太極拳の経験を通じて変化する脳

buto 太極拳は、その経験を通じて根本的な生き方が変化します。この変化は、導引法という古代からのタオの修行によって伝承されています。導引法は、人間の心を、人間以前の自然としての生命心のある境地へ連れ戻すことにあります。それは、脳自体の能力を万物の能力に回復させることであり、その生命心の状態を「神=しん」と呼びます。そのような機能と構造をもつ脳は生理である「精=せい」の一部です。その生命心である「神」が万物に存在するエネルギーを使用して「精」を動かします。その時に生まれるエネルギーの動作を「気」と呼びます。「神」が「気」によって「精」を生かせるのです。人間においても、自然においてもそれは同じです。天は天の生命心によって気が動作し自然に宿る精が生きるのです。花の精、石の精、全ては同じ原理です。精は神によって起こされた気の影響を受けて変化していきます。その変化は「易」です。このように、人間は様々な経験をしますが、太極拳の導引は自然の生命心による経験です。その自然の気により精が変化します。すなわち脳や体、血液、リンパなどがその「神」に対応するように変化するのです。体中に巡る神経系も同じように、常に機能的、構造的な変化を起こしていくのです。太極拳はこのような、経験的実証によりそれを古くから発見し、導引術で「神」を、行気で「気」を、房中術で「精」を無為自然に回復します。

最近の科学では、神経の可塑性などが科学によって明らかになりましたが、導引法による太極拳の修行法の根拠の一部が科学的に証明されたに過ぎません。

神経の可塑性
神経系は外界の刺激などによって常に機能的、構造的な変化を起こしており、この性質を一般に“可塑性”と呼んでいる。神経の可塑性は大きく3つに分けられる。1つ目は脳が発生していく時や発達していく段階にみられる可塑性。2つ目は老化や障害を受けた時などに神経の機能単位が消失するが、それが補填・回復されていく場合。3つ目は記憶や学習などの高次の神経機能が営まれるための基盤となっているシナプスの可塑性(synaptic plasticity)である。特に神経科学にとっては3つ目が重要で、その機構についても徐々に明らかにされている。記憶には、短期記憶と長期記憶があるが、短期記憶は主にシナプスでの伝達効率の変化により、長期記憶はシナプス結合の数や形態の変化により達せられると考えられる。

(今西二郎 京都府立医科大学大学院教授 / 2007年)

引用元: 神経の可塑性(しんけいのかそせい)とは – コトバンク.

身体活動・運動|厚生労働省

IMG_3496厚生労働省では、総死亡、虚血性心疾患、高血圧、糖尿病、肥満、骨粗鬆症、結腸がんなどの罹患率や死亡率を減少させる効果として、一日一万歩程度の歩行を推奨しています。

一日一万歩というと、1000歩を10分として100分、すなわち一時間40分ほど歩くと言うことになります。

アスファルトの歩道をもし、それほど歩くと、膝や腰に強い不自然な圧力がかかり続け、健康効果よりも膝や腰、首などの損傷、同時に体内に強い緊張が生まれる結果、体に不利益な生理反応が起こるなど、マイナス効果が多いことも知られています。

運動強度の単位で、安静時を1とした時と比較して何倍のエネルギーを消費するかで活動の強度を示したものがMetsという数値です。単なる歩行は3Mets程度で、1時間40分も歩かないといけないのですが、軟らかい不安定な山道などを、体の自然な反応を使用した均衡反射によるバランスをとりながら歩くことで、4Mets程度の運動量が得られるので1時間程度の歩行で済みます。それどころか、足の裏の接地面は軟らかい土で圧力が吸収され、その上、柔らかな不安定は体のコアを鍛え上げていきます。一生涯使えるインナーマッスルが健康に維持されます。

しかしながら、街に住んでいるとなかなか1時間も山道を歩くことなどできません。

しかし、太極拳はそれ以上の効果を出すことができる運動なのです。軽い太極拳で4Mets程度とされています。

ただ、公民館の板張りの間で行ったり、公園で型にはめられた安全域(膝を爪先より前に出さないなど)で動いているのなら、ラジオ体操の方が安全で効果もあります。

太極拳は、一時間程度を途切れることが無く行える套路を、朝の公園で朝日に当たりながら行うのであれば、とてもいい運動になります。朝日に当たると17時間後には睡眠のホルモンがこんこんと出て、自然と眠りにもつけます。

