火事場のくそ力を思い出して備える。

現代人は、無意識で生まれる力(勁)、例えば、親が子を助けるときに出るような、又は火事場のくそ力のような力、それが普段から自然と備わっていません。
都会に住む人はさらにさらにその力が備わっていません。

農家や山で仕事をする人,酪農などをする人は、都会人と比べると無意識の力を絶えず使っています。都会に住む人とそのような人とは、力の出し方の違いが顕著に表れます。都会にすむ成人男性のほうが力がない,農家で働く女性よりも力がないときもあります。

農耕は沾粘勁といわれる粘りのある自然な力を、狩猟は纏糸勁と言われる瞬発力のある自然な力を主に備え育てます。

武道は、その双方を巧みに備えておく修練です。力の出し方も思い出さなければいつまでも忘れたまま備わりません。

その思い出した自然な力を発見して知っておかないと、様々な環境によってつい不自然な力に頼ってしまうことになります。
都会では、人間の本能的な動きを超えた動きが、様々な条件によって襲ってきます。

その条件にそのまま対応していると、その動きに呑まれてしまいます。本来の人間の本能的な動きから遠ざかる動きが条件として身についていきます。

例えば、ずっと椅子に座ってパソコンをしていると,本来の本能的に要求される動きに逆らって、知らず知らず指先と鼻先に大きな力がかかっていて、すなわち頭が浮き上がっている状態になります。その時に人間の身体は,その浮き上がりで腰に負担がかかるのですが、それを本来は本能的なホメオスタシス(恒常性維持)により、元に戻そうとしますが、一生懸命パソコンに集中しているときはその要求を無視して、つい浮き上がったまま,その内、脳はその要求すら行わなくなり、歩いているときなどのなんてことないときに頭が浮き上がり腰や膝を壊します。条件付けされた不自然な力が生き方の主体になってしまうのです。そうなってしまうと、不自然さすらもう気づかなくなります。

残念な事に、武道をやっている人でも、日常の自然な力を中心にした生活をしていないと、武道の練習の時に色々な故障が生まれます。

武道に携わる人はより、自らの自然な力(勁)を思い出していて、それを知っていて,それを中心に動いている感覚を持つことが大切です。

太極拳では、「力を抜く」といいますが、それは『不自然な力』を抜くということです。自然な力は『勁』と呼んで区別しています。
不自然な力は筋肉を癒着させるので筋繊維は少ない束になって固まって動きます。自然な力は筋繊維の動因数を増やすので、しなやかに柔らかく動きます。

自然な力の場合は火事場のくそ力のように,筋肉の最小限の動員での軽い動きでも大きな力が出ます。
太極拳は、その自然な力の動きを実践して経験し,そして自分の中にあることを見つけ出していく作業です。

太極拳は無意識にある動きを,顕在化して套路や散手にして、その動きを知り、意識しないで無意識にある動きで動けるようになる練習です。わき上がる気持ちよさで身体が動くという感覚です。

実際やってみないとなかなかわかりませんが、やってみると子供の時のはつらつとした生き生きとした感覚に近いものであることを発見します。太極拳はそのような力を使うための洗練された方法なのです。

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