意とは

賢明な心・・純粋無為自然な心の意味である。

神明にして、すなわち、その選択をした心のことを「意」というのである。

その選択は何でするのか。

これは「易」である。物事の変化もちろん自分の心の深層の変化を読み取り、その内から最も純粋で賢明なものを選び取る。一瞬である。

易は占いでは無く。変化を読み取るという意味である。陰陽の。日月の。

自然に人間には備わっている。無意識に深層に備わっている。

その易をもって賢明な選択をした心が「意」である。

全て無為自然に行われる。自然の理に沿って。

従って、「意」には「易」という自然の理による変化を読み取る自然な能力。

そしてそれから最も純粋であるものを選び取れる自然な能力。これをあたりまえに思い出しておかないといけない。

「易」感受・・「選択」想念は心の起こりである。

套路でも瞑想や想念をもって行う。

 

太極拳経

太极拳経 王宗岳著 (王宗岳氏は武当派楊式太极拳の中興の祖です。)

太極者無極而生。陰陽之母也。動之則分。靜之則合。無過不及。隨曲就伸。人剛我柔謂之走。我順人背謂之黏。動急則急應。動緩則緩。雖變化萬端。而理為一貫。由著熟而漸悟懂勁。由懂董董勁而階及神明。然非功力之久。不能豁然貫通焉。虛靈頂勁。氣沉丹田。不偏不倚。忽隱忽現。左重則左虛。右重則右杳。仰之則彌高。俯之則彌深。進之則愈長。退之則愈促。一羽不能加。蠅蟲不能落。人不知我。我獨知人。英雄所向無敵。蓋皆由此而及也。斯技旁門甚多。雖勢有區別。概不外乎壯欺弱。慢讓快耳。有力打無力。手慢讓手快。是皆先天自然之能。非關學力而有為也。察四兩撥千斤之句。顯非力勝。觀耄耋能禦眾之形。快何能為。立如平準。活似車輪。偏沉則隨。雙重則滯。每見數年純功。不能運化者。率自為人制。雙重之病未悟耳。欲避此病。須知陰陽相濟。方為懂勁。懂勁後。愈練愈精。默識揣摩。漸至從心所欲。本是捨已從人。多誤捨近求遠。所謂差之毫釐。謬以千里。學者不可不詳辨焉。是為論。

※太极拳経は太極拳論とも呼ばれ、武当山の太極拳(当事は太極拳法)の高手である王宗岳氏が、太極拳の理解と、太極拳の修行すなわち、練習の心得やその要綱について論じたものです。

【文語訳】

太極は無極より生まれる。陰陽の母である。動けば則ち分かれ、静まれば則ち合す。過ぎることも及ばざることもなく、曲に随い伸に就く。(相手が曲がるとすぐに伸びる)人が剛であれば我は柔である、これを走という。我が順であれば人は背である、これを粘という。

動くこと急なれば、則ち急にして応ず。動くこと緩なれば、則ち緩にして随う。変化が万端(いろいろある)であっても理は一貫している。着(技)が熟練してくることで、漸く勁をさとる。勁をさとることによりて(理)階(レベル)は神明に及ぶ。然るも力を用いることの久しきに非ざれば、(*しかし、力を用いることを長い間行わないで「修行した」なら)豁然として貫通する能わず。(*突然、貫通、すなわち太極拳を極める悟りを得ることができる)

頂の勁を虚領(無念無想)にして、気は丹田に沈める。偏せず倚よらず、忽ち隠れ忽ち現る。左重ければ則ち左は虚ろ、右重ければ則ち右は杳し。仰ぎては則ちいよいよ高く、俯しては則ちいよいよ深し。進みては則ちいよいよ長く、退きては則ちいよいよ促す。軽やかな一羽も影響することもなく、小さな一蝿も落ちて影響を加えることもない。 人は我を知らず、我独りが人を知る。 英雄の向かうところ敵無きは、すなわち皆これによりて及ぶのである。