武当山の太極拳は115式ほどを1時間ほどかけて行います。現在は85式が一般的ですので、ほぼ同じように武当山で行われていた古式の基本動作を取り入れて行えます。現在普及している太極拳の動きは、国民の健康体操として制定されたもので、効果よりも安全に主体が置かれていますので、体操程度の効果しかありません。武道としての動きは運動としての効果を最大限に引き出しますが、同時に武道の基本を会得していないで行うと、身体に支障が出るのがあたりまえです。それをそのまま、現在の太極拳体操に取り入れたのであれば、ここまで太極拳は手軽な体操として普及はしなかったでしょう。

しかし、それは実は本末転倒なのです。基本の動きはとても簡単で、まずそれを会得してから古式の太極拳を行えばいいのです。

歩き方も、実は大切な基本があるぐらいですから、むやみに歩くよりも、歩き方の基本をマスターしてから歩かないといけません。太極拳も同じです。最初から、安全域で行う太極拳の基本をマスターしても、山を歩くのと同じように複雑な均衡反射を使用する太極拳には通用しません。ですから、近代の普及太極拳は安全域の体操として制定されたのです。

太極拳が体にいいなどは、諸刃の剣と思ってください。多くの武道家に怪我や故障、心身の病が多いことは、社会を見ていれば明らかです。かといって、歩道を一時間歩いたり、室内や、均衡反射の必要ない太極拳をしていても、ついその域を超えて心身を壊すことになるだけです。

一日に85式の古式太極拳を、40分から1時間程度行われることをみなさんに強くお勧めします。

身体活動量が多い者や、運動をよく行っている者は、総死亡、虚血性心疾患、高血圧、糖尿病、肥満、骨粗鬆症、結腸がんなどの罹患率や死亡率が低いこと、また、身体活動や運動が、メンタルヘルスや生活の質の改善に効果をもたらすことが認められている。更に高齢者においても歩行など日常生活における身体活動が、寝たきりや死亡を減少させる効果のあることが示されている1,2,4,5)。

(抜粋)身体活動量と死亡率などとの関連をみた疫学的研究の結果6)からは、「1日1万歩」の歩数を確保することが理想と考えられる(注)。
(注)1日1万歩の根拠
海外の文献から週当たり2000kcal(1日当たり約300kcal)以上のエネルギー消費に相当する身体活動が推奨されている6)。歩行時のエネルギー消費量を求めるためのアメリカスポーツ医学協会が提示する式を用いて、体重60kgの者が、時速4km(分速70m)、歩幅70cm、で10分歩く(700m、1000歩)場合を計算すると、消費エネルギーは30kcalとなる。つまり1日当たり300kcalのエネルギー消費は、1万歩に相当する。
歩行時のエネルギー消費量を求めるためのアメリカスポーツ医学協会が提示する式11)
水平歩行時の推定酸素摂取量(ml/kg/分)=安静時酸素摂取量(3.5ml/kg/分)+0.1×分速(m/分)
この式によれば、体重60kgの者が、分速70mで10分間歩くと、6300mlの酸素を摂取することとなる。これに「酸素1リットル当たりのエネルギー消費量=5kcal」の関係を当てはめると、約30kcalのエネルギー消費量に相当することが求められる。

引用元: 身体活動・運動|厚生労働省.

