最近、怪我がし易い身体になっていて、何とかしなければと思っています。

太極拳などの武道の形を真似るために、その形を作ることばかりに拘っていると、外側の筋肉を使う癖ができ、意識してリラックスしたり、力を抜こうとしても、その筋肉しか動きません。

その上、力を抜くことを意識するので、結局随意筋が主体で動き、内部のバランス筋はその拮抗(神経拮抗)により能力を弱めます。

リラックスや力を抜くも、これも意識すると拙力です。

随意筋のどこかの力を抜くと、どこかの随意筋に負担がかかり補います。随意筋はこれしかできません。相互作用です。運動神経が働きます。すると、そのリラックスした以外の、負担を受けた随意筋の深部にある箇所に急激な力が加わります。… 続きを読む

太極拳の無極は、仏教の空のようなものですか? 無も有も包括するような?

 

 「無極」は、「空」ですらありません。「空」は相対性の視点です。「空」といった時点で、「色」が生まれます。

「空」は、「色」とは何か、即ち、目に映る現象とは何かを解決するための理論です。

だから相対性すらない「無極」には「空」も含み「空」は含まないともいえます。

しかし、「無極」から有無が生まれ、うまれたものの状態は相対性において「空」という「無極」と同じ不確定性というカオス(混沌)の性質になっています。… 続きを読む

現在頸椎ヘルニアで、先日、ドアを強く開けようとしたら開かず、首が鞭打ち状態になってしまい、更に悪化してしまいました。その鞭打ちになった時が、頸椎もリラックスしていて力が抜けている状態で、逆にガクンっ、となってしまいました。

 大切なのは、何をするときも、意識しないことです。ドアを開けるときも太極拳の無為自然の発勁で開けます。気持ちよく楽しく開けることです。何も考えないと凄い力が出ます。無理は絶対にいけません。何事においても無理がない日常を送ることが大切です。

特に、リラックスという意識が最も危険です。

放松(放鬆)はリラックスという意識では無く、無為自然にあたりまえに存在する自然な鬆らかさですから、リラックスと意識すると本末転倒です。… 続きを読む

頸椎と背骨について、質問なのですが、 特に頸椎は中の方も力が抜けていた方が良いのか、 中の方だけ少し圧力や力がかかってしっかりした方が良いのか、どちらなのでしょうか?

頸椎周辺の下頭斜筋・上頭斜筋・大後頭直筋はバランス筋ですから、全体のバランス筋の総合力で鬆らかく(柔らかくではない)かつ弾力があり、気勢も溢れ、外側の筋肉はそれに従い動くことが大事です。外側が緊張したり、又力を主にしたりすると、その直線的でおおざっぱな動きが内部の頸椎周辺を損傷します。中の方に圧力を加えるも力も加えるも良くありません。そうではなく、下頭斜筋・上頭斜筋・大後頭直筋などが無意識において、主なのです。脳の深いところで、恒常性を維持するためにそのバランス筋を動かしますから、一切意識せず、本来の自然な生命力に従っていればいるほど、良く働きます。逆に無理な意識したり、意念を持つと外側の随意筋が動きますから、全て意識せず意念せず無為自然に動いていれば、勝手にバランス筋は大いに働き、もとの先天の能力を取り戻します。そんなことあまり考えないで、自分の先天の能力を信頼して、ゆっくりと套路をやっているのが一番です。… 続きを読む

太極拳の用意不用力の『意』は『意念』だと教えられたのですが?

意念ですか?全く違います。意は意です。心の働きですから厳密には心意の内の「意」です。意だけでも『心』という意味がありますが、意の場合は働きの方をさします。太極思想においては、無為自然ですから念があると有為になります。

念は中国語では、「思う,気にかける,懐かしく思う,何度も思い起こす,忘れられない」などの意味です。日本語でも、それを少し強く意識するくらいで意味は変わりません。
虚霊頂勁は無念無想の意味です。「頂勁」頭の頂上の勁、すなわち心は、無念無想「虚霊」にしてと言っているのです。… 続きを読む

太極拳の四正手のり勢の「り」は、「捋」ではないのですか?

近代の太極拳では、なぜか「捋」が一般化しているようですね。
四正手の「扌履」この字は現代の字典の中にも、コンピュータの中でもこの字の番号がありません。従って、このように手へんと履という字を組み合わせて表示していますが、中国では太極拳が発祥した頃に太極拳のために特に創造された文字です。その文字の構造によって、会意文字の範疇に属するもので、手へんの文字として、1つの動作で手足全体で履の動作を行います。

扌履勢は、手と足が一致して、履という動作を行うのが自然です。扌履勢は手の案内によって、相手を足とみなし、空の自分の靴へはめ込んでいくような化の技法です。こちらの退いた状況に相手の実を取込、相手の空(靴)に自分が進み入っていく。このような化の動きを表すのが扌履勢です。これが、「「引進落空」の技法です。… 続きを読む

専修クラスは、以前武道クラスでもやった座道とか中心にやる感じですか ?

(当流の拳士からの専修クラスに対する質問に答えます。)

坐道(導引法)・站椿(立禅も含む)・運気法(内気功も含む)・太極整体(套路の型と、擒拿を含む)・点穴(活法・外気功)・内丹術・存思(瞑想と想念)と多様にやります。
坐道も中心というのでは無く、太極拳の根本修養のただ一つです。
武道クラスでやったのは内功ですね。あれも坐道の応用ですね。本来は武道クラスでやりませんが、ちょっとみなさんの健康状態をよりよくするために、少しやっておきました。擒拿や摔角をやっているだけで十分整体や内功になりますから。… 続きを読む

太極拳は意識で動くと他で教わりました。意識で動くと無為ではないですよね。

太極拳は意識で動く?そんなことをしていたら太極拳ではなくなります。
太極拳は無意識で動きます。

無意識とは何でしょうか?

無意識とは意識がないと言うことでしょうか?

実は違うのです。

意識には顕在と、潜在があります。そのどちらも意識なのです。

潜在にある意識が、自分では顕在しないで働くことが最も多く、癖や執着などに現れます。煩悩や見えない雑念なども全てそこにあります。

太極拳で言う、無意識とは完全なる純粋な意識です。無為自然と言います。… 続きを読む

音楽を聴きながら套路をしても良いのですか?

まず結論から言いますが、どちらも良いということです。

どちらでも、おおらかに滔々とした套路が行えるというのが太極拳の向かうところです。

太極拳は、太極といわれるように混沌とした世界を全て融合して和合するものです。

この私たちが生きている実際の毎日の社会そのものも、混沌とした世界です。

よく、音楽を聴いていると心が定まらないし、意識が散乱するので、套路をするときには音楽を聴かない方が良いといわれる場合があります。… 続きを読む

勘とは?

勘とは、人間のありにままにある優れた能力です。

俗に第六感と言われるこの感覚を心身一如(心と体が一致して)で使えるように養うことができます。

勘は、空間(例えば、周りからの影響)や時間(例えば、急いでいたり、ゆったりしていたり)、五感(心身が感じる色々な感覚)にとらわれない無為自然の感覚です。

その勘を技の中で経験して養うのです。 勘と技が一致したときは、神(心)気・精(体)が一致します。

瞬間の機(チャンスの元みたいなもの)を知り、勢(動きの起こりみたいなもの)を発します。… 続きを読む