この技(拳法)の旁門(流派)は、はなはだ多し。勢は区別ありといえども、おおむねは弱を欺き、慢(ゆっくり)は快(はやい)に譲るに外ならず。力有る者が力無き者を打ち、手の慢き者が手の快き者に譲る。これ皆、先天自然の力学であり、 力(勁)を学ぶことで得たものでは無い。察せよ、四両(極小さな力)も千斤(重いもの)を撥く(はねのける)の句を、力に非ずして勝つこと顕らかなり。観よ、耄耋(老人)が衆(大勢)を動かすさまを。 速さでどうして動かせるのか。 立てば平準(はかり)の如く、動けば車輪に似たり。深みに偏れば則ち崩れ、双重なれば則ち動きは滞る。

毎に見る、数年純功(稽古)するも運化(運用)を能わざる者は、 おおむね自ら人に制せらるるのは 双重の病をいまだ悟らないからである。

この病を避けんと欲すれば、すべからく陰陽を知るべし。 粘は走、走は則ち粘。 陰は陽を離れず、陽は陰を離れず、陰陽相済して、まさに勁をさとる。 勁をさとりてのちは、いよいよ練ればいよいよ精なり。黙と識り(ただ黙々と繰り返す)、瑞摩(研究錬磨)すること漸くにして心の欲するところに従うに至る。

本(本来)はこれ己を捨て人に従うを、多くは誤りて近きを捨て遠きを求む。いわゆる差は毫釐(わずか)、誤りは千里(遙か遠く)なり。学ぶ者は詳しくわからないまま見極めてはならない。これ論と為す。

 

神(しん)

かみとは読まずしんと読みます。

道教における三宝(神・気・精を天・地・人。天は一となり、地は二となり、 人. は三となる道教思想です)

従って、神に近いかもしれませんが、もっと自然的に森羅万象の存在そのものの理由のようなものであり、自然意思又は純粋意思みたいなものです。

無意識の奥底にある、人間以前の全てのものすなわち森羅万象との一体感と、その活力みたいなものです。

無為自然において,完全なる無によって全てとつながっている強い意思的感覚とでもいいましょうか、到底言葉では言い表せないものですが、人間として天と地の間に存在する時、天と地と一体になった感覚が、三位一体的な,道教でいうと三宝合一的な状態です。

神とはその最も包括された万物と一体の存在意思です。

勢は神から起こり、気によって精が動くこと。

簡単に言ってしまえば、字のとおり勢いのことです。

勢いとは何らかの始まる原因があって、その後の自然な動きです。無為で自然な動きを太極拳では勢といいます。

精は精神、神経、肉体、生理全てを含む人間の生命体の仕組み全てです。かたち有るものです。

道教の三宝(神気精は天地人)の内の人であり、人そのものを表します。

人としての存在意思のことを指します。

古田敦也

出身地:兵庫県 元プロ野球選手。
1990年ヤクルトスワローズに入団。チームを5度のリーグ優勝、4度の日本一に導く等、名捕手としてスワローズ黄金期を築く。引退後はスポーツキャスターとして活躍するかたわら、トライアスロンに挑戦する等、常にみずからの目標に向かって挑戦し続けている。

気とは

今回は気についてのお話です。

気は神と精のコネクト役と考えます。

「氣」又は「炁」が正しい書き方です。

私たちは気とは、ひとつは生命エネルギーのことと考えています。生命エネルギーとは精神も、心も体も全て含めて、それらを動かすエネルギーのことです。

注意したいのは、ここで言うエネルギーとは単に熱量を持つ物質論的なものだけでなく、霊的・生命的・動的な原理としての形而上的側面と、物質的な形而下的側面を合わせて考えます。

広範囲になると、大気をも呼吸により自らの身体の中に充満させることが出来ることから、一体論として呼吸を通じて大気を、形而上的にエーテル(宇宙に充満する媒質)をエーテル体としての生命体自体が呼吸をする人体と別の層の身体であるとして、全宇宙を含めての、生命エネルギーである気をとらえます。