太極剣《専門教学》

IMG_3168 30年ほど前、兵庫県の六甲山の山奥で、武道としての太極拳を練り上げるために、さんざん太極剣と太極刀を教わりました。

 鉄製の太極剣と太極刀はとても重く、非力なものは腰腿を使いこなさないと振れるものではありません。
 しかしながら、筋力を鍛えれば、それなりに振ることはできます。多くの中国武術はそのようにして振ります。
 そのように筋力を鍛えなくても、楊式の太極剣は、女性でも非力なものでも腰腿を使うと、重い剣や刀を旋風のように使うことができます。
 楊式の剣と刀はそれを太極の理によって追求しました。用意不用力です。腰腿は意を用います。割り箸一本で身を守れるようにまでなります。
 あるとき、念のため木製の太極剣に重しを付けて弟子達と公園で練習しようとしていたところ、警察に職務質問されたことがあります。
 木製の剣身のところが鞘と思ったのか、それとも私たちの人相が悪かったのか定かでありませんが、集合してこのようなものを持っていると検挙することになると言われました。その後、色々と調べると、日本刀は登録されたものを持つことができるが、中国の刀剣は基本的に磁石につくものはどのようなものであれ、所有することはできないということを知りました。
 東京に出てきてからは、本物の太極剣と同じ重さ程度(1.3-1.5kg程度)の重い木の枝で練習を続けていましたが、人に教えるにはやはり刀剣を手に入れる必要があると思い、当時、週に数回出入りしていた香港で、刃のついていない鉄製の太極剣を見つけ、税管の職員であるという男に相談したところ、刃がついていないから大丈夫と言うことで購入しました。とても安かったので、だめで元々という気持ちで税関に挑戦してみました。
 香港の税関はもちろんすんなり通過しましたが、磁石に反応したので日本の税関で二本とも没収されてしまい、返送処置を行えたので、香港の九龍城の友人の住所に返送したことがあります。その後、香港に行くと、その剣で友人たちに太極剣を教えたりしていましたが、九龍城が解体されてからは連絡が取れません。私の剣と、続けて購入した太極刀は行方不明です。
 その後、日本で太極拳を教えている中で、腰腿を暢やかにしていく域に効果的に連れて行く方法として、太極剣を教えるという気持ちはありましたが、どうも、木製の剣に重しを付けて行う事には、積極的になれませんでした。
 ジュラルミンの軽い表演用の太極剣はそれはそれとして楽しいものでしょう。また、太極拳が熟練して、軽い刀剣でも、八触(詳しくは教本をご覧下さい)の技術を用いて重く感じながら動く方法もあります。しかし、最初は実際の重みを経験し、その重いものがなぜ軽やかに動くのかを経験することが大事です。腰腿が暢やかになり、剣の先まで勢が伝わり、手の重みに匹敵するぐらいの質量が剣先にまで生まれればいいのです。そうすれば、ニュートンの法則の通り、剣先は質量とスピードによって本当に斬れるだけの勁が生まれるのです。軽いものを振っていると、それを知ることが無く、ただ、剣を動かすだけに終わることも多いでしょう。表演は表演であり、太極剣は武道です。軽い棒を持っても、棒で相手の体内を砕くほどの発勁を出せないと意味がありません。その域に達すると、太極拳も大架式(大きな円圏)で武道練習が行えるほどの暢やかさが生まれるようになります。実戦的な暢やかさを練り上げるのであれば、太極剣や、又それ以上に重い太極刀は効果的な課程でしょう。
 日本には表演用の刀剣は多くありますが、なかなか本物の重さを持つ刀剣にめぐりあえず、今日まで至っていました。
しかし、門下達の太極剣を行いたいという進言もあり、少し、ネットを探してみると、中国のサイトに日本向けに送ることができるところを見つけ、色々問い合わせてみると、合金製であり磁石にも付かないので、日本の税関も大丈夫で、保証もあると言うことでしたので、色々と調べてみました。
 中国にも問い合わせてみたところ、中国税関による中国から日本向けの発送検閲や、日本税関の中国からの輸入には、例え磁石が付かなくても、没収される可能性が高いとの情報を得て頓挫していました。いざとなれば、挑戦してみるつもりでしたが、もう少しネットで見ていると、なんと身近なところで、美術剣なるものを見つけ、その剣のみの重量は1.3kgとあり、亜鉛の合金製となっていたので、早速購入してみました。
 私のところに届いたその剣は、剣身はさすがに見た目は合金で鉄とはほど遠いですが、持った感じは全く本物です。そして振ってみると重く、腰腿を暢やかに剣身まで伝えないとなめらかに振れる代物ではありません。探していたものを見つけたので、安心しました。
 いつも利用させていただいている天宝堂さんに感謝です。

 他の合金製は700gの代物でしたが、これは少し軽いので、非力な女性や子供、高齢者にはお勧めです。ある程度の重さを感じます。私たちには軽すぎますが、このような軽いものも、熟練すれば、重みを与え振ることができるようにもなります。
 おおらかに振るので、基本的には戸外で練習を行いますので、剣身には刀剣袋を覆い練習します。剣身むき出しも違法ではありませんが、公園などでは他の人に不安を与えることになりますので、このようにして練習します。
 練習は今のところ、日曜日の武道クラスの後の30分に専門教学として実施します。よろしければみなさんも参加下さい。

歴史3:王流楊式太極拳と文聖拳

私の師がしきりに同じ流れから派生した拳法だといっていた文聖拳というものがあります。文聖拳はは17世紀中葉の明末、清朝の初期の時期に劉奉天(1617―1689)を創始として起源します。彼は元々は武当山で幼少から修行道家として張三豐の内家拳を修行していましたが、思想が孔子(文聖)の儒教に傾き始めその思想を元に文聖拳を興しました。張三豐の内家拳が少林寺の禅宗から袂を分かち道教で育ち、又その中から、袂を分かち文聖拳に育っていったのも理解ができます。

その後、清朝の文武進士であった楊士海は文聖拳を承継して大成させ、离卦義和拳(門)と称していました。武術民武色が強かったため、楊士海は1782年に禁武政策下において捕まりました。

その後、歴史の中で文聖拳は秘密結社などと交差しながら民衆の中で育っていきました。そして、文聖拳や梅花拳が中心となって1898「義和団」が蜂起します。そして1900年に義和団の乱が起こるのですが。西太后は王朝のお留め武術の楊家太極拳の楊 露禅が生前に実力を認めていた義和団(文聖拳と梅花拳)を支持しました。文聖拳と梅花拳は、あまりにも強い徒手殺戮拳法であると聞いていたため、列強の外国勢など肉弾戦で勝利できるはずと確信したといいます。

その文聖拳がもっとも王流楊式太極拳と似ているのは、王流楊式太極拳が張三豐の内家拳を源として王宗岳などの道家によって伝承されたように、同じく劉奉天によって武家思想としての儒家の中で伝承されていったのも、根本が同じものであるからです。

楊家の楊露禅は1840年ごろ、40才を過ぎて北京で王朝の武術指南役となりますが、武術家達をことごとく打ち負かして「楊無敵」といわれました。その楊露禅が生前に西太后に義和門の徒手拳法の実力を何よりも実戦的であると評価していたので、西太后が義和団を利用して諸外国を排除しようと考えたのも頷けます。ただ、一説には楊無敵と言われたのも、朝廷が民間や武士から恐れられるように、楊露禅の実力を持ち上げたためとも言われています。しかし、武当山で修行した楊露禅はそれなりの太極拳法の実力を持っていたのでしょう。だから、義和拳の実力も見抜いていたと言えます。

楊露禅は王族や貴族以外に武術を教えてはならないと王朝から留められており、子らにも王族や貴族に教える武術と同じものを教える事になりますが、きらびやかな衣装を着て、武術をあまり好まないもの達には、ゆっくりとした套路や推手程度しか行うことしかできず、その套路や推手だけに限ってしか、子たちにも教えることができませんでした。
楊露禅が義和団などに助けを求めて諸外国に対抗するように西太后に訴えたのも、このような王朝の武術の実態を知っていたからです。

文聖拳は義和団の乱と密接な関係があり、中国ではタブー視されていましたが、最近になって三代目文聖拳として王安林氏がブログを立ち上げています。

そしてYouTubeでもその拳法を見ることができます。確かに、相当王流楊式太極拳と酷似しています。これほど私の師と近い拳法を見たことがありません。確かに師のいうとおりこれこそ同じ源流だと思います。

ここにYouTube動画を一つ紹介しますが、他のものもぜひ見てください。

太極拳は筋と骨を使う

太極拳は神気精の一致で発勁となります。

精とは人間が人間として持っているものです。肉体と精神の全てです。

それは、老若男女であっても、持ってる物はなにも変わりません。

精とはその人間の基本的構造、例えば、筋繊維の数や細胞の性質、骨の数やその性質、脳の造りやその性質,その他の生理的性質など全てのことです。

この基本的構造はたとえ赤ん坊であっても、老人であっても、男性であっても女性であっても変わりません。

厳密に言えば、多少の差があったり、病気やけがでの差異はありますが、根本的なところでは なにも変わらないのです。

そのような変わらないところを使った武道が太極拳なのです。自分の変わらないところの構造や性質を精として,森羅万象にて変わらない神(しん)をエネルギー伝導の気を遣って一致させるのです。そこで相手の精も同化して、自らの神気精で相手の精を凌駕するのが、太極拳の技です。

