太極拳の妙技 2を限りなく1にする

武道において、相手の攻撃を受けて攻撃するという攻防について述べます。

攻防において、相手の攻撃を受けて反撃する。

一般の武道では、相手が息を吐いて撃ってくれば、(実)こちらも息を吐いて受ける(実)というものが多いようです。

それから息を吸い込み、又吐いて反撃する。受け側は、吸って(吐く前に吸っているから)、吐いて、また吸って吐くという4呼吸と考えることとします。

この場合は双方が実、双方が虚、双方が実と一致しているので、お互いに効果的な発勁は行えません。… 続きを読む

用意不用力と筋肉

まず、用意不用力の意は「意識」ではなく「意」です。

意は心の働きそのものであり、意識はそれを認識する、すなわち意識するという字そのものです。

意の後に意識があり、そこには人間の色々な制約条件が作用する意識的という現象世界があります。武当派の太極拳ではそんなものを使うなど一切教えていません。

しかしながら、日本での最大の武術太極拳の団体では「勁力について、勁力は武術の動作の目的に沿って意識的に体の中から導き出される力の総称である」と実技テキストの冒頭で間違ったことを述べているのです。… 続きを読む

音楽を聴きながら套路をしても良いのですか?

まず結論から言いますが、どちらも良いということです。

どちらでも、おおらかに滔々とした套路が行えるというのが太極拳の向かうところです。

太極拳は、太極といわれるように混沌とした世界を全て融合して和合するものです。

この私たちが生きている実際の毎日の社会そのものも、混沌とした世界です。

よく、音楽を聴いていると心が定まらないし、意識が散乱するので、套路をするときには音楽を聴かない方が良いといわれる場合があります。… 続きを読む

無用の用・不易流行と太極拳

太極拳は道教の理念を武道の中に多く取り入れています。

道教の祖師は老子ですが、彼の「無用の用」という概念は有名です。

例えば、太極拳の套路で、広い公園で大きな大地に立っていますが、大地の内で使っているのは足で踏んでいる部分だけです。だからといって、足が踏んでいる部分だけを残して他が無くなってしまったらどうでしょうか?奈落の底に脱落ですね。このように踏んでいるところは用、踏んでいないところは無用、次に踏んだところが用であり、踏み終えたところが無用に変化するのです。これが太極拳の歩法です。… 続きを読む

通信クラス

楊式太極拳(武当派古式)

楊式の武当派古式太極拳の通信クラスです。

太極拳の套路の動きには、武術性や、内家拳としての心法(心構えの理論のようなものです)などが大切です。

最近は、本格的な武術としての太極拳や、瞑想太極拳に興味のある方も増えてきました。

楊式太極拳通信クラスを開設いたしました。

套路を始め、太極拳のおもしろさと奥深さ、実際に役立つ護身術や内丹術(自己の潜在能力で心身を調整する技術)を余すことなく、実技を交えてPDFや画像、映像などを使用して講習します。… 続きを読む

套路の過渡式が太極拳の神髄

現在行われている太極拳の套路で、型の姿勢、ひどい場合には手の形や足の裏の形などを正しく行うように要求があるとされていますが、実はその套路の型自体は、他の武道と同じく、構えもしくは、残心という、技の始まり部分と終了部分だけなのです。

もちろん構えと残心は大切ですが、その途中にある過渡式が実は技なのです。套路で行う技は基本勢による技が主体ですが、構えて技を練って技を終えて残心、そして連続技で套路が構成されている運用なのです。… 続きを読む

歴史4:王師が楊式太極拳を武当山で修行

楊家太極拳の楊露禅は1840年ごろ、40才を過ぎて北京で王朝の武術指南役となりますが、優雅な生活の長い王朝の中では、武術のような鍛錬を好むものは少なく、彼自身も思う存分練習もできないため、絶えず武当山へ修行のためと称して入山していました。

武当山の太極拳法(武当派太極拳)の套路は多種多様有り複雑ですが、楊露禅は貴族達に教えるために108式を採用または整理し、(同時期に武当山でも武当太極拳として108式を套路としてよく行っており、現在も武当山で伝承されています。武当山と楊露禅は同じ套路をこの時点では行っていたことは事実です。)そしてその套路は子らに受け継がれ楊澄甫が85式の大架式を整理して、貴族達でも練習を楽しめる套路として王朝や貴族に教えていました。… 続きを読む

歴史5:王師は戦後の中国から逃れ日本へ

その後、1939年〜1945年の第二次世界大戦後急激に他の武術メッカと同じく、武当山へも弾圧が強まります。その時に40才を超えていて武当山で太極拳の指導者であった王師は不穏な動きを察して、知り合った日本社会の裏世界の人間の紹介で、混乱期にすぐに神戸にやってきたということです。

そこで、大阪で老舗任侠団体の組織の代貸であった私の祖父や、神戸の裏組織などと懇意になり、特に大阪では私の祖父には恩を受けたと王師はいっていました。私の祖父は戦後に大阪難波を中心に縄張りを広め、大阪歌舞伎座などでプロレスなどの興業を仕切っていた人物です。その時に、王氏の実戦的太極拳はとても役に立つと言って、色々と一緒に仕事をさせてもらったと王師から聞いていました。中国人が日本で生きていくのは大変だったと言うことですが、戦後の裏社会もいかに縄張りを広げるかというときに、又興業や博打場や遊郭などを持つ祖父の組織の用心棒的存在として、徒手武術の秀でる高手の力を借りたのもその当時なら当然のことでしょう。… 続きを読む

歴史6:王師との出会い

その後、1980年に文化大革命が誤りだったとされました。民衆の怒りを収めるために、政府の体育機構は中国人の数千年の文化の中にあった伝統武術の復興を救済すると発表して、武当山周辺にも武術学校を設立して、武当山の武術を復興させようとしましたが、当たり前ですがもう既に武当山に太極拳などの武術は残っていませんでした。そこで、しかたがなくスポーツ化された武術指導家達に武当山周辺の武術学校を運営させ面目をはかりましたが、結構これが成功し、民衆は新しい政府に対し怒りの矛先を少し納めたようです。… 続きを読む

太極拳から見た肉体の動き

人間の社会生活において、肉体のうちあまり使われていない部分は、スポーツなどの素晴らしい技の中で脚光を浴びています。
スケートのキム・ヨナさんの美しいジャンプなどに使用されるインナーマッスルもそうです。
このように、太極拳は普段使用されていない肉体の動きを、本来持っている能力として思い出して緩やかに育てていこうとする武道なのです。
インナーマッスルなども、リラックスして見つめていくと、しっかりと動き、高度な運動そしてバランスを司る機能として素晴らしいものであることが身をもって経験できます。… 続きを読む