桜の花びらの絨毯《太極拳三昧》

IMG_1273今日の朝。いつもの公園の地面に、桜の花びらの絨毯が敷き詰められている。足下には、花びらと、地面がまだらを描いている。
この美しさは、無用の用である。
花びらが実なのか?
地面が実なのか?
虚実が織りなって、いい知れない美しさを醸し出している。

太極拳は陰陽の行である。
陰が実なのか、陽が実なのか。
花びらが浮かび上がるのは、地面があるからだ。
地面が存在を見せるのは、花びらの仕業。
太極拳の型と型の間に、過渡式がある。
過渡式があるからこそ、型が存在を見せる。
また型には、虚実がある。虚があるから実がある。実があるから虚が生きる。
無用も、用も太極の相である。
どちらが用とはいえない。またどちらも用であり、どちらも無用である。
それは限りない。
花びらが舞い降りてくる。
桜の花びらが織りなす、曼荼羅の相を知れば、太極拳の分虚実が分かる。
虚実が分かれれば、すなわち合する。
分虚実であり、分虚実でない。
これが太極拳の神髄である。

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