太極拳の師の、実戦で放った発勁の強烈な印象は今も忘れられない。柳穿魚

 私が18才ごろから働いていた大型ディスコ(当事はサパークラブ)は、裏の人と芸能人が客の3/4を占めており、当事暴力団の縄張り争いが盛んな界隈の中心であったため、毎日数回の殺傷沙汰のケンカが起こり、近くの仮称マンモスボックスというところの警察官が店に入ってきて営業が数回止まるという、夕方の5時から朝5時まで営業するとんでもない危険な飲食店でした。
 私がそこに働き出した頃から、よくモデル風の女性を連れてやってくる50代くらいに見える人物は、私の店でも有名な人物で、いつも100%のオレンジジュースを飲み、私にも親しげに優しく接してくれていました。
 あるとき、その男性が土曜日の夜に店にやってきました。いつもどおりモデル風の女性を連れていました。
 丁度その時、店内では組同士のケンカが起こっており、玄関ではその組長と他の組の誰かが殴り合っていました。
 店の幹部であった私たちは、必死にそのケンカを止めていたところ、その横を通りかかった50代くらいに見える人物に、やくざの組長が何を思ったか、急に殴りかかりました。
  その一瞬、その組長の拳を超えたその男性の手が、組長の首に当たったように見えた瞬間、組長は後方に突き飛ばされ、その後口から泡を吹いて倒れていました。
 それを見て、数人のやくざが集まってきましたが、何が起こったのか分からず、その後もケンカが続き、私たちはそのケンカを止めている間に、その男性はモデルを連れて涼しい顔で、いつもの指定席に向かっていきました。
 私はケンカを止めるよりも、その男性が気になり、席までゆっくりとついて行くと、笑いながらウェイターにいつもどおり接していました。
 私は店の幹部として、そこでその男性に「大丈夫でしたか」と声を掛けると、「大丈夫やで、政樹君やろ」と言われ驚きました。
 この時、祖父に頼まれて、私の様子をたまに見に来ていたということを知り、この男性と祖父の関係を知りました。この男性は当時大阪最大の任侠組織のナンバー2であった祖父の用心棒でした。50代くらいに見えましたが、後に祖父とほぼ同じ年代の70才を過ぎていたことを知りました。
 母親は、いつも私を心配し、祖父に私の監視を頼んでいたそうです。
 絶対に祖父のような組織に入らないようにも、王師にも頼んでいたそうです。
 それらの話を聞き、王師の強烈な不思議な技に身体の奥から湧き上がる不思議な情熱を感じ、王師が店にやってくるのを楽しみにするようになりました。
 その後私は、暴力団に強い恨みを買い、殺されそうになり、重症を負ったのを機会に、王師は護身術として太極拳を私に教えてくれることになったのですが、あの最初の印象があった事で、王師の太極拳を身につけたいと強く思えたのでした。
 あの時に使った技は、「柳穿魚」という古代からある太極拳の極意であり、「あんなものは本気で相手が顔面を殴ってきたら、無意識に勝手に出る」と王師は言っていました。
 その極意は王師の教授により知り尽くしましたが、これはやってみないと分かりません。私のクラスでもこれを教えますが、本当に不思議な技です。勢法は摟膝拗歩の前過渡式です。
 明の時代の太極拳の指導者「張松溪」が、明の少林寺の僧兵を窓から外に突き飛ばして絶命させたのもこの技です。
詳しくは、書籍「太極拳史真伝・中巻」に記していますので、是非ご覧下さい。

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