知られざる手揮琵琶

syukibiwarozen 楊家の三世、楊澄甫氏が演じるこの型は、太極拳の中では最もシンプルな型に見える「手揮琵琶」です。以前に実戦空手の髙段者にこの型を披露したことがあります。その彼は前足の虚歩の場合の構えは、空手の場合は猫足だといい、太極拳の構えとは違うというのですが、とんでもない、太極拳でも虚歩の構えの場合は猫足ですよと説明したことがあります。また、手揮琵琶には弓歩の構えもあり、古式楊式太極拳の実際の套路の過渡式に含まれています。
  実際に手揮琵琶を使って、彼と技で攻防を行ってみると、彼はその効果をとても納得したばかりか、その日から入門して太極拳に深くのめり込んでいきました。
 しかし、近代において太極拳が套路として伝承されてきている中で、太極拳を行っている人たちの中で、手揮琵琶の虚歩の構えが猫足であることや、弓歩の構えがあることをを知っている人に会ったことがありません。私のところの道場では、招式、散手練習における手揮琵琶の虚歩の構えは猫足で、実戦練習では弓歩も多用します。しかし、套路においては一般の套路と同じく踵を地につけた虚歩で行います。この意味がわかると、この手揮琵琶を使った技を強烈な攻防一体の技術として使えるのです。套路においては、その攻防一体の勢いを涵養しているに過ぎません。套路は構えの連続した型ではないのです 。実際の戦闘術における勢を徹底的に練り上げる練習法なのです。従って、この意味さえ知らなければ、套路の本質さえないということになります。なぜ、前足の爪先が上がっているか?楊無敵と言われた楊式太極拳の創始者である、楊露禅の行っていた太極拳の本質に立ち戻ればいいのです。そして、その本質は実際の相対の招式を行って理解できるものです。当道場では、基本を身につけた後は、応用または武道でそれらを涵養していきます。

徹し(とおし)の発勁

太極拳の発勁で、相手の内部にまでダメージを与える打ち方があります。

鑚勁とも呼ばれ、この発勁の練習については、通常の打撃練習では習得できません。

徹しという技能を身につけます。王流の套路には徹しの発勁で打つことができるような過渡式を備えています。

基本の勢はこの套路で修練できます。

発勁には、その目的に応じて、表面的な部分に痛みを与えたり、経絡を閉ざしたり、経穴を麻痺させたり、虚を創出するものなど色々とあります。擒拿術や投げ技である摔角の作用点も発勁になります。声だけの咆哮も、相手の動きを誘ったり、気で相手を動かす凌空勁ももちろん発勁です。つばを吐きかけることも発勁です。耳や髪の毛を引っ張ったり、衣服をつかんだり、罵詈雑言を発したり、騙したり、演じたりするのも全て発勁です。

徹しに関しては、鑚勁や点穴などと同じ三節三尖の理で修練します。套路も三節三尖の理を備えています。

練習方法は、打撃点(表面)より内部を爆発点となるように打ちます。套路では無極点での移動です。

応用練習ですが、もちろん人間相手で練習など絶対にできませんから、拳法の防具の胴を吊して、それをできるだけ遠くに力を掛けずに飛ばす練習をします。

なぜかというと、打撃点で爆発すると、音は凄いですが、打撃点と爆発点の距離がほぼ0ですから、爆発の威力だけですので、相当な爆発力が無いと遠くには飛びません。

しかし、打撃点と爆発点の距離がある徹しでは、その距離の移動スピードとその質量(体重全て)がそこに働きエネルギーを創出しますから、弓を飛ばすような勢いが出るだけのエネルギーがその間で生み出されるのです。E=mc2

ですから、打撃点まではほとんど力を使いません。腕を運ぶだけのことで、体幹を使うのでほぼ無力です。

打撃点から爆発点までが徹しであり、その移動は弓を発するようなイメージですから、弓道を見てもわかるとおり、見た目はほとんど軽く打っているようにしか見えませんが、とても遠くに飛んでいきます。

飛んでいくと拾いに行くのが辛いので、公園のブランコの平行棒に吊しておくとクルクル回りますし、その回り具合で徹しの度合いがわかります。木に吊しても良いです。しかし、重いサンドバックは相手が人間と考えると、人間というのは立っているのがやっとの動物ですから、少しの移動で崩しの範囲に入りますから、サンドバックのような力点が頭上や足下で固定されているものは、人間として見立てた場合は理に合いません。崩れないものを打つのは逆に簡単であり、崩れていくもの、逆に相手が太極拳やボクサーのような体幹の使い手でも、内部に打ち込めないと意味がありません。胴程度の軽いものをできるだけ遠くに飛ばす。これが徹しの練習に必要です。

