の筋をのばして無力化して壊してしまう技も太極拳の擒拿術には多く有ります。擒拿術の練習で筋が伸びてしまうと良くないので、その都度、整体で伸びたところを固めて元に戻すほどです。伸びた状態を経験した人はわかりますが、その部分の脱力感と脆弱感(脆く、傷つきやすい、攻撃に対して弱いよ
うな感覚)は身をもって理解できます。
このような経験的研究から、太極拳では柔軟やストレッチをしません。
現在の研究では、伸びすぎた筋はもろく運動効率が悪いこと、エネルギー効率は、関節が硬く可動範囲が狭いスポーツマンの方が優れていて、関節が柔らかく可動範囲が広いほどエネルギー効率が悪化してゆくことも発表されています。
内家拳はもともとは道家の内丹術という、健康法と合わせて発展していったものですから、このような健康効果については相当な経験的研究が行われました。
仙人になっていつまでも若く健康に生きようと考えるほどですから、医武同源を武道に求めていったのです。
拳法の修行をして健康になり、身体もこわさず、本来の身体能力を取り戻して、有事に身を守ることができるという経験的研究に成り立った武道が太極拳です。
可動範囲を広げることで、套路などで足を高く上げるなどの動きを演出できますが、そのために無理にストレッチを行ったり、身体を柔らかくすることはお勧めできません。
それよりも、緊張する部分を解き放して、リラックスしていると、いざというときには、驚くほど身体は自然でおおらかにしなやかに動きます。
太極拳は身体を抱きかかえられていても、発勁が出せる武道です。可動範囲を得てバネを失うことよりも、バネを失わないことの方を選んでいます。もちろん、可動範囲も広くバネがあることがベターです。その修行には、まず心身をこわさないことが大切だということを本来の太極拳は考えているのです。

套路の過渡式が太極拳の神髄

現在行われている太極拳の套路で、型の姿勢、ひどい場合には手の形や足の裏の形などを正しく行うように要求があるとされていますが、実はその套路の型自体は、他の武道と同じく、構えもしくは、残心という、技の始まり部分と終了部分だけなのです。

もちろん構えと残心は大切ですが、その途中にある過渡式が実は技なのです。套路で行う技は基本勢による技が主体ですが、構えて技を練って技を終えて残心、そして連続技で套路が構成されている運用なのです。

一般に普及している套路は過渡式らしきものがありますが、前の構え(残心)と残心(次の構え)をただ連続させるためのものになっています。これは歴史上このようになったのであり仕方がないことです。(詳しくは太極拳の歴史をご覧ください)

従って、太極拳の套路を行うなら、その技の練習を多くこなしておかないと、構えと残心の間にある勢の練習などを套路でできるわけがありません。

体操としては良いでしょうが、套路の型は構えであり残心であることを正しく理解して、構えと残心の間にある技を多く練習する以外に套路が武術練習になるはずがないということです。

又、健康効果にしても、構えと残心をいくら繰り返しても、本来の内丹や動功になることもありません。

太極拳は武術ですので、構えて攻防を行って残心します。当たり前です。

その攻防の勢が一切ない套路は、武道ではあり得ない、構えから残心に直接移動するだけですので、途中のなめらかな勁道や、勢の巡りがないため、型も残心も安全な範囲に留めておかないと、関節や筋などを壊す原因になります。

套路を安全に行うよりも、ラジオ体操の方が安全な体操だと思います。制定太極拳は安全域の中で作られているのでほぼ安心ですが、伝統太極拳は武道だなどと思って動いてしまうと、多くの場合障害があります。

伝統太極拳も復興されて再構成されたものです。制定拳と何ら変わりがありません。

太極拳の套路を行うなら、しっかりと武術の基本練習をして、基本勢を身につけ、そして武術の技として過渡式をしっかりと含む練習をして、それから套路を繰り返して練習する事が大切です。

以上のように、構えから残心までの一連の動きを一つの技として使える事ができる者が套路を教えないと、その套路は何の意味もないどころか心身に障害もでかねないものになります。

制定太極拳をまじめに安全域でやることも良いかもしれません。私はラジオ体操の方をすすめますが。太極拳の伝統拳はいくら体操化されたとはいえ、まだまだ武術要素は形だけ残っています。

