護身の極限

護身には「起きないようにどうするか」「起きてしまったらどうするか」の二つのアプローチがあります。
太極拳と柳生新陰流においては、生死の境の心境をどちらの場合でも心意に備えておくことが必要です。
これが、生の尊さからくる死に対する極限の護身なのです。 そして、これが、セルフエスティームです。

宮本武蔵が、どこまでも生き残ったのは、死の恐ろしさと対比する生と、またその生の中で生きる自分の尊さがあるからこそ、生死の境で使える護身の剣を生み出しています。
その自分を尊いとする感覚は、その自分を尊いものでは無い、すなわち犯そうとするものを、自分のセルフエスティームを高めた能力で、感知するのがバウンダリーです。
例えば宮本武蔵の枕の先です。

彼は相当バウンダリー能力が高かったのでしょう。

映画なのでも、ドラマ「24」や映画「ミッションインポッシブル」・その他色々、必ず生き残っているのはバウンダリー能力の高いものです。その察知能力は最重要として描かれています。

そしてあまりにもベタですが、そのバウンダリー能力は自尊心というセルフエスティーム、映画では《愛》などと言って表現されています。
この二つを高めていくと、当然ならがプロファイルと言って、想像力によって色々な危険な場面が情報収集と共に検証され、その中で生き抜く技術が生まれてきます。これが武道なのです。

高尚な精神は愛に裏付けされ、破邪の拳として邪を感知し、邪を知り尽くす。そして、そこから、万能な護身術が生まれてくるのです。

ですから、護身理論がしっかりしているアメリカで基本と言うよりも、実は日本の武士道は葉隠れにあるように、日本でも護身の基本なのです。

全てこの仁(じん)という人間世界の愛、そして義(ぎ)というそれを選び取る能力、そして忠(ちゅう)というそれに従い、孝(こう)というよく自らの心身の性状を見つめて練り、(礼)というそれらが、何の条件もなくあたりまえに拳や剣として繰り出されるのです。

日本の精神性の武道では基本の基本です。心が豊かであれば、最後には相手の邪を制覇することができるようになっています。護身も同じです。

護身の極限は生死の境にある自尊心と、その境自体、そしてその境にある現象を知り尽くすことです。

今更知り尽くすのも何ですから、そこから生み出された太極拳はとてもありがたいものだと思います。

太極拳を知ってから、そこに起こる現象を修行で多く経験し、その境を経験し、そして、自尊心に、本当の尊い自分に行き着いたとき、太極拳は神明に達します。

正もしかり、逆もしかり。入り口からで有ろうが、出口からで有ろうが、その内を知るのはどちらも同じなのです。

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