才能
才能(さいのう) 生まれながら持つ神・気・精で、あらゆる物事を巧みになしとげることができる、生まれつきの能力である。
神(しん) 全てのものに存在する原質(純粋な心)。全体としての普遍性(全てと通じる価値観)。普遍性から揺らぎと共に気が起こる。発想(想いの始まり。個性になっていく)のはじまりとなる。
気(き) その原質から発生するエネルギーの動き。全体とその一部である個との融和。神(しん)を感じ、そのエネルギーはそれを感受する、感性の目覚め。… 続きを読む
じゃんけん。面白いものです。じゃんけんの理合にある、三極という原理、これが太極の易理論にとても重要な位置を占めているのです。
じゃんけんでは無く、こちらが負ければ、相手が勝つだけの場合。これは相対性です。
三極とは,こちらは相手に負けているが、別のものには勝っているということです。
太極の易理論はこの三極(自然の法則)と相対性(現実の現象)を明確に理論化しています。
易は、これらから統計学的アルゴリズムをはじき出して、数値化とその性状を定義したものですが、三極の変化を計算値に加味すると,変数が増える分だけより細かな易を測ることができるのです。… 続きを読む

以心行氣,務令沉著,乃能收斂入骨。
「心にて気を運行し(心意)、落ち着いているならば、気は収斂して骨髄までに到達する。」
以氣運身,務令順遂,乃能便利從心。
「そして、気にて身を運行し、気に(自然に)従うならば、身は心のままに動くということになる。」
精神能提得起,則無遲重之虞,所謂頂頭懸也。
「このように精(心のままの身体)と神(純粋な心)が起こることを得ることができれば、恐れおののき動きが遅れたり重くなることもなくなるのであり、これが、いわゆる頭頂に気を懸かげるということである。(虚霊頂勁の理合=姿勢の要求ではなく、心と気を一致させている虚無心や不動心のこと。)」… 続きを読む
套路は、最終的に神=しんという人間の根本的な生命力で動くことを目指します。
武当派ではそのことを、存思(そんし)といいます。
存思(そんし)とはいわゆる瞑想のことですが、仏教などで言われる瞑想とは又違います。
太極拳の源流には坐道といわれるものがありますが、そこでも行われていた瞑想法です。
存思(そんし)は人間の生命の根源、すなわち純粋無邪気な無為なエネルギーに自らを置いている状態のことです。
仏教の禅のように悟りを得るためとか、無念無想とかと又感覚が違い、もっと躍動的でかつ、無為で純粋なものです。生命の根源にあるような根本的な存在で動くのが瞑想太極拳です。… 続きを読む
「内の三合」 精気神 ・「外の三合」 手眼身 ———-以上を「内外六合」
精は手であり——–気は眼——–神(しん)は身である。
内の精気神の一致は、すなわち、手眼身の一致である。
太極拳の発勁の際の手眼身は三尖に通じ、相照する。「三尖相照」
神は身を震わせ三尖に向く
気が眼を光らせ三尖を見る
精は手(足)に三尖に爆発する。… 続きを読む
武道において、相手の攻撃を受けて攻撃するという攻防について述べます。
一般の武道では、相手が息を吐いて撃ってくれば、(実)こちらも息を吐いて受ける(実)というものが多いようです。
それから息を吸い込み、又吐いて反撃する。受け側は、吸って(吐く前に吸っているから)、吐いて、また吸って吐くという4呼吸と考えることとします。
この場合は双方が実、双方が虚、双方が実と一致しているので、お互いに効果的な発勁は行えません。… 続きを読む
太極拳は意識で動く?そんなことをしていたら太極拳ではなくなります。
太極拳は無意識で動きます。
無意識とは何でしょうか?
無意識とは意識がないと言うことでしょうか?
実は違うのです。
意識には顕在と、潜在があります。そのどちらも意識なのです。
潜在にある意識が、自分では顕在しないで働くことが最も多く、癖や執着などに現れます。煩悩や見えない雑念なども全てそこにあります。
太極拳で言う、無意識とは完全なる純粋な意識です。無為自然と言います。… 続きを読む