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練習記録
右手を相手の左手で下手で捕まれて、左手を相手の左手の手首の急所にかけてから、肘勁をうちながら腰腿で抜きます。
つかんだ左手は、彎弓射虎の勢で、右手は相手の顔面へ引き広げるように打ちます。… 続きを読む
撇身捶は太極拳の拳脚攻防の単練の宝庫です。
この撇身捶を招式という一つの技に分割すると、さっと50ぐらいはあげることができます。
85式の套路には撇身捶が数回出てきますが、その撇身捶を全て違う招式や用法を想定して練習するのが最も太極拳を使えるようになるための効果的な套路練習です。
武当派の流れをくむ王流は実戦的な徒手武術です。その套路にある撇身捶は基本勢のみを練り上げる基本式です。
王流にはその撇身捶の基本勢をもって行う多くの招式があります。主に拳脚による攻防が中心です。もちろん把式も多くあります。… 続きを読む
套路の過渡式が太極拳の神髄
現在行われている太極拳の套路で、型の姿勢、ひどい場合には手の形や足の裏の形などを正しく行うように要求があるとされていますが、実はその套路の型自体は、他の武道と同じく、構えもしくは、残心という、技の始まり部分と終了部分だけなのです。
もちろん構えと残心は大切ですが、その途中にある過渡式が実は技なのです。套路で行う技は基本勢による技が主体ですが、構えて技を練って技を終えて残心、そして連続技で套路が構成されている運用なのです。… 続きを読む
練習記録 高探馬帯穿掌
高探馬帯穿掌の穿掌の打ち方は手法でやります。主にに点穴で使いますが、この場合の穿掌の場合は龍の勢の一つ竜頭を使いますので、特別な打ち方が必要です。筒の中に槍が仕込んであって、筒を鞭のようにのように差し出すて、急に止めると中の槍が勢いよく飛び出します。これが高探馬帯穿掌です。
大事なのは、この高探馬帯穿掌の過渡式勢です。高探馬帯穿掌は高探馬からの過渡式に重要な勢があります。これを練習します。高探馬から左足が前に進みながら、急激に止まります。その勢は差し出した穿掌の先から飛び出ます。… 続きを読む
練習記録 劈身捶
- 劈身捶
撇身捶の勢を使って劈拳を打つ。用法として、相手の右手で右肩を押さえられて、背勢にされ、相手が左打虎を我が後頭部に放つ場合。撇身捶の勢にて腰腿で右にうねり、右腕の抱掌にて打虎を防御しながら、我が左腕は相手の右腕をしたからすくい上げ、右腕で上から下へ劈拳を放つ。
招式 打虎劈身捶(その他)上冲劈身捶
- 摺叠劈身捶
扇を閉じて広げるようにして打つ劈拳。
用法としては、劈身捶のように背勢に拳を受けない場合、例えば我は右前で相手の右劈身捶を左胸に受ける場合、我が左腕は外、右腕は内で交差し(十字手)摺叠して左腕で相手の劈身捶を外に流し、右腕で上から下へ相手の右側顔面や頸動脈や胸に劈拳を放つ。勢は十字手の合から開である。
練習記録 散手 把式(解法)
散手 把式(解法)
両者手揮琵琶-甲・右手揮琵琶・乙左手揮琵琶
- (正上手把靠挒)乙が左手で甲の右手首を下からつかみ引き寄せ、乙の右拳で甲の顔面を打ってくる。甲は乙が引き寄せる勢に合わせ、撇身捶の勢により左に入りながら、乙の右拳を受けて、甲は右手を龍の勢を扌履勢と採勢にて後部右に解くと同時に、右靠勁を乙の胸部や顎に、できるなら頭部を相手の顔面の急所に発勁を放ち、抜いた右手は扌履勢から採勢の円圏を翻して、腰腿の勢で乙の後頭部などへ挒勢をもって発勁を放つ。
歴史2:太極拳経の著者・王宗岳
太極拳経の著者、王 宗岳(おう そうがく、生没年不詳)は、清・乾隆年間に活躍した武術家です。張三豐が始めた内家拳法をより実戦的に道家内でしっかりと技術体系化した太極拳法という武術と、剣法と陰符槍法を得意としていました。
清朝は禁武政策の中でも、道教を保護していましたから、 山西人で乾隆56年から60年(1791年 – 1795年)にかけて、若き道士を集めるため河南、洛陽、開封などに滞在し太極拳法の宣伝に努めることができました。その時に、河南省温県にある長拳・砲捶の武術が盛んな陳家溝を訪れて滞在し太極拳法を教えました。逸話によると、一夜その土地に留まりその土地の武術を学ぶもの達と武術談義になり、翌日王… 続きを読む
歴史3:王流楊式太極拳と文聖拳
私の師がしきりに同じ流れから派生した拳法だといっていた文聖拳というものがあります。文聖拳はは17世紀中葉の明末、清朝の初期の時期に劉奉天(1617―1689)を創始として起源します。彼は元々は武当山で幼少から修行道家として張三豐の内家拳を修行していましたが、思想が孔子(文聖)の儒教に傾き始めその思想を元に文聖拳を興しました。張三豐の内家拳が少林寺の禅宗から袂を分かち道教で育ち、又その中から、袂を分かち文聖拳に育っていったのも理解ができます。… 続きを読む
百術不如一誠・太極拳は百術不如一勢
「百術(ひゃくじゅつ)は 一誠(いっせい)に 如(し)かず」 と読みます。政財界の多くの重鎮が座右の銘にしている言葉です。百の術も一つの誠におよばないと言うことです。一如という言葉は同じと言うことですが、不如はおよばない同じではないと言うことで、前の言葉が後ろの言葉と比べるときに使います。出典は明らかではありませんが「百聞は一見に如かず」のように中国の趙充国伝で「充国曰、百聞不如一見、兵難隃度、臣願馳至金城、図上方略」とあるように、その周辺の出典であるところが有力です。… 続きを読む