鍛えて太くなった筋肉の肉の太さや長さを精としてとらえて、それをどうにかしようとすると、同じような筋肉の太さと長さが必要になってきます。
年齢でも男女差でも筋肉の太さは変わってきます。そのような変わる物を使えば、男女、身長、体重などで差がでてきて有利や不利が生まれてくるのは当然です。

太極拳では、精の中心には年齢や男女によって差のない筋と骨の構造と性質を使うのです。 その筋骨を使って勢を精に伝えていく気順を練習します。

筋骨は一体になって、筋は気により神からの波動を受けます。それが差異なく一致したとき神の波動は筋骨を動かすのです。それが発勁です。

神は人間の生命力以前の生理のようなものです。生命が生まれるときの発現のような純粋無為な意(い)です。

よく鍛えた筋肉の肉の方に精を伝えていると、骨を筋で動かすことがおろそかになります。太極拳では拙力と言ってこの力を区別します。遅くて固い弱い力としています。骨を使うようにするには、筋肉の収縮によって起きる力を筋肉に感じていては、骨を実感することが出来ません。 套路などでそれを確認してみるとよくわかります。

太極拳では放松という言葉を使いますが、このように力を抜くためには、骨に勁を感じることが大切です。骨には神経も筋肉もないのは当たり前で、そこはもともと硬い骨であり、それ以外のものを解き放すことで放松というのです。筋骨の力は勁として早くて柔らかい強い力としています。

筋は衝撃などの吸収や、安全のために備え付けられた、綿布団のようなものであると考えます。綿の中に筋骨という針があるのです。筋骨には意が備わっています。

太極拳は綿拳とも呼ばれることがありますが、これは太極拳がそのような性質を持っているため,一部のものがそのように呼んだのですが、綿拳は独立して新興中国武術の中に育っているようです。

どちらにしても、太極拳では意識を捨てて、骨に力をもたせ、筋により発勁を起こします。これが一体になって身体を動かすことになります。

勁の通る道は勁道であり、勁道は経絡と経穴に通り抜けるエネルギーを使って勁が通る道です。

そのしっかり通る道を太極拳の套路などで思い出しておくと、肩こりや腰や膝の故障とは無縁になります。

自分自身の放松や,経絡や経穴の気の通り、そして勁道にある勁の強弱などを,太極拳の経験により多く思い出しておき、本来の己を知っておくと、相手の己も一目見るだけでわかるようになります。

