相対するものを知る太極拳

強弱とは単に相対するものです。

強弱とは単に相対するものです。
左と右、上と下、女と男などと同じように性質として考えるのが太極拳です。
強いから良い、弱いから悪いのではありません。

強いところはどこか、弱いところはどこかそれを知ります。
何に強いのか、何に弱いのかそれを知ります。

よく観察すると、強いところには弱いものが混在しています。
そして弱いところには強いものが混在しています。

それが太極と呼ばれる混沌とした状態です。… 続きを読む

素に戻っていく太極拳

太極拳の面白いところは、道を歩むように一歩一歩踏みしめて根本的なところに戻っていくところにあります。素に戻っていくという表現が適当かもしれません。

套路などの基本練習は、例えば、生きていくことに置き換えると、人間として動くための自然な動きの練習です。

人間は動くのに、いちいち練習しなくても動けるようになります。

これは当たり前です。

太極拳も実は、自分の身を当たり前に守るための、人間の根本を思い出すためのものなのです。… 続きを読む

太極拳は努力しない。

山で遊び出す子ども達はとても元気です。山の中を走り回っている内に、色々なことを忘れて、ただ無邪気に遊び回っています。

そんな子ども達の、足下や手の動き、身体の動きを細かく観察していると、驚くような巧みな高度な動きで、山を駆け上り、飛び降り、ぶつかり合っています。

これは何でしょうか?努力のたまものでしょうか?

実は、これが太極拳が求めているところなのです。

確かに努力も大切でしょうが、努力したことを積み重ね、その成熟したものに頼り切ることが果たして全てでしょうか?… 続きを読む

自然の動きが最初からできるというのと、出来ないというのは どういう違いなんでしょうね。 もしかして、その人の性格や生い立ちも関係してくるのでしょうか?

もちろん過去も未来もここもあそこも全て関係していますが、今この瞬間にその全てをどの様に選択しているかだけで、違ってきます。

先天の気での選択か、後天の気での選択かということです。

もっと平たく言うと、すごくありふれた言葉ですが、これが基本です。

愛か不安かです。

愛は全てを受け容れることです。不安は受け容れないことです。(色々な概念がありますが、ここではこう言っておきます)

このどちらも、自分だけで出来ることであり、全く自分以外は関係有りません。完全なる主観性といいます。… 続きを読む

太極拳の身の動きが自然体として馴染むまでにどのくらいの期間を目安にしたらいいのですか?

型を覚えるには集中すれば一日でも覚えることが出来ます。

自然体としてなじむのは30年やっている先生でも出来ていない人がいます。 最初を間違えているからです。

ところが最初から自然体としてなじむ人がいます。

要は、太極拳の十三勢行功心解の一番最初にもあるように「以心行氣」直訳すると心を持って気を運ぶ、が大切です。

心が自然でないと、自然な動きには一生なりません。

心が自然とはありのままと言うことですが、太極拳では先天の気といいます。… 続きを読む

太極拳は護身術にもなりますか?

もちろんなります。

もともと、私は生まれが大阪のミナミの老舗任侠団体(現在は広域暴力団です。祖父及び母は他界しましたので、私はこの組織とは一切関係有りません。)の家庭で、若い頃大阪ミナミのキル・ビル(映画)の様な世界にいました。

子どもの時からプロレス好きな私は、ビルロビンソンやカールゴッチなどの技を巧みに使い、私のおじいさんが総支配人だった大阪歌舞伎座の近くのプロレス道場で大人相手に遊んでいました。子どもの遊びの延長です。… 続きを読む

太極拳の套路はゆっくり行う。

太極拳の套路はゆっくり行う。(想念太極拳・瞑想太極拳)

太極拳は陰陽が離れず、ずっと気によって連綿とつながっている。

ゆっくりやればやるほど、気を連綿と維持するのが難しい。

実戦においてその気の途切れが、隙となる。また技が崩れるところである。

相手のスピードがゆっくりに変化したとき、そのゆっくりと動くところでの気の維持ができなければ、相手に勢を委ねてしまう。要は相手の勢によってこちらが制御されるのである。… 続きを読む

「霊機於頂」太極拳は考えない。

考えないで行動するなとよく言われますが、太極拳では考えないで感じたままに反応することを練習します。

人間はまず感覚をもって、何かを感じます。そして、それから、視床下部のある古い脳の奥深くでその感覚を受けます。感受と言います。

音楽などは感受を主に働かせるので、奥深い脳が活性化します。

感受を受けてから想念という、考えの前にある念が生まれます。まだ考えとして意識に出ていません。

これは例えば好き嫌いなどの感情、愛情などが代表的です。トラウマやPTSDなどで植え付けられた感受は、ここで、心の奥深く気づかないところで想いとして芽生えています。そして、その気づかない想いが言動に表れます。いくら考えてから行動しようとしても、既に表情や体調、仕草などに現れてしまうのが、ここで言う言動です。その本来の心と違う行動をしようとする場合は、考えないといけません。考えることもこの社会では必要とされているようですが、実戦としての武道では役に立ちません。私は社会でも心に思ったまま考えずに行動できるように修行しています。… 続きを読む

太極拳では膝を壊す人が多いですが、膝を壊さず瞑想太極拳まで至るにはどうすればいいですか。

メールでご質問いただきました。ありがとうございました。

もともと太極拳の動きは、基本をしっかりしていないと膝を壊すのは当然の動きなんです。その他の武道も同じだと思います。

日本で普及している太極拳は、お年寄りでもすぐに始めることが出来る運動として普及しています。

しかし、基礎的な武道としての動きの基本を修練していないと、太極拳の高度な動きは当然、膝だけでなく、腰や首などの関節部分を痛めるのです。

そこで、制定太極拳は、その痛めることのない安全な範囲で動けるように制定されたものです。けが人が続出したりすると、もちろん普及もままなりません。

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太極拳の楊式は、実際に使えない。これはとんでもない間違いです。

今一般に普及している太極拳は、攻防を目的にしたものではない、ただそれだけのことです。

楊式は楊無敵と言われたほどの理想的な攻防術です。しかし、それを極めるには、武道としての太極拳、すなわち、道が必要なのです。太極拳は道教の道の教えから名付けられています。しかしそんな難しいことはさておいて、簡単に自然で、無為すなわち故意ではない自然体であるときに使える武術なのです。

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