魔法のような太極拳の極意は連にあり、連は、毎日の套路にて涵養する

毎日の稽古は、武当山で行われていた稽古と同じ模様で、今の武当山ではなく、崩壊前の武当山には武当道派があり、その結社として黄金蓮結社が中国全土の市中で活動していました。
市中の黄金蓮結社の道士は、様々なゲリラ活動に加わっており、彼らの使う武術は「拳法」と呼ばれ別格視されていました。武当山では、実戦太極拳を「太極拳法」と呼んでいたからです。
この道士たちに実戦的な太極拳を教えていたのが、私の師「王師」でした。… 続きを読む

毎日実戦で使っていた太極拳・私の病気を治した太極拳・医武同源

18才ごろから働いていた、大阪ミナミ(現中央区)の宗右衛門町ダイヤモンドビル6階のサパークラブ「クレージーホース」。
500席以上あり、フィリピン人の生バンドが演奏し、ホールでダンスを踊るスタイルの店で、客は裏の人と芸能人が4分の3で、私は、20才の頃にはその店の幹部になり、毎日数回起こるプロどおしのケンカを止める立場にいました。
ここが本店でしたが、梅田には梅田店(席数800ほど)があり、そこはキル・ビルという映画のモデルとなりました。その他にも北新地や京都にもカルチェラタンという店舗があり、ディスクブームで賑わっており、どの店も土曜日は2時間でcheckout、いわゆる出て行ってもらう形式を取っていました。… 続きを読む

牛を引き、豚を投げるような腕力ばかりを誇って、 それが一体何になるというのか。–袁希濤

袁希濤は北京にて活動していた、武当山の武当道派の道家で、太極拳の師範でもある人物です。
この袁希濤が、1921年に許禹生が発行した「太極拳勢図解」という書籍の冒頭に題詞として下記の文を載せました。その原文は下記のとおりです。

在昔角牴。意存釣奇。曳牛摶豬。徒勇何為。
嗟彼武術。損益然疑。發揮光大。其在是時。
敎誨有度。調一罄宜。桓桓學子。天馬得覊。
克剛克柔。以遨以嬉。筋骨互運。心力互追。
著者楮墨。法無所遺。流傳萬本。並詔來茲。… 続きを読む

85式太極拳・白蛇吐信は放鬆の極限で発勁


今日の夜間クラスは白蛇吐信。終盤に出てくる通常は撇身捶のところで白蛇吐信の尖掌を打つ。撇身捶は「裏勢」にて巡るべき巡る短打を繰り出す型で、最後に裏勢を飛び出して戻ってきた撩拳にて過渡式となる。
白蛇吐信は、放鬆によって経絡が閉じる(合経)により、その最も中心にある人間の矢状面を走る中心線「中(ちゅん)」に収斂した右手がまるで蛇の下のように繰り出される。
収斂したときには、蛇が舌をぐっと喉の奥にため込み、そこから口を開けて喉の奥から舌が飛び出し様な発勁となる。… 続きを読む

太極拳の楊式は、実際に使えない。これはとんでもない間違いです。

太極拳の楊式は、実際に使えない。これはとんでもない間違いです。

今一般に普及している太極拳は、攻防を目的にしたものではない、ただそれだけのことです。

楊式は楊無敵と言われたほどの理想的な攻防術です。しかし、それを極めるには、武道としての太極拳、すなわち、道が必要なのです。太極拳は道教の道の教えから名付けられています。しかしそんな難しいことはさておいて、簡単に自然で、無為すなわち故意ではない自然体であるときに使える武術なのです。… 続きを読む

桃源郷の香りと味がする太極拳

 20代から太極拳を友としてからは、坐道や内丹、套路の時も武道練習の時も、口の中に甘い味がいつも満ち、キンモクセイのような香りに包まれていて、まるで桃源郷にいるような感覚は、今やあたりまえになっています。

今の武当山ではなく、古き武当山の太極拳でもそのような感覚の中で全てが行えるようになるのを目指していたと言うことです。行気を教わったときに、その味と香りがすることを追い求めるようにすれば、おのずと太極拳は高手になると言われ、幸い、すぐに桃源郷の中で全てが行えるようになり、今もそれは変わりません。… 続きを読む

花粉症の人は、がんになりにくいってホント? : J-CASTニュース

 3年ほど前に東京大学医学部研究チームが、花粉症についての調査結果を発表するなど、最近花粉症を発症する人の癌などのリスクが著しく低いことが、多く発表されています。

 中国の武当山で太極拳の指導者であった王師は、戦後の混乱期に日本にやってきましたが、80才近くになっても風邪すらひいたことが無いのに、しばらくして花粉症になったと言っていました。軽い花粉症でしたので薬も飲まず過ごしていたようですが、シーズンにはいつもマスクをしていました。… 続きを読む

【コラム】中国でヒップホップが禁止に-サーチナ

 中国で清朝が西洋列国の統制の下に終わり、厳しい管理統制機能を持つ共和政治が生まれ、太極拳などの武術は中国国民党の指導の下で、1928年に南京中央国術館にて統制されました。また、北京では中国共産党の先駆団体の管理の下、下北京市長が設立した北平体育研究社にて統制されました。
その後、共産党の国家体育運動委員会によって制定太極拳と、伝統太極拳が国策の元で中国の国家文化として統制され、1986年3月に「国家体育武術研究院」が設立し、より市民的なスポーツ競技として武術を定着させるために、1990年には中国が初めて主催した「アジア競技大会」で武術… 続きを読む

太極という境地に自分を置く

「2匹のサルの脳活動を初めて同時に測定し、社会的相互作用によってサルの脳が同期する可能性のあることを明らかにした論文が、今週掲載される。」らしいのですが、こんなことは人間において経験学的にあたりまえのことで、いかにそのようなことに左右されないかということは、人類の昔からの課題でもありました。そうであれば、人間においてはすでに誰もが脳の働きは分かりませんが、心の問題としてこのようなことがあった事は明かです。しかし、今回は脳の働きで証明した論文のようで、経験科学の脳科学的裏付けになるようです。… 続きを読む

太極拳の懂勁は、くつろぎと笑いから生まれる。

私たちの太極拳の武道練習は、まず寛い(リラックスではない)で、そして笑いながら、楽しく対打を行います。よくあるような武術や格闘の練習のように、厳しい顔をして相手に敵対しながら必死でやるような練習は決して行いません。

これには理由があるのです。

人間は、くつろいでいるときには体内に分泌するホルモンも含め、ゆったりとより多くの感覚を感じ取るようにできています。いわゆる聴勁はこれを使用しますから、豊富な感受で太極拳の対打を行う事ができるのです。… 続きを読む