[発勁]捋

■[勢] 扌履勢(四正手)[発勁]捋(り=しごく) [把式名] 撅臂(けつひ)

IMG_3063最近の太極拳の紹介で、よく四正手の扌履勢が捋勢と紹介されていますが、捋は勢ではなく発勁です。

扌履勢の扌履が中国においても日本においても、タイプで表示されないため、誰かがどこかで捋を当てたようです。扌履は太極拳の重要な十三勢の内の一つを表すものですが、漢字では手で履かせるという太極拳の妙技を表現する文字がなく、太極拳の密議で作成されたものです。この技(発勁)はその意味がわからないとかけることができません。(詳しくはこちら

その勢を使った発勁の一つに捋があります。ここではこの捋の把式である撅臂を紹介しました。当流では、門位の把式です。演武(当流門下)

 

武道としての太極拳の変化

現在の中国における武術も、日本での武術もそうですが、武道を習う人に対して、武道が本来の武術と同じような要求を続けていくとしたら、武術を学びたいという人は減少せざるを得ないと言うことはどの武道家も知っています。
そこで、ずいぶん昔から、武道である太極拳はその武術自体を大きく変化してきました。
その理由は、本物の武術を追求するには長い時間の毎日の練習と、良い師が必要になるわけですが、現代人は余りにも忙しいうえに、身近なところに良い師がいるということは難しく、武術を残していくという手段としては、武術自体を変化させるのが良いと考えたのです。すなわちパッケージ化です。パッケージ化とは套路の型のように一つの型を定型化することです。
日本にも太極拳を元にして、その型を変化させ独自に定型化している武道が普及しています。
私は、幸い若い頃から大阪で自分で会社をしていて、又、20代後半は武道と内観に明け暮れることが出来るほどたっぷりと時間がありました。
私の師である王先生は第二次世界大戦の頃は、中国において特殊任務に就いていたらしく、そこでは、幼い頃から先生の叔父から、一子相伝ということで徹底的に指導された楊式の太極拳が、特殊任務においての実戦で大いに役立ったと言うことでした。戦後も相当危ない仕事をしていたらしく、命があるのは太極拳のおかげと言っていました。私の祖父とも大阪のミナミにおいて深く関わっていたとのことでした。
私が師と巡り会った頃は、一子相伝ということで誰かに太極拳を伝えて残しておきたかったが、子供は跡を継いでくれず、そうなったら伝統が絶えてしまうので、誰れ彼の区別なく周りにいるもの達に弟子達の時間のあるときに教えていたと話していました。しかし、週に一度程度習いに来て、忙しい中で護身術程度にしか考えない弟子達には、伝えたいことがが伝わることなどなかったとも言っていました。
太極拳は実践的な武道であり、武術の特徴でもある攻防が最も重要です。しかし、社会が成長し平和になるにつれ、その成長過程において攻防の部分は薄まり太極拳が広まってしまいました。
太極拳には沢山の理論がありますが、その全ては攻防を前提としています。毎日、師に教えられた理論が、その攻防の勢と一致しているかを師から学びます。
太極拳は、自分自身の深くにあるこみ上がるような不思議な勢への理解が必要です。理解は経験でのみ理解できます。理論はその表現に過ぎません。経験という理解は言葉では表せませんが、言葉で表すなら理論が合致するのです。ですから、太極拳の師は良く理論を話し、それと合致している動きを教えます。
攻防の理論とは、例えば、太極拳では相手が動かない限りは、自分も動きません。相手が自分に対して動いたなら、その動きを和合させ、自分の動きにして相手の動きを自由にするだけです。
太極拳においては相手の動きを待つと言うことです。相手の動きを深い感受の部分でとらえるのが聴勁です。実戦の命のやりとりの中で身についた王先生の動きから、王先生は内観により、その感受と水がわき出るように発せられる沾粘の勢を観るのです。そして、相手の意が動いたとき、その水がわき出るのを観るのです。
その経験を内観して、人に伝えるときその全てを、使える言葉としての理論と、表現全てを駆使して弟子に伝えます。
そして弟子に実際の技を経験させて、その理論と表現が一致していることを弟子に認知させたとき、一つの勢が師から弟子に伝わり始めるのです。
このような相伝は、面と向かっていなくても師から弟子に伝えることも可能で、弟子は単練にて自分自身を内観できれば、その勢を伝えることが出来ます。
本来の武術の要求を真に経験しているものは、このように豊富な理論と、表現方法を駆使して弟子に全てのことを伝えることは可能です。
情報社会が発展し、今はネットワークを通じて豊富な表現方法が出来ます。
多くの武道家があきらめ始めていた、真の武道の伝承も、一子相伝ではなく遠方にいても、又弟子が時間が合わなくても伝えることも可能な時代になってきました。
ネットワークを通じて、師と弟子画面と迎える時代になったと言うことです。
太極拳は、本来の人間の能力を思い出し、その動きを利用する武道です。他の武道とは入り口が違うのです。
ですから、弟子達の単練と、師の経験を説明する理論を整合させていく作業が出来れば、昔のように、弟子さえそれを感受する能力があれば弟子は育ちます。
そしてその弟子の感受する能力を呼び戻すことが出来るのも、太極拳の修練にあるのですから、真の太極拳をやる気の あるものに伝えていくのは、遠方であるとか、時間が合わないとか言う障害は全くなくなったと考えています。
結論は、現在においても、他の武道のように太極拳はその本来の武術を変化させることなく、弟子達に伝えることが出来ると言うことです。

