袁希濤は北京にて活動していた、武当山の武当道派の道家で、太極拳の師範でもある人物です。
この袁希濤が、1921年に許禹生が発行した「太極拳勢図解」という書籍の冒頭に題詞として下記の文を載せました。その原文は下記のとおりです。
在昔角牴。意存釣奇。曳牛摶豬。徒勇何為。
嗟彼武術。損益然疑。發揮光大。其在是時。
敎誨有度。調一罄宜。桓桓學子。天馬得覊。
克剛克柔。以遨以嬉。筋骨互運。心力互追。
著者楮墨。法無所遺。流傳萬本。並詔來茲。… 続きを読む
袁希濤は北京にて活動していた、武当山の武当道派の道家で、太極拳の師範でもある人物です。
この袁希濤が、1921年に許禹生が発行した「太極拳勢図解」という書籍の冒頭に題詞として下記の文を載せました。その原文は下記のとおりです。
在昔角牴。意存釣奇。曳牛摶豬。徒勇何為。
嗟彼武術。損益然疑。發揮光大。其在是時。
敎誨有度。調一罄宜。桓桓學子。天馬得覊。
克剛克柔。以遨以嬉。筋骨互運。心力互追。
著者楮墨。法無所遺。流傳萬本。並詔來茲。… 続きを読む
私の太極拳の師は、かつて大阪最大の任侠組織で「代貸」を務めていた私の祖父の用心棒をしていた中国人です。
祖父の組織は博徒と色街の他、大阪において全日本プロレスを発足し、大阪歌舞伎座の運営、とび職や清掃業なども行っていました。また、初代警視総監・鈴木氏とともに、大阪の治安維持にも深く関わっていたと自負していた組織です。
その中国人の師・王(おう)師(1905年〜没年不詳)は、当時の中国・武当山で道総を務めていた徐本善(1860〜1931年)の側近でした。様々な事情により、王師は上海から児玉誉士夫氏らのつてを通じて来日し、神戸の組織(現在の最大手暴力団で、長は全日本プロレス発足時の副会長)を経て、私の祖父のもとに身を寄せました。… 続きを読む