その武術要素部分を套路でやろうとすると、太極拳を武術として経験していないもにとっては無理があり、必ずといって腰や股関節、膝、そして首、そして経絡、そして神経系統、血流関係(特に心臓)などに無理がかかります。

套路をしているときには呼吸法を正しく行うと副交感神経が優位になり、とても気持ちが良いのですが、表面的な呼吸による引率による副交感神経優位ですので、日常生活においては、その後に交感神経が反動的に活発になります。そうなると、心身の神経系にも障害が生まれます。

一日中呼吸法を正しくしていれば別ですが、根本的な心意がその域に達していないと、そう簡単にはできるものではありません。どのようなときも平常心、不動心であり、武息という意識的な激しい呼吸も、文息という穏やかな呼吸の時も、はしゃいでいるときも穏やかなときでも関係なくです。

套路は、構えと残心の間にある過渡式の中に太極があります。太極とは陰陽の和合、すなわち、神経でだけいうと交感神経と副交感神経の混沌とした和合です。

一般的に普及している套路の型は構えと残心ですが、そこには極があります。リラックスしてできている人は副交感神経が優位になり、意識を入れてとか、形や姿勢にこだわっている人は交感神経が優位になります。

どちらにしても有極です。

瞑想太極拳と私が名付けている套路は、その過渡式の合極が大事なのです。それは武術として技を多く練って無為自然にその技が使えるようにならないと、合極など得ることができません。合極を得て動いている套路は見ればわかります。

太極拳が無敵だと言われたのは、その技の合極の拳理が武術理論として完全であったからです。套路で行うならそこは眠るような無の状態です。瞑想のような中で武術の技があるのです。

ですから、太極拳と呼ばれたのです。武当山の道家が太極理論と同じ動きが当然人間の心身にもあり、その根本的なもので攻防を行うことができることを、当たり前のように理解し、そしてそれを太極拳法として修練したのです。

ですから、陰陽理論とそしてあらゆる人間の心身の動きが一致している中で、太極拳の套路も武術も修練しないといけません。

しかし、一般的な套路が構えと残心に偏っている限り、そして、その理解がない場合は、太極拳の套路で健康になったり、又武術の練習の一つになる域に到達するはずがないのです。

歴史5:王師は戦後の中国から逃れ日本へ

その後、1939年〜1945年の第二次世界大戦後急激に他の武術メッカと同じく、武当山へも弾圧が強まります。その時に40才を超えていて武当山で太極拳の指導者であった王師は不穏な動きを察して、知り合った日本社会の裏世界の人間の紹介で、混乱期にすぐに神戸にやってきたということです。

そこで、大阪で老舗任侠団体の組織の代貸であった私の祖父や、神戸の裏組織などと懇意になり、特に大阪では私の祖父には恩を受けたと王師はいっていました。私の祖父は戦後に大阪難波を中心に縄張りを広め、大阪歌舞伎座などでプロレスなどの興業を仕切っていた人物です。その時に、王氏の実戦的太極拳はとても役に立つと言って、色々と一緒に仕事をさせてもらったと王師から聞いていました。中国人が日本で生きていくのは大変だったと言うことですが、戦後の裏社会もいかに縄張りを広げるかというときに、又興業や博打場や遊郭などを持つ祖父の組織の用心棒的存在として、徒手武術の秀でる高手の力を借りたのもその当時なら当然のことでしょう。

それからすぐに、1949年に中国では「社会主義革命」が起こり「中華人民共和国」が成立します。

中華人民共和国成立と同時に、主席の毛沢東は「新民主主義的国民体育」として、国防、生産、労働に役立つ、大衆的な体育を展開して人民の健康を増進することを重要課題として、それを基盤として全面的な共産主義社会を実現することを提唱し、国家体育運動委員会が設立されて、様々な改革を積極的に行ってきました。そして、共産主義社会を実現するにあたり、民衆の武術蜂起でことごとく痛手を被ってきた歴史もあり、一つの州でも100や200も門派がある驚くべき民衆武術の底辺にある武術を、いかに抑制消滅さえるかということが命題でした。そこで、中華人民共和国成立の翌年すぐに、政府による武術工作会議が開かれました。そこで毛沢東らは、中国にまだ残っている伝統武術を管理統制できない「武術」から管理統制の容易で殺傷能力のない「スポーツ」へと転換されることこととしました。