太極拳では膝を壊す人が多いですが、膝を壊さず瞑想太極拳まで至るにはどうすればいいですか。

メールでご質問いただきました。ありがとうございました。

もともと太極拳の動きは、基本をしっかりしていないと膝を壊すのは当然の動きなんです。その他の武道も同じだと思います。

日本で普及している太極拳は、お年寄りでもすぐに始めることが出来る運動として普及しています。

しかし、基礎的な武道としての動きの基本を修練していないと、太極拳の高度な動きは当然、膝だけでなく、腰や首などの関節部分を痛めるのです。

そこで、制定太極拳は、その痛めることのない安全な範囲で動けるように制定されたものです。けが人が続出したりすると、もちろん普及もままなりません。

又、年配の方がすぐに行えないのであれば、手軽な健康運動という目的も達成できません。

しかし、その安全な範囲を維持するのは、太極拳の本来の自然でおおらかな自由な動きと相反するのです。

従って、太極拳の動きはいくら安全範囲で動く姿勢や型を習っても、ついその範囲を超えてしまうものです。

その時に、太極拳の動きはその範囲を超えた部分にダメージを及ぼします。

近年太極拳をしている人の多くの方が、膝や腰を壊している方が多く見受けられます。同時に首や背骨の異変から、肩こりや内臓疾患に問題を持っている方も増えてきています。

私たちからすると当たり前のことで、私の先生は以前から指摘していました。

もちろん武道家にも多いですね。その人達は主に交感神経を多用している武道に多く見られます。太極拳は副交感神経を主にして発勁しますので、全く心配はありません。

そこで、ご質問へのお答えですが、太極拳の套路を行う前に必ず基本を身につけると言うことが最も重要です。

一般に普及している太極拳の基本は、安全域を維持するための、膝を足先より前に出さないや、足のグリップの方法や姿勢の維持などが基本ですが、本来の武道としての太極拳の基本は逆です。

どのような体勢にになっても、例えば膝が足先よりも前に出ても、膝に何の負荷もかからないし、又その体勢が自然に復帰するような動きを身につけることが基本です。

従って、健康太極拳として安全に日常のささやかなリラックス運動として行うなら、私たちは太極拳よりラジオ体操をおすすめします。ラジオ体操をゆっくりとリラックスして気を巡らせて行うのが一番いいと思っています。

太極拳は武道ですので、基本を行っていないと必ずといっていいほど身体をこわします。

しかし、太極拳は、人間の潜在能力を極限まで引き出し、そのあらゆる動く範囲まで全てを太極拳として練るものです。まるで大河が悠々とおおらかに何の制限もなく流れているイメージです。

