私の太極拳の師は、かつて大阪最大の任侠組織で「代貸」を務めていた私の祖父の用心棒をしていた中国人です。
祖父の組織は博徒と色街の他、大阪において全日本プロレスを発足し、大阪歌舞伎座の運営、とび職や清掃業なども行っていました。また、初代警視総監・鈴木氏とともに、大阪の治安維持にも深く関わっていたと自負していた組織です。
その中国人の師・王(おう)師(1905年〜没年不詳)は、当時の中国・武当山で道総を務めていた徐本善(1860〜1931年)の側近でした。様々な事情により、王師は上海から児玉誉士夫氏らのつてを通じて来日し、神戸の組織(現在の最大手暴力団で、長は全日本プロレス発足時の副会長)を経て、私の祖父のもとに身を寄せました。
王師は、徐本善が暗殺された際に残された日記や多くの書物を、日本に持ち込んでいました。
徐本善は非常に愉快な人物だったそうで、当時の武当山に伝わる108式の套路に、彼自身が創作した物語を重ね合わせたと伝えられています。特に、清朝が崩壊し、108式を楊式85式に強制的に変更させられた際、その套路に沿って物語を構築したとのことです。

王師はこの物語を日本語に訳し、私に語りながら、楽しそうに一緒に套路を行い、勢法などの解説も交えて指導してくれました。彼からは常に「メモを取るように」と指示されていたため、当時の記録が残っており、20年ほど前にそれらをテキストに起こしたものを、パソコンのファイルの整理中に見つけました。
これはあくまでメモの概要に過ぎませんが、王師と共に套路を行いながら彼の話に耳を傾けた記憶は、今も鮮明に残っていますので、メモを見ると多くの王師の言葉が思い出されます
今後、書きたいテーマがいくつかあるため、この物語もいずれ一冊の書籍としてまとめられたらと考えています。
なお、徐本善については『太極拳史真伝・下巻』に詳しく記載していますので、ぜひご覧ください。