中華人民共和国成立と同時に、少林門などの外家拳と、太極拳などの武当門などを中心に全国の武術を中国国民党で統制管理していた南京中央国術館が消滅します。この時既に楊澄甫は病死しており楊家の太極拳はすでに終結していまました。ただ、近代になって楊澄甫の子だといわれる楊守中などが套路を覚えて表演して、楊家四代目だと表明していますが楊澄甫は子には太極拳を教えていないといわれています。ただ多くのものに国術館で套路を教えたため、多くのものが伝承者であると名乗っていますが、楊澄甫は国術館の実務や折衝に追われていたのでほとんど教える時間はありませんでした。そして、陳家太極拳の17代目 陳発科は62才で、子の18代目陳照旭は40才でした。陳照旭は社会主義革命の中、右派に傾きますが、1960年に収容施設の脱獄に失敗し射殺されました。ここで陳家太極拳といわれるものは消滅したように思われますが、陳家溝がその伝統的名称を引き継いでいるものだと思われます。

そして、国家体育運動委員会は楊家の套路を元にして、体操化して過渡式などを除いた「楊式太極拳88式」や、1954 年に「簡化太極拳」を発表して、正式にそれを1956年8月に「国家制定拳」として発表しました。
この国策で、すべての伝統武術を、套路はもとより、武器などの技法も全て表演化して、基本功を体操化し伝統拳として再編成しました。この時伝統拳として制定された太極拳は陳家太極拳/楊式太極拳/呉式太極拳/武式太極拳/孫式太極拳/鄭子太極拳で、このように太極拳を始めすべての中国拳術は「表演競技」として行なわれるようになり、散打は武術性が高いということで禁止されて、拳術、器械、対練、集団演武を競技スポーツの正式種目としました。そこから徹底して武術のスポーツ化が進められます。

(注釈:現在の中国の武術は体操という意味に近いのは、こちらの参考映像「リンクが切れているようです。また見つかりましたらご紹介します」をみれば明かです。)

王師は、いち早くこのような状況になることを予測して国外に退去したため、後に起こる1965年文化大革命による武当山や少林寺に残存する真の武術家の大虐殺からは逃れることができました。伝統太極拳は前述のとおり国策に協力して伝統拳と呼ばれ保護されることになり迫害を免れましたが、武術のスポーツ化に協力をしなかった、又はあまりにも武術性が高く殺傷能力を持つような徒手武術は根絶する以外にないという考えが大多数になりました。最後まで討論したそうですが、義和団や武当山の武術を見て恐ろしくなり、根絶することに決定したといわれています。そしてこの文化大革命の終結の1976年までの間の12年間に、武当山の太極拳の高手などを含む多くの友人が殺害され、武当山の太極拳は中国においては壊滅したと言っていました。武術家を含む全ての中国人で最大3000万人が殺されました。

武当山における武術太極拳は、義和団などが逃げ込んでいることでも知られ、又その源流であることもあり、そこにある武術は、戦場における殺傷技術の要素が非常に強いものと認識されていました。今までの王朝が倒されたときや、義和団の乱の時のように、武術は徒手格闘の軍事技術としての性質が濃厚であり、特に武当派の武術は文聖拳が義和拳と名乗っていたことからも共産党にとってはスポーツ化するなどではとても手に負えない存在でした。

ただ戦後にいち早く将来を予測して国外に逃げた武当山の太極拳の高手は、世界中でその武術を活かして華僑の人たちを守る要となって生き抜いたといっていました。もちろん王師もそうでした。その人達は年齢的に武当山でも流行った楊澄甫の85式の套路を行うため、すぐに武当派であることがわかるそうです。又その套路も武当山伝統の過渡式や運歩法などを備えているので、楊家の85式と比べると見る人が見れば違いがわかるといいます。

このように、武当派の太極拳はかろうじて海外に生き延びたものによって伝承されたのでした。このようなすさまじい中国の歴史ですが文化大革命は、日本人が高度成長時代に沸き立つ時代のまっただ中のつい最近の事なのです。

歴史6:王師との出会い

その後、1980年に文化大革命が誤りだったとされました。民衆の怒りを収めるために、政府の体育機構は中国人の数千年の文化の中にあった伝統武術の復興を救済すると発表して、武当山周辺にも武術学校を設立して、武当山の武術を復興させようとしましたが、当たり前ですがもう既に武当山に太極拳などの武術は残っていませんでした。そこで、しかたがなくスポーツ化された武術指導家達に武当山周辺の武術学校を運営させ面目をはかりましたが、結構これが成功し、民衆は新しい政府に対し怒りの矛先を少し納めたようです。