本当の太極拳を身につけると、人間としての最大限の可能性に及ぶまでの範囲を、自らの生命エネルギー(気)で満たすことが出来るようになります。

そこで、私たちは太極拳の練習の時に行っている基本練習を、誰でもが楽しく簡単に効率的にできるようにするため、エアロタイチという太極拳の基本単練とエアロビクス(吐納法=気功法)を組み合わせた基本修練を広めていくことで、せっかく広まった太極拳の本当のすばらしさを多くの方に知ってもらえるようにと活動しています。

エアロタイチでは、一つ又は組み合わせた太極拳の型を特別な歩法を使って、吐納法を使ってミドルテンポのリズムで動きます。

特別な歩法とは、人間の身体にある均衡反射という動物としての本来的な自然な動きを使います。この均衡反射は、階段で転びそうになったり色々なバランスが壊れたときに発揮されるものです。そこのところを普段から呼び水をするように呼び起こす訓練が特別な歩法練習です。

吐納法はとても重要です。呼吸と動きは一体であり、自然な呼吸と自然な動きの中で人間の本来の反射や動きが起こります。緊張しているときに一番けがが多いのはそのためです。その均衡反射などの動きは反射という人間の最も無為なところで起こります。ですから、エアロタイチを行うときなどは音楽を聴きながら、何も考えることないリラックスした状態で、その動きを呼び起こします。

その動きで発勁という動きの最大点を迎えるときに、通常の武道の呼吸は主に緊張状態の時にあります。太極拳ではその時に、逆腹式呼吸を使用してリラックスを維持します。

その時にちょうど、膝などが最大に進むところまで進んでいるので、ここで均衡反射が正常に行われ、その反射と合致した動きが自然と行われないと、もちろん膝を壊すのです。

リラックスをしていて、自然な均衡反射に沿って膝が回る。その訓練を最初は小さな動きからだんだんと早く大きな動きに替えていきます。

これが歩法の部分だけの基本練習です。これを続けている内に、型を使って歩法や呼吸法など、又上半身や手先、首や背中腰の動きまで細かく、基本の動きを身につけていくと、いつの間にか套路の型は覚えてしまうのです。

後は順番とその過渡式を覚えると套路は完成です。

自然な型を覚えてしまうと、過渡式は次の自然な型へつながる自然な動きですから、いとも簡単につなげることが出来ます。

全ては基本です。站椿や推手も大事ですが、套路をやるなら武道としての太極拳の基本を身につけることが大切です。

最大の可能性の範囲まで本来の動きを取り戻した人間の身体は、外で誰かにぶつかられたときなども同じようにその能力を自然に発揮してくれます。

安全範囲で太極拳を行っている限りは、私は套路をすることをお進めしません。

なぜなら、人間の身体は何もしなければどんどん衰えます。安全範囲はどんどん縮小すると考えてください。

安全とは、その限界から遠ざかることです。安全な範囲で行っていると、その限界はより安全に行っている範囲まで近づいてきます。又そこから遠ざかることが安全範囲になります。

従って、今、膝を足先より出さない範囲が安全だと思っていても、膝は安全範囲をどんどん狭めてきます。そこで言われたとおりやっていても膝を壊すのです。

しかし、その限界を超えるのは、その限界を無理なく超えた人から教わるしか有りません。たぶん昔も多くの人が膝を壊し、本来の自然な動きが出来た人だけが、太極拳の本当の使い手となったのでしょう。使い手だと言われている人で膝を壊したり身体をこわした人は論外で、本来の使い手は、仙人のように若々しく、元気で、健康でバイタリティあふれるようになるのが当たり前です。

太極拳は武当派と言われる中国の武当山の仙人修行の人たちが源流のものがあります。

今は、世界中に分散していますが、健康太極拳とは全く別のものと考えた方がいいと思います。

メールをいただいた方は、私の24式の動画を自分の身体が求めている動きであると感じたと言っていただきました。

そうなんです。本来の自分の身体が求めている動きをすることが太極拳なんです。安全のための細かい姿勢や型を気にせずおおらかに動けてこそ太極拳です。