毎日実戦で使っていた太極拳・私の病気を治した太極拳・医武同源

18才ごろから働いていた、大阪ミナミ(現中央区)の宗右衛門町ダイヤモンドビル6階のサパークラブ「クレージーホース」。
500席以上あり、フィリピン人の生バンドが演奏し、ホールでダンスを踊るスタイルの店で、客は裏の人と芸能人が4分の3で、私は、20才の頃にはその店の幹部になり、毎日数回起こるプロどおしのケンカを止める立場にいました。
ここが本店でしたが、梅田には梅田店(席数800ほど)があり、そこはキル・ビルという映画のモデルとなりました。その他にも北新地や京都にもカルチェラタンという店舗があり、ディスクブームで賑わっており、どの店も土曜日は2時間でcheckout、いわゆる出て行ってもらう形式を取っていました。
裏のプロの人に出て行ってもらうのですから大変です。
私の祖父は、当事大阪最大の任侠組織のナンバー2で、全日本プロレスや大阪歌舞伎座などを取り仕切っており、祖父の用心棒には中国人の太極拳の使い手がいました。
私は高校時代から、祖父の衣を借り、悪いことばかりしており、強い恨みを買った裏の人から狙われて、道頓堀と御堂筋の橋桁で、殺されて道頓堀に放り込まれるところ、寸前で助かりました。
この後にやってきたのが祖父の用心棒であった王氏です、
王師は、私にケンカのプロと渡り合える護身術として徹底的に太極拳を教えました。
この太極拳は、大変面白いばかりか、毎日起こるケンカや、チャックアウト、外での暴走族とのケンカなどに実戦で使いながら、この驚くような効果には、いつの間にか魅了されていました。ケンカになると必ず私がいるというほどに店では頼りにされました。「プロです。お願いします」と拳法部や空手部の強者のウェイターが血相を変えて呼びに来ます。太極拳はこちらから攻撃する技ではなく、相手の攻撃に対して陰陽転化で相手を制するので、とても役に立ちました。
王師は套路を稽古するのを嫌がる私に、套路の型にある勢いを、日常の、例えば階段で躓いたときなどに起こる防衛の勢いと、套路の型の勢をリンクさせて説明し、強烈な護身術を教えてくれました。
王師は当然ですが、私ほど太極拳を実戦で毎日使った人間は日本にはいないと思います。
こんな護身術としての太極拳でしたが、25才の頃極度の自立神経失調症になって入院したときに、母親と一緒に病院にやってきた王師が「一週間で治してやるがどうする?」と言われ、死ぬほど辛かった病床にいた私にとって断る理由も無く、それから太極拳の85式套路と武道、武当山に伝わるその他の太極功の全てを徹底的に毎日習い始め、印可を受けて今があります。
太極拳は医武同源、外敵から身を守るのも、病気から身を守るのも同じことと王師は言っていました。このように、毎日実戦で使い込んできた、そして養生の極みになるのが私の太極拳です。