そしてその成功をもって、1986年3月に「国家体育武術研究院」が設立し、伝統武術の発掘や国際化を本格的に行なうことになりました。中国の民衆が民族武術に対する思い入れがあることを再認識したのでしょう。しかし、それはより民族蜂起につながる懸念であるので、より市民的なスポーツ競技として武術を定着させるために、1990年には中国が初めて主催した「アジア競技大会」で武術 ( Wu-shu )を公式競技種目として加えて、国民に対する民族武術への振興を大きく示しました。

その状況の中で 楊式太極拳を含む伝統太極拳は套路など万人に親しみやすく、又制定された太極拳の套路は民間の健康体操として世界中に流布されており、太極拳は新生中国を象徴する、神秘的な近代中国武術体操として、気功を含め世界中にアピールするための道具として大いに用いられるようになったのです。

しかし中華人民共和国成立から文化大革命の30年間のすさまじい徹底的な破壊により、全ての中国武術は中国国内において一世代に相当する伝承期間を抹消されました。伝統太極拳などの国策に協力した流派は、政府に迎合して現代スポーツ武術にしておいたので形だけは残りましたが、武術が既にスポーツや万人向けの健康運動に変貌するだけの十分な期間でした。

ちょうど、文化大革命が中国で終焉を迎える頃の1977年頃、大阪ミナミの繁華街の裏世界はまだまだ無法地帯でした。そんな中で、私は王師と巡り会いました。毎日起こる修羅場の中で王師は私に身を守る術だといって太極拳を執拗に教え始めました。

そして1990年まで王師に師事し、大阪で王師の代理で太極拳を教えることになり印可を受けました。この時に私は1年ほど仕事などを一切辞めて、王師と共に武当派の楊式太極拳を系統的に整理しました。この時既に王師は80才を超えたところでした。