例えば、弓の矢をマイクスタンドのような受けにおいて、矢筈を徹しで打って数メートル先の的に打ち当てるような練習もできます。

また、スイカや瓜などを吊して、それを打って内部を爆発させることができるようになると、徹しは神明の域に達し、スイカや瓜と同じ構造の頭部や、肋骨で守られた心臓、それよりも柔らかい肝臓や腎臓はたまったものではありません。

このように、太極拳の徹しは徒手殺法の代表的な技術です。頭部や心臓を打つと致命的であり、肝臓や腎臓には障害を残します。

徹しの技術を会得してしまうと、背勢や、分間をとることができれば、徒手殺法としての目的は達成できます。

しかし、徒手殺法はこの日本では使うことを考えるよりも、絶対的な自信の一つとして備えるものになります。
この自信が他の太極拳の技術を、より高めていくことに役立ち、日常の生き方にも大きな恩恵をもたらすことでしょう。

横隔膜の筋肉痛と太極拳

太極拳の動きは、インナーマッスルが司ります。それも呼吸と連動する呼吸筋が主です。その内、バランス筋と連携している特に横隔膜を使用します。

従って太極拳の功夫の過程は、この部分に筋肉痛を伴うのです。

あらゆる呼吸を大切にするインナーマッスルを使用する武道においては、横隔膜の筋肉痛は、一つの鍛錬の目安でもあり、アスリートが自ら鍛え上げたい筋肉に筋肉痛を絶えず覚えるのと同じなのです。

太極拳は呼吸筋を中心に使った武道であるのですから、呼吸筋の筋肉痛なくして、太極拳をやっているとはいえないともいえます。

もちろん套路でも同じですから、85式あたりをやって筋肉痛を覚えないのであれば、套路では呼吸と共に体を動かしていないことになります。そうであればそれは太極拳とはいえません。

弓道や合気道の高手、中にはヨガやコアリズムやベリーダンス、フラメンコのダンサー、能楽師や日本舞踊の家元なども、稽古の後には横隔膜の筋肉痛を訴える人が多いようです。

横隔膜を多く使用する(腹式呼吸)歌手なども、ボイストレーニングや、長いライブの後には、横隔膜の筋肉痛を覚えます。

日本人は昔から緊張しやすいため、いざというときに力を発揮できないといわれ続けていました。その,克服として呼吸に全てを託す武士道の日本武道があり、太極拳も内丹に基づく吐納法でのいざというときの武道的克服で、不動心や平常心で呼吸をいつでも使えるようにしていました。

中国での徒手殺戮術としての太極拳や、日本の剣術における武士道の精神状態は、いつもが戦の前のようなもので、脅えや恐怖を超越した覚悟です。戦場では、追い込まれてときに少しでも脅えや恐怖があれば当然負けてしまいます。追い込まれたその先にある境地に至った時に、その超越したところで神がかりな動きができるのです。

このように、不動心や平常心、すなわち腹が据わるというところに、実は横隔膜を鍛えるということがとても深く関係しているのです。呼吸と腹を結ぶ横隔膜。そしてその腹が据わった動きを背骨を伝えて全身を動かすために、その要である横隔膜を鍛えるのです。修練するものは、現実的実感としての、腹の据わりを知ることになります。

実戦で追い込まれると、急激に腹が据わった状態になり、横隔膜が強く大きく働き、ゆっくりと腹部あたりが圧縮されてきます。息が詰まるような状況であり、景色が変わります。そして、それに耐えうるだけの横隔膜は、いつもどおりなめらかな動きを強く発し始めます。横隔膜は活性化され解放されます。これが腹が据わるという状況です。

姿勢は自然と、顎をひいて直立するような姿勢になり、気管から肺をふくめた部位と横隔膜が機能的に働き、腰で前に進むような歩きになります。まさに能です。古武術やなんば歩きも同じです。声を出す気合いは、横隔膜を強い発声で強く固めるための方法でもありますが、普段から横隔膜を鍛えてゆるやかに固める方が良いのであり、横隔膜を鍛え抜いている高手は緩やかな息づかいで十分です。このあたりも,腹が据わっているという武道家が気合いを発しないで、「ふん」という含み気合いになるところの理由です。

