大輪の椿の花《太極拳三昧》

朝の太極拳の後に、近くのお寺に参拝する。今日は大きな椿の花が、目に飛び込んできた。掌ぐらいの大きさである。
あの小さな蕾から、この大きな花が生まれ出る。
蕾は、この椿の木が、空間と時間の全てと縁を得て生み出したものだ。
すなわち、全体が、全てが、この蕾を生み出した。
楊式の太極拳は、大架式の套路で練る。大輪の椿の花である。
蕾の中には、この椿の花が詰まっている。
それが花開く、それが大架式である。
そして椿の花は、やがて実を結び種を作る。
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夜明けと夕暮れ《太極拳三昧》

暗闇に、光がしみ出してくる。
夜明けである。
光の中に、暗闇がしみ出してくる。夕暮れである。
今日も人が死に、人が生まれる。
何かが生まれ、何かが消えていく。
この時が生まれ、この時が消えていく。
なぜ、太極の拳法なのか。
この陰陽の無常がわかれば、それが明らかになる。
だから太極拳の套路では、虚実、陰陽、夜明け、夕暮れ、誕生、死亡、目覚め、寝入りのような移り変わりを、滔々と繰り返す。
すると、必ず、陰陽の無常が分かる。
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凌空勁《太極拳三昧》

肌寒い朝。

珍しく、いつも太極拳の套路を行う公園には行かず、すぐ近くの小さな公園へ。

小さな公園を覆い被せるように、桜が満開だ。

いつものように、長い套路をゆっくりと始める。

空気が体の内に染み渡っていく。細胞たちが細胞たちと話し始める。桜たちも、空気の粒も全てがつながる。

凌空勁、太極拳の最高の極意である。空間を越えて及ぶ、自然な力のことである。

この套路のひとときが、凌空勁を知るための大切なときである。

だから套路はゆるやかにやる。… 続きを読む

張り子の虎《太極拳三昧》

套路の型を覚えるのもいい。しかし、型の示意を知らなければ、張り子の虎のようなものだ。
示意は心の示すところ。無意識の心は何をしようとしたしたのか。
示意は型の用法である。
示意は経験すれば明らかになる。だからこそ、対錬で招式をする。
招式は、式、すなわち型に導く為の、用法を掛け合う仮想実戦の想定練習である。
そして、招式が連続して変化し自由自在になる。散手である。
散手を臨機応変に掛け合う、散手対打で練り上げる。
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太極者無極而生。陰陽之母也。

人間は生物である。
しかし・・特別な生物になりたがる。
例えば、新しい道路ができる。道路ができて便利になると喜ぶ。
しかし反面はそこに住んでいた人が立ち退かなくてはならない。
その話を聞いた人間がこう言う。
「そこに住んでいた人はかわいそう。」「もし、あなたがそこに住んでいたