武当山伝承の楊式85式太極拳の套路には、八卦掌が全てに含まれています。
張三丰の伝承者、張逍遙(1595〜1661)も歴史に現れ、拳法の達人でありながら仙人として山に入り、草を摘み薬草を作り内丹や導引を行って、多くの武術家を指導しました。
張逍遙は、太極功の太極八卦反手勾と盆龍棍(短棍)を統合した太極扇を得意とし、優雅に「拳を造る」として多くの者に勧めました。
1842年頃、紫禁城の宦官であった29歳の董海川(1813〜1882)も、楊露禅から太極拳を学びます。
董海川は、九華山(雪花山=現在の安徽省池州市青陽県にある山)で年老いた武当道派の道士「雲盤老祖」から「転天尊」を学びました。
「転天尊」は八卦掌の走圏といわれる歩法と全く同じで、太極拳法や拳などの武器の練習に使用され、また道教の祭祀でも使用されます。
董海川は、「雲盤老祖」から易学の原理を説く『河図・洛書』を授けられ、その理を研究して八卦掌を創始したといいます。
道教の拳法では、古代から、掌が変化することを八卦掌といっており、古代の搏式には八卦掌と名のつく型が複数あります。
「転天尊」は、八字歩、丁字歩、淌泥歩などを組み合わせる走圏で、八卦掌にもありますが、もともと太極功では、太極拳法やその他の武器術の練習として行っており、「転天尊」などの儀式にも使われます。
また、武当道派の教典に「霊猴守山」という治法(構えや守りのための技法)があり、その導引法として「転天尊」という円歩は古くから有ります。
道教では天門を守っているのが天狗(雷神の一つ)で、鬼門を守っているのが霊猴です。
日本の平安時代の陰陽道でもこの治法が使われました。この治法が、円を描いて歩き回り、手を振り回したり足を繰り出す「転天尊」です。
また、1900年を過ぎて、龍門派の道士によって『雲盤老祖伝授練功歌訣』という著書にその詳細が収録されており、この内容の殆どが、八卦掌の三十六歌訣に採用されています。
後に、董海川は度々武当山に来て、武当山の道総で龍門派の掌門、武当道派の道長であった徐本善(1860〜1931)と遭っていたことも記録されています。
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