太極拳などの気功における吐納は、吸気で降下した横隔膜を、逆腹式呼吸でリラックスした吸気によりさらに圧下させ、胸腔内圧を陰圧にすることで自然に空気を肺に流入させるものです。胸郭の横径と腹腔容積を能動的に通常よりも圧縮します。この吐納法で套路や、単練、站椿を含む練習をしているならば、横隔膜が筋肉痛になってきます。站椿などが最も顕著であり、圧縮状態をしばらく保持していると一挙に横隔膜に筋肉痛がやってきます。

すなわち横隔膜を站椿などで鍛えておくと、この横隔膜の筋持久力だけ、息を込めることができるのです。この間はいつも腹がすわっており、太極拳では太極の状況であり、日本の武道では隙が無いということです。

横隔膜の圧下と丹田の圧縮を維持するするための吐納法が、横隔膜に持続的な刺激を与えることができます。蓄勁によって横隔膜は収縮していると平たくなっているので、丹田でその平たくなった横隔膜をバンとたたくように息を吐きながら(吐納法で)発勁します。
体の中心が地面に突き刺さっているような感覚で、その発勁が体幹に伝達され、太極拳のドッシリとした回転モーメントなどに、瞬間的なインパクト時にすべての一連の動作が凝縮されて発勁が行われます。発勁は瞬時に凝縮するので、体幹発動という運動機能の最小限の動きさえ有れば十分です。

このように、体幹や深層筋の重要性は,腹が据わっているということなのです。そしてその腹は横隔膜が担っているということを忘れてはなりません。

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套路と相対練習の相乗効果

套路は、自然な勢で動いた結果の動きを連続させたものです。套路練習が熟練してくると、自然な勢が連なっておおらかに動けるようになってくるので、気が充実し、連続した型がとても気持ちよく行えるはずです。少なくとも、武当派の套路はそのようにできあがっています。相対練習を熟練してくると、套路の感覚と同じように感じられるようになってきます。相対練習は現実であり、套路は理想と考えればいいでしょう。
套路において一人で自然と融合して発せられる勢を、相対練習においても、人間という相対的なものと融合して同じように発せられるようになれば、太極拳は「神明」の領域に入っていきます。
相対練習は套路を現実に、套路は相対練習を理想に和合させていき、双方が融合して太極図を描くように無為自然の太極拳が完成します。
相対練習で行った技は、自宅で相対練習の動きを描きながら、一人でゆっくりと式(型)や套路(型の連続)を行って練習してください。現在の套路は流派によって基本的な数式を組み定めて行っていますが、元々太極拳には三百以上の式があり、本来の套路は、それを相対練習に応じて、その自己練習として各自でその相対の技を組み合わせて套路を行っていたのです。

実際の相対練習における心得 拳脚(けんきゃく)

拳脚とは、突きや蹴りなど、体を使って相手に打撃を加えることです。
拳脚の練習は、普段勢を通していない場所に勢を通して、全身の気血の循環力を取り戻す、素晴らしい体操術となります。また拳脚を受ける側も、相手の攻撃を柔らかく自然な勢で受け流すことになるのが太極拳ですから、同様に体操術となります。リラックスしておおらかに、楽しく気持ちよく行う事が大切です。
拳脚の練習で緊張すれば、自らの体の血流を悪くするばかりか、不自然な拳脚になるので、練習においては相手や自分にも怪我を負わすことになります。
熟練してくると、拳脚を用いて相手の急所に適度に発勁を行う事ができます。その場合は相手にとって活法となり、いうなれば指圧や按摩のような効果があります。
ただ、套路において勢を修練している場合は、套路はそのような発勁がでるように研究された動きですから、拳脚の相対練習において思わぬ発勁が出ることがありますので、拳脚を相手の体に当てることは、相当な熟練をしたもので指導者から許しを得たもの、または指導者が防具などをして受ける場合以外は禁じます。
太極拳の発勁は、外部ではなく体の内部に浸透するような打ち方になっていますので、基本的には拳脚は、受け手側は走や粘でそれを受けたり、また技を発する練習をします。どちらにしても、太極拳は後の先という、相手の動きを受けてから発する武道ですから、その練習方法が理にかなっているのです。

