武当山の徐本善が作った太極拳の套路に合わせた物語

 私の太極拳の師は、かつて大阪最大の任侠組織で「代貸」を務めていた私の祖父の用心棒をしていた中国人です。

祖父の組織は博徒と色街の他、大阪において全日本プロレスを発足し、大阪歌舞伎座の運営、とび職や清掃業なども行っていました。また、初代警視総監・鈴木氏とともに、大阪の治安維持にも深く関わっていたと自負していた組織です。

その中国人の師・王(おう)師(1905年〜没年不詳)は、当時の中国・武当山で道総を務めていた徐本善(1860〜1931年)の側近でした。様々な事情により、王師は上海から児玉誉士夫氏らのつてを通じて来日し、神戸の組織(現在の最大手暴力団で、長は全日本プロレス発足時の副会長)を経て、私の祖父のもとに身を寄せました。… 続きを読む

書籍出版10周年を迎えて──次なる一歩、「楊式85式太極拳」の真髄へ

2014年に出版した拙著『簡化24式太極拳で骨の髄まで練り上げる技法』は、おかげさまで多くの読者の皆様に支えられ、出版10年を超えることが出来ました。本書では、24式太極拳を通じての「行気(ぎょうき)」の技法をも紹介し、すなわち“気”を効率的に全身へ巡らせ、骨の髄にまで浸透させる武当山伝統の体得法を初めて公開し、多くの太極拳愛好家の方々に新たな修練の視点を提供できたと自負しております。

現在私は新たな書籍の準備に取り組んでいます。「武当山伝統の楊式85式太極拳」この奥深く優雅な套路の中に息づく、本格的な「行気」の技法を、今改めて現代の言葉で、かつ体系的にご紹介しようとしています。… 続きを読む

85式太極拳・進歩搬攔捶の輪拳という発勁

本日の夜間クラスは、白蛇吐信から進歩搬攔捶。進歩搬攔捶の搬から攔捶への過渡式にある、右拳の動きは「輪勢」という円軌道によって動く。この輪勢で打ち込む捶は下方から後方、上方から下方への円回転から発せられるので、全重心が上方から下方へと乗っていく発勁となる。その上次の左盼によって偶力(十字勢)も加わり、相手の極点に全重力を持って差し込むという効率的な鑚拳となる、太極拳独特の理を持った発勁となる。輪勢を持っているので輪拳とも呼ばれ、相手の突きをこの輪拳の最初の下方から後方の円回転で全重力を相手の突きに乗せて後方に運ぶので「搬」となり、相手は引き込まれるように崩れながら、鑚拳を打ち込まれる。招式として行うこの技は、「開山鑿洞(かいざんさくどう)」で武当山では日常的に招式として寸当てで行っていたそうです。… 続きを読む

楊式太極拳の技撃の実戦の参考動画がありました


この女性の遠心力で拳に全重量を乗せて振り込んで発勁する技は、太極拳の転身擺蓮の腰腿からの風擺勢を使った風擺拳です。風擺勢を使えばこのような強力な発勁になります。
また、後ろから掴まれたときに、後方に肘撃を行っているのは、転身右蹬脚の蓮心勢を使った、招式名「犀首観月」です。
また女性の蹬脚も套路にある左蹬脚や転身蹬脚のとおりで、追い打ちで膝蹴りを行っているのも、金鶏独立または海底針の沸勢での膝撃です。足刀は転身右蹬脚の過渡式の腰腿にて飛び出す発勁です。これらは力不要で勢いによって、発勁点に全重心が行き、強烈な発勁となります。全て「儘勁」という、自ずから意識せずとも気持ちがその方向に動き出せば自然と飛び出す発勁です。真の実戦はこれが全てです。考えていたら遅い上に、力を用いようとするので、このようにはなりません。「用意不用力」… 続きを読む