その後私が東京に移住した後、1995年の阪神淡路大震災のあと王師は行方不明となっています。

武道としての太極拳の変化

現在の中国における武術も、日本での武術もそうですが、武道を習う人に対して、武道が本来の武術と同じような要求を続けていくとしたら、武術を学びたいという人は減少せざるを得ないと言うことはどの武道家も知っています。
そこで、ずいぶん昔から、武道である太極拳はその武術自体を大きく変化してきました。
その理由は、本物の武術を追求するには長い時間の毎日の練習と、良い師が必要になるわけですが、現代人は余りにも忙しいうえに、身近なところに良い師がいるということは難しく、武術を残していくという手段としては、武術自体を変化させるのが良いと考えたのです。すなわちパッケージ化です。パッケージ化とは套路の型のように一つの型を定型化することです。
日本にも太極拳を元にして、その型を変化させ独自に定型化している武道が普及しています。
私は、幸い若い頃から大阪で自分で会社をしていて、又、20代後半は武道と内観に明け暮れることが出来るほどたっぷりと時間がありました。
私の師である王先生は第二次世界大戦の頃は、中国において特殊任務に就いていたらしく、そこでは、幼い頃から先生の叔父から、一子相伝ということで徹底的に指導された楊式の太極拳が、特殊任務においての実戦で大いに役立ったと言うことでした。戦後も相当危ない仕事をしていたらしく、命があるのは太極拳のおかげと言っていました。私の祖父とも大阪のミナミにおいて深く関わっていたとのことでした。
私が師と巡り会った頃は、一子相伝ということで誰かに太極拳を伝えて残しておきたかったが、子供は跡を継いでくれず、そうなったら伝統が絶えてしまうので、誰れ彼の区別なく周りにいるもの達に弟子達の時間のあるときに教えていたと話していました。しかし、週に一度程度習いに来て、忙しい中で護身術程度にしか考えない弟子達には、伝えたいことがが伝わることなどなかったとも言っていました。
太極拳は実践的な武道であり、武術の特徴でもある攻防が最も重要です。しかし、社会が成長し平和になるにつれ、その成長過程において攻防の部分は薄まり太極拳が広まってしまいました。
太極拳には沢山の理論がありますが、その全ては攻防を前提としています。毎日、師に教えられた理論が、その攻防の勢と一致しているかを師から学びます。
太極拳は、自分自身の深くにあるこみ上がるような不思議な勢への理解が必要です。理解は経験でのみ理解できます。理論はその表現に過ぎません。経験という理解は言葉では表せませんが、言葉で表すなら理論が合致するのです。ですから、太極拳の師は良く理論を話し、それと合致している動きを教えます。
攻防の理論とは、例えば、太極拳では相手が動かない限りは、自分も動きません。相手が自分に対して動いたなら、その動きを和合させ、自分の動きにして相手の動きを自由にするだけです。
太極拳においては相手の動きを待つと言うことです。相手の動きを深い感受の部分でとらえるのが聴勁です。実戦の命のやりとりの中で身についた王先生の動きから、王先生は内観により、その感受と水がわき出るように発せられる沾粘の勢を観るのです。そして、相手の意が動いたとき、その水がわき出るのを観るのです。
その経験を内観して、人に伝えるときその全てを、使える言葉としての理論と、表現全てを駆使して弟子に伝えます。
そして弟子に実際の技を経験させて、その理論と表現が一致していることを弟子に認知させたとき、一つの勢が師から弟子に伝わり始めるのです。
このような相伝は、面と向かっていなくても師から弟子に伝えることも可能で、弟子は単練にて自分自身を内観できれば、その勢を伝えることが出来ます。
本来の武術の要求を真に経験しているものは、このように豊富な理論と、表現方法を駆使して弟子に全てのことを伝えることは可能です。
情報社会が発展し、今はネットワークを通じて豊富な表現方法が出来ます。
多くの武道家があきらめ始めていた、真の武道の伝承も、一子相伝ではなく遠方にいても、又弟子が時間が合わなくても伝えることも可能な時代になってきました。
ネットワークを通じて、師と弟子画面と迎える時代になったと言うことです。
太極拳は、本来の人間の能力を思い出し、その動きを利用する武道です。他の武道とは入り口が違うのです。
ですから、弟子達の単練と、師の経験を説明する理論を整合させていく作業が出来れば、昔のように、弟子さえそれを感受する能力があれば弟子は育ちます。
そしてその弟子の感受する能力を呼び戻すことが出来るのも、太極拳の修練にあるのですから、真の太極拳をやる気の あるものに伝えていくのは、遠方であるとか、時間が合わないとか言う障害は全くなくなったと考えています。
結論は、現在においても、他の武道のように太極拳はその本来の武術を変化させることなく、弟子達に伝えることが出来ると言うことです。

WHO (世界保健機関)は太極拳の医学的な効用に注目

WHO (世界保健機関)は太極拳の医学的な効用に注目しているのは、太極拳をされている方は皆さんご存じです。

それは、WHO(世界保健機関)のジュネーブ本部が出版した、伝統医学を紹介する世界伝統医学大全[Traditional Medicine and Health care Corverage]という本で、太極拳を伝統医学の一つとして紹介しているからです。又、最近では、心臓強化運動の一つとして取り上げており、太極拳が心臓と肺機能に対して有益であるということを正式に公表もしています。太極拳でも20分以上続けることの出来る長い套路が有効とされているので、一般の24式では少し短いかもしれません。(古式でやるとゆっくりやるので、大丈夫です)

世界伝統医学大全では、気を集中して、太極拳の綿々たる動きで、その流れを整え、人と人以外(宇宙?)と同化させることが基盤にある瞑想運動であると紹介されていますが、実際に瞑想として太極拳を行うには基本的な修練が必要です。

太極拳は気を全身に巡らして整え、リラックスした状態で、ゆっくりと行われるバレーのような動きであるとも紹介されています。確かに卓越したバレーは円運動の極みですので、確かにそのとおりだと思います。

太極拳はあらゆる年齢層のすべての人に適した運動であるとして、太極拳運動の体重移動(分虚実)、腕や足のを伸縮運動と呼吸、背骨の柔軟と抜背などを説明し、その経過で空気を輝かすような生命エネルギーが、柔らかな固まりとして両方の手の間に有るようで、最後にはそのエネルギーが全身をおおうように感じるようになると紹介されています。そして、太極拳は、病気を予防するセルフ・ケアの方法として有効であるばかりではなく、治療にも用いられると紹介されています。