実際の相対練習における心得 把式(はしき)の相対練習の注意点

把式とは、 擒拿術と摔角、解法の総称です。
練習はゆっくりとやりますから、掛けられる側は途中で勢を無理にでも変化させて投げられまいとしたり、体勢を立て直したり、つかみ直したりすることができます。
しかし実際は、太極拳は技を掛ける側(通常は最初の攻撃を受ける側)が掛けられる側(通常は最初の攻撃を仕掛ける側)の勢に従って掛けるわけですから、受け手側はその勢を無理に変化させるのは容易ではないはずです。
もし掛けられる側が勢を変化させれば、掛ける側は、今度はその勢に従い把式を掛けることになりますから、初めの技の勢の練習はできなくなります。
練習は、掛ける側の勢と掛けられる側の勢が一致しているときの技を練習しているのですから、掛けられる側は自らの勢を無理に変化させることは良くありません。
もし、掛けられる側がむやみに自らの自然な勢に逆らい、勢を変化させた場合は、そこで勢は折れ曲がったり終点になったり、また直線的になり、そこに力が集まってしまい緊張を生み、双方に思わぬ怪我を招きます。
相手の技に対して自らの自然な勢に従い解いていく解法の技術を習得してからでないと、技を掛けられたときの勢をむやみに変化させるのはよくありません。
練習はゆっくりですが、本来なら勢いがついていますから無理矢理止めるとそこには大きな衝撃が加わります。技を掛ける側も掛けられる側も、相手の勢が自然に自分に加わってきているか、また、相手の勢に従っているかを心落ち着けて感じながら練習するのが大切です。
もし、そうでなければ、そこで止めて無理をせず、掛けられる側は掛ける側に、「自分の自然な勢はこんな感じである」と告げたり、また掛ける側は、「今自分が捉えた勢が変化した」と告げて、その変化した勢に通じる技をもし習得していれば、一度軽く掛けてみると良いでしょう。わからないときは指導者に尋ねてください。自然な勢は見ていればよくわかります。相対は人間という陰陽と和合する練習です。
套路の練習は、このような自然な勢、すなわち十三勢(四正手の掤履擠按の円や曲の動き、四隅手の靠肘列採の直や伸の動き、五行の中左右前後の方向への動き)を気持ちよく当たり前に、意識するよりも早く、心意に従って動く単練で、自己の陰陽を和合する練習です。

実際の相対練習における心得 解法(げほう)

解法とは、相手に体を拘束されたり、捕まれたり、技を掛けられた時などにそこから逃れる技の総称です。
例えば、攻撃側は相手の腕をつかみ、引くなり押すなりの勢を相手に掛けていきます。そのような攻撃側の勢いに対応するのが解法です。従って攻撃側は、練習したい解法に対する攻撃を、正確に行わなくてはなりません。それも太極拳の技として攻撃するのです。
その攻撃を解く側は、龍の勢(沾粘纏糸の勢)や履勢や採勢の自然な勢を使って解くので、全身の気血の循環力を取り戻す、素晴らしい体操術となります。リラックスしておおらかに、楽しく気持ちよく行う事が大切です。
また攻撃側も、自分の勢いを緩やかに変化させて解法されていきますから、今まで自分では勢を変化しにくいところへ身体を連れて行かれますので、ゆるやかな整体になります。しかしここで、攻撃側が無理に勢を変化した場合は、解く側がその勢いに従って擒拿術や摔角、または拳脚の発勁などに変化することになり、他の技の練習になってしまいますので、気をつけたいところです。
実戦ではもちろん、解けない場合や攻撃側が途中で勢を変化させることもあるので、その変化線上に擒拿や摔角、そして点穴や拳脚の技術があるのです。
従って練習において重要な事は、解く側は、自然な勢を用いて攻撃側の勢に和合して自然に変化させ解くこと、攻撃側は、解く側の勢を受けて変化した自らの勢に逆らわずにいることです。
双方とも、最初は自然ななめらかさを得るまではゆっくりと行い、その妙技を習得します。攻撃側は、相手の勢の圧力を感じたときは、その勢に従いなめらかに自然に勢が変化することを練習します。特に重要なことは、攻撃側が最初にしかける勢の方向や方法です。これを間違ってしまうと、解く側は違う技を掛けることになります。 解法の場合は、攻撃側がどのような攻撃を仕掛けるか、という理解がとても重要なのです。

実際の相対練習における心得 摔角(そっかく)