どのような環境で、例えば、自分が静であろうが動であろうが,陽であろうが陰であろうが、虚実のどちらであろうが、放松と、勁道、そして変わらないものは変わりません。

このように、太極拳は、どのような状況でも、そして老若男女同じように武道として使えるのです。

年を取っても太極拳が武道として成り立つのは、このような理由です。

武道としての太極拳の変化

現在の中国における武術も、日本での武術もそうですが、武道を習う人に対して、武道が本来の武術と同じような要求を続けていくとしたら、武術を学びたいという人は減少せざるを得ないと言うことはどの武道家も知っています。
そこで、ずいぶん昔から、武道である太極拳はその武術自体を大きく変化してきました。
その理由は、本物の武術を追求するには長い時間の毎日の練習と、良い師が必要になるわけですが、現代人は余りにも忙しいうえに、身近なところに良い師がいるということは難しく、武術を残していくという手段としては、武術自体を変化させるのが良いと考えたのです。すなわちパッケージ化です。パッケージ化とは套路の型のように一つの型を定型化することです。
日本にも太極拳を元にして、その型を変化させ独自に定型化している武道が普及しています。
私は、幸い若い頃から大阪で自分で会社をしていて、又、20代後半は武道と内観に明け暮れることが出来るほどたっぷりと時間がありました。
私の師である王先生は第二次世界大戦の頃は、中国において特殊任務に就いていたらしく、そこでは、幼い頃から先生の叔父から、一子相伝ということで徹底的に指導された楊式の太極拳が、特殊任務においての実戦で大いに役立ったと言うことでした。戦後も相当危ない仕事をしていたらしく、命があるのは太極拳のおかげと言っていました。私の祖父とも大阪のミナミにおいて深く関わっていたとのことでした。
私が師と巡り会った頃は、一子相伝ということで誰かに太極拳を伝えて残しておきたかったが、子供は跡を継いでくれず、そうなったら伝統が絶えてしまうので、誰れ彼の区別なく周りにいるもの達に弟子達の時間のあるときに教えていたと話していました。しかし、週に一度程度習いに来て、忙しい中で護身術程度にしか考えない弟子達には、伝えたいことがが伝わることなどなかったとも言っていました。
太極拳は実践的な武道であり、武術の特徴でもある攻防が最も重要です。しかし、社会が成長し平和になるにつれ、その成長過程において攻防の部分は薄まり太極拳が広まってしまいました。
太極拳には沢山の理論がありますが、その全ては攻防を前提としています。毎日、師に教えられた理論が、その攻防の勢と一致しているかを師から学びます。
太極拳は、自分自身の深くにあるこみ上がるような不思議な勢への理解が必要です。理解は経験でのみ理解できます。理論はその表現に過ぎません。経験という理解は言葉では表せませんが、言葉で表すなら理論が合致するのです。ですから、太極拳の師は良く理論を話し、それと合致している動きを教えます。
攻防の理論とは、例えば、太極拳では相手が動かない限りは、自分も動きません。相手が自分に対して動いたなら、その動きを和合させ、自分の動きにして相手の動きを自由にするだけです。
太極拳においては相手の動きを待つと言うことです。相手の動きを深い感受の部分でとらえるのが聴勁です。実戦の命のやりとりの中で身についた王先生の動きから、王先生は内観により、その感受と水がわき出るように発せられる沾粘の勢を観るのです。そして、相手の意が動いたとき、その水がわき出るのを観るのです。
その経験を内観して、人に伝えるときその全てを、使える言葉としての理論と、表現全てを駆使して弟子に伝えます。
そして弟子に実際の技を経験させて、その理論と表現が一致していることを弟子に認知させたとき、一つの勢が師から弟子に伝わり始めるのです。
このような相伝は、面と向かっていなくても師から弟子に伝えることも可能で、弟子は単練にて自分自身を内観できれば、その勢を伝えることが出来ます。
本来の武術の要求を真に経験しているものは、このように豊富な理論と、表現方法を駆使して弟子に全てのことを伝えることは可能です。
情報社会が発展し、今はネットワークを通じて豊富な表現方法が出来ます。
多くの武道家があきらめ始めていた、真の武道の伝承も、一子相伝ではなく遠方にいても、又弟子が時間が合わなくても伝えることも可能な時代になってきました。
ネットワークを通じて、師と弟子画面と迎える時代になったと言うことです。
太極拳は、本来の人間の能力を思い出し、その動きを利用する武道です。他の武道とは入り口が違うのです。
ですから、弟子達の単練と、師の経験を説明する理論を整合させていく作業が出来れば、昔のように、弟子さえそれを感受する能力があれば弟子は育ちます。
そしてその弟子の感受する能力を呼び戻すことが出来るのも、太極拳の修練にあるのですから、真の太極拳をやる気の あるものに伝えていくのは、遠方であるとか、時間が合わないとか言う障害は全くなくなったと考えています。
結論は、現在においても、他の武道のように太極拳はその本来の武術を変化させることなく、弟子達に伝えることが出来ると言うことです。

脚法

蹬脚・・・踏み込んで蹴る
翅腿・・・足尖或いは足縁を用いる。
採腿・・・足心を用いて人の膝蓋骨(しつがいこつ)=臏(膝の皿)を踏み砕くとともに面部を打つという技法です。

分脚 [#o0ab440e]
十字腿 [#z3376c5e]
擺蓮脚 [#xf1ad297]
金鶏独立 [#q925b147]