85式太極拳・白蛇吐信は放鬆の極限で発勁


今日の夜間クラスは白蛇吐信。終盤に出てくる通常は撇身捶のところで白蛇吐信の尖掌を打つ。撇身捶は「裏勢」にて巡るべき巡る短打を繰り出す型で、最後に裏勢を飛び出して戻ってきた撩拳にて過渡式となる。
白蛇吐信は、放鬆によって経絡が閉じる(合経)により、その最も中心にある人間の矢状面を走る中心線「中(ちゅん)」に収斂した右手がまるで蛇の下のように繰り出される。
収斂したときには、蛇が舌をぐっと喉の奥にため込み、そこから口を開けて喉の奥から舌が飛び出し様な発勁となる。… 続きを読む

太極拳の楊式は、実際に使えない。これはとんでもない間違いです。

太極拳の楊式は、実際に使えない。これはとんでもない間違いです。

今一般に普及している太極拳は、攻防を目的にしたものではない、ただそれだけのことです。

楊式は楊無敵と言われたほどの理想的な攻防術です。しかし、それを極めるには、武道としての太極拳、すなわち、道が必要なのです。太極拳は道教の道の教えから名付けられています。しかしそんな難しいことはさておいて、簡単に自然で、無為すなわち故意ではない自然体であるときに使える武術なのです。… 続きを読む

太極拳、十三勢とはこのようなもの

buto5 哲学者、数学者、科学者など幅広い分野で活躍した学者・思想家として知られているライプニッツは、「昨日を背負い、明日を孕んでいる今日」と時空の観念を表現している。
太極拳は、四正手と四隅手で空間と時間を創造し、中定という自己の存在を主体として、四方を客体として和合した五行で生きる自分の存在を、無尽の縁起的関係を受け入れながら、ミクロからマクロまでの無限の空間と、無始無終の永遠の時間の中心に、その刹那に自分を置いている、壮大な一瞬の輝きである。そして常に有るものでは無く、移り変わっていくもの。… 続きを読む

知られざる手揮琵琶

syukibiwarozen 楊家の三世、楊澄甫氏が演じるこの型は、太極拳の中では最もシンプルな型に見える「手揮琵琶」です。以前に実戦空手の髙段者にこの型を披露したことがあります。その彼は前足の虚歩の場合の構えは、空手の場合は猫足だといい、太極拳の構えとは違うというのですが、とんでもない、太極拳でも虚歩の構えの場合は猫足ですよと説明したことがあります。また、手揮琵琶には弓歩の構えもあり、古式楊式太極拳の実際の套路の過渡式に含まれています。
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太極拳の経験を通じて変化する脳

buto 太極拳は、その経験を通じて根本的な生き方が変化します。この変化は、導引法という古代からのタオの修行によって伝承されています。導引法は、人間の心を、人間以前の自然としての生命心のある境地へ連れ戻すことにあります。それは、脳自体の能力を万物の能力に回復させることであり、その生命心の状態を「神=しん」と呼びます。そのような機能と構造をもつ脳は生理である「精=せい」の一部です。その生命心である「神」が万物に存在するエネルギーを使用して「精」を動かします。その時に生まれるエネルギーの動作を「気」と呼びます。「神」が「気」によって「精」を生かせるのです。人間においても、自然においてもそれは同じです。天は天の生命心によって気が動作し自然に宿る精が生きるのです。花の精、石の精、全ては同じ原理です。精は神によって起こされた気の影響を受けて変化していきます。その変化は「易」です。このように、人間は様々な経験をしますが、太極拳の導引は自然の生命心による経験です。その自然の気により精が変化します。すなわち脳や体、血液、リンパなどがその「神」に対応するように変化するのです。体中に巡る神経系も同じように、常に機能的、構造的な変化を起こしていくのです。太極拳はこのような、経験的実証によりそれを古くから発見し、導引術で「神」を、行気で「気」を、房中術で「精」を無為自然に回復します。… 続きを読む