摔角とは、投げ技などのことです。
技を掛ける側は、掤履の勢(掤勢と履勢の合)や円転の勢(白鶴亮翅)など自らの自然な勢を使って、普段は勢を通していない場所に気血を通じさせ、投げられる側は、自らの勢に従ってくる相手の自然な勢いを受けて、自らの自然な勢を呼び起こして、それに従い体を地面に投げ出す練習です。受け身は、投げられたときの自然な勢の練習となり整体術にもなります。

そして、その技を覚えたところに、発勁の技術を用いるだけで、相手をより地面に強くたたきつける事ができるのです。摔角では、合法(技を合わせること)として擒拿術を併用して相手を完全に拘束したり、拳脚を併用して的確なダメージを与えるなどの効果を得ることもできます。
練習では、老若男女が楽しく練習できる整体術の一つとして、摔角を行います。練習において重要な事は、投げる側が自然な勢を用いて、投げられる側(最初の攻撃)の勢に従って投げること、また、投げられる側も投げる側の勢を受けて、動きだした自らの勢に従い投げられることです。
投げる側は、自然ななめらかさを得るまではゆっくりと行い、その妙技を習得します。投げられる側は、相手の勢の圧力を感じたときは、その勢に従いなめらかに自然に投げられることを練習します。注意したいのは、投げられる側は自分から進んで投げられないことです。相手の勢の圧力を感じたときに、その勢の流れに従って投げられる練習が必要です。この練習は、相手の勢を受けて自らの勢に引き込んでいくという、投げる側の感覚もつかめる重要な練習になるのです。これが太極拳の相対練習の相乗効果なのです。
熟練してくると、投げた側は投げられた側の反応によりそのなめらかさや勢の流れがわかるようになりますから、発勁の時の感覚を何度も練習してその感覚を身につけてください。

 

実際の相対練習における心得 擒拿術(きんなじゅつ)

擒拿術とは、固め技などのことです。
技を掛ける側は、龍の勢(沾粘纏糸〜てんねんてんし〜の勢)や採勢(中心や極点に勢を集めていく勢)など自らの自然な勢を使って、普段は勢を通していない場所に気血を通じさせ、掛けられる側は、相手のほどよい勢を受けて、普段の生活で硬直している関節や経絡などの弾力性や流通を取り戻します。
その加減は、及ばざる時は相手に何の勁も伝わらず、また過ぎる時にはその勁は相手を壊してしまいます。程よい痛みを感じさせる擒拿術は、最高の整体術になります。
そして、その技を覚えたところに、発勁の技術を用いるだけで、相手を麻痺させたり、より強い痛みを与えたり、また的確なダメージを与えるなどの効果を得ることができるのです。
従って練習では、老若男女が楽しく練習できる整体術の一つとして、擒拿を行います。擒拿術を掛ける側は、その加減を得るまではゆっくりと行い、相手の反応を見ながらその妙技を習得します。掛けられる側は、程よい痛みがあるときに、床や相手の体を軽く掌でたたくなどして相手に伝えます。掛ける側は、それを受けて勢の流れを緩やかに止めます。熟練してくると、掛ける側は掛けられた側の反応により加減がわかるようになりますから、発勁の時の感覚を何度も練習してその感覚を身につけてください。
また掛けられる側も、掛けられた感覚を多く経験することで、技を掛けるときの相手の反応を自ら経験することになりますので、技を掛けるときの加減の練習になります。