それが満ちていることが気が満ちていると考えます。もちろん、それが満ちているのを感じ取ることができるのです。

それを東洋では「気」と呼びますが、その源は「神」(しん)であり、言うなれば、人間の本質にある無為自然の純粋な生命エネルギーのことを指します。

西洋では父と子と精霊の三位一体のうちの精霊であり「プネウマ」と呼んでいます。

ヒンズー教では呼吸をする生き物の生命力そのものをさす言葉として「プラーナ」という呼び方をしています。

気はこのように、単純に生命にみなぎる生命エネルギーであり、又、森羅万象にその存在自体を生命と考えた場合に存在するものです。

そのエネルギーの伝達は、障害物などがない場合はスムーズに伝承され、又受け取ることが出来、又発することが出来ます。

その障害物が邪気などと呼ばれます。

無邪気の子供の気を思い浮かべるとわかります。ただ元気と言うだけでなく、生命エネルギーそのものです。

太極拳はそのような気そのものを純粋に伝達し、又受け取ることが出来る為の、修練と言っても過言ではありません。

太極拳が熟練すると、太極拳自体は、自分の生命エネルギーを充満させるための内気功となり、又、外気功として自らの生命エネルギーすなわち気を相手に伝えることが出来、又、その受動するための作用を相手の内に呼び起こすことも出来るようになります。
(私たちには頭推按という外気功が伝承されています。頭部以外の外気功は擒拿術及び点穴術を調整応用します。)

気についてはまだまだ深いので、又色々な場面でお話しします。

転身擺蓮+海底針(転海)

太極拳の用法には擒拿術を始め、拳脚、摔角にいたって、様々な用的、詩的名称が流派によってつけられています。王流ではそのような名称は、体系を把握しにくいというところから基本的には使用せず、独自に合法などは用法の組み合わせなどがわかるように、套路などの型の一部の文字を使用して組み合わせて、記号として名称を使用しています。
()内の記号としての合法名を覚えておくと、転身擺蓮と海底針を組み合わせた散手であると覚えることが出来ます。

逆腹式呼吸と発勁

太極拳を練習する時、その呼吸は深呼吸(気沈丹田の状態)です。 含胸による深呼吸とは、、、息を吸うときに下腹部は締まり、吐くときに弛む⇒これは、気功療法の逆複式呼吸と同じです。含胸が正しく出来ている(含胸は、固定された形ではなく、動作につれて変化します)と、横隔膜は上下に動くことが可能になります。横隔膜の収縮によって、内臓はマッサージを受けている状態になるので、血液循環が良くなり健康に役立ちます。

体の機能を最大限に使う太極拳の発勁の時の呼吸は、他の武道と違ってリラックスして発するのですが、下記の横隔膜と呼吸の特性を見れば完全に理にかなっていていることがわかります。

太極拳の発勁は、力をいれて相手を打つという一般的な方法と正反対のため、身につけるには正しい修練が必要です。
ただやみくもに今までどおり行ってしまうと、全く逆の力が育ち、遠く太極拳の習得から遠ざかります。
王流を学ぶ皆さんは、よく横隔膜と呼吸と神経系統の関係を理解して、太極拳の発勁を身につけてください。

http://ja.wikipedia.org/wiki/呼吸筋
(ウィキペディアより)
呼吸筋(こきゅうきん, 英語: Muscles of respiration)は、呼吸を行う筋肉の総称。すなわち、呼吸をするときに胸郭の拡大、収縮を行う筋肉のこと。種類としては、横隔膜、内肋間筋、外肋間筋、胸鎖乳突筋、前斜角筋、中斜角筋、後斜角筋、腹直筋、内腹斜筋、外腹斜筋、腹横筋などがある。
正常安静呼吸では、吸気は主に横隔膜の収縮によって行われ、また外肋間筋も使用される。呼気は筋肉を用いず、伸展された肺の受動的反跳(ふくらんだ肺が自然にもとに戻ろうとする力)によって行われる。努力呼吸時には、吸気には胸鎖乳突筋、前斜角筋、中斜角筋、後斜角筋が、呼気には内肋間筋、腹直筋、内腹斜筋、外腹斜筋、腹横筋といった呼吸補助筋が補助的に用いられる。