太極拳の武道練習における留意

無過不及。(太極拳経より抜粋)
過ぎることなく、また及ばざることなくという練習方法がとても大切です。
太極拳の全ての技は、殺傷技術です。練習でその技をすさまじい勢に応じて発すると、お互いがその勢を育てる前に身体をこわしてしまいます。リラックスして無理をせず、自然な勢いを楽しんでください。自然な勢いは自律神経や免疫を司る心身のホメオスタシス(恒常性維持機能)を正常にして、より弾力あふれる振り幅の大きいものにしてくれます。
隨曲就伸。人剛我柔謂之走。我順人背謂之黏。太極拳経より抜粋)
円に従って、直に就いていく「隨曲就伸」。
太極拳の相対練習では、最初は陰陽で相対しているところから、相手の動きの求めるままに動き和合して、そして自らのものに一体化してしまうという勢をお互いが感じながら練習していきます。
その練習方法によって、人が剛く(固く強い)力を発していても、我の柔らかな勢によってその力に合わせて動いていき(太極)、勢いを合わせて相手を流して(走らせる)いくという「人剛我柔謂之走」の「走」、また、我の柔らかな勢によって、相手の剛を包み込み同化させ無力化(背勢)する「我順人背謂之黏」の「粘」、という重要な修練を行っているのです。動急則急應。動緩則緩。太極拳経より抜粋)
太極拳の相対練習は、お互いにスピードを合わせて行います。太極拳は実戦においてもそうです。相手が動くことが急であれば、応ずるのも急であり、また相手がゆっくりであれば、こちらもゆっくりと動く「動急則急應。動緩則緩。」ということです。
太極拳は相手の勢を捉え、その勢に自らの勢を合わせ、自らの勢に巻き込んだり、従わせたりする武道です。大切なのは、相手の勢を聞く「聴勁(ちょうけい)」という感受性です。練習においては、勢によって発せられた相手の勁に、自分が修練で思い出した勢を自然に対応させれば良いのです。多くの技を練習したのであれば、その勢の通り道はスムーズにできあがっていますので、リラックスして自然に対応するだけでいいのです。

勁(けい)***勁は自然に発せられる力のことで、回転や弾み、均衡反射、感受力などの潜在的な力の総称です。発することを発勁と言います。意識的に筋力などを使った力のことは、拙力といい区別しています。
雖變化萬端。而理為一貫。太極拳経より抜粋)
変化は様々であっても、そこを貫く理は一つです。「雖變化萬端。而理為一貫。」
王流では、相手の動きに応じた多くの技を練習しますが、そこに流れている勢の理由は、太極拳においては太極、すなわち相対の和合という理です。簡単に言ってしまうと、相反するものが和合して、和合をさせた方が主になるということなのです。
その理から発せられる勢が、相手の変化に応じて多くの技を生みます。その多くの技を練習して、勢を高め、その理をよみがえらせていくのが太極拳です。理は、人間の生存と存在の大いなる活力です。意気揚々と楽しく、おおらかに相対練習を行う事が重要です。

由著熟而漸悟懂勁。由懂董董勁而階及神明。太極拳経より抜粋)
技を多く練っていくと、理と勢の間にある「気」というエネルギーの流れに気づくはずです。その気の在り方を思い出した時に、太極拳は素晴らしい勁「懂勁(とうけい)」を発する武道へと向かっていきます。懂勁とは、勁を悟った勁のことです。
気により、意(心の働き)を用いて勢を起こし、発勁していくことを多くの技で積み重ねていけば、太極拳は「神明」すなわち、当たり前に使える武道の域に達していきます。
そこには、神(しん・根源的な心)気(生命エネルギーの働き)精(人間の生理や身体の全て)の一致があり、練習においてもその時は爽かな快感が伴います。
套路を一人で練習するときも、この爽やかな快感がひとつの上達への目安です。相対練習も套路も同じように、その感覚へ向かっていくことが大切です。

意(い)***用意不用力の意です。意識ではありません。心が働くことを「意」といいます。それを認識するのはその後にある意識です。従って太極拳は意識するよりも先に動くことを心がけます。初級のうちは意識的に動かざるを得ませんが、上達するにつれ用意不用力を目指します。リラックスして自然に任せるということです。

須知陰陽相濟。方為懂勁。太極拳経より抜粋)

太極図が示すように、陰は陽を離れず、陽は陰を離れず、両者は共に不可分であり、陰陽が合一するところに初めて勁のことを悟るのです。
太極拳の練習においては、相対する相手と太極図を描くように、融合しながら色々な技を練習することが大切です。技を掛ける側が練習をするのではなく、双方が陰と陽として、太極拳を修練するのです。

用意不用力(よういふようりき)と放鬆(ほうしょう)

ゆっくりと相対練習を行う場合は、弾みや遠心力などの自然な勢を使う時においても、その過程において、つい余分な筋力を使ってしまうときがあります。太極拳は、できるだけ意識で使える筋力を排除するために、リラックスして筋肉を放鬆(余計な意識的な力を抜いて柔らかにすること)させます。そのリラックスによって、内部の無意識なインナーマッスルが働くのです。相対でも套路でも、型や技を覚えようとするときはなかなか難しいですが、「用意不用力」すなわち、意識的な力を使わず、心の意のままに自然な動きができるようにする、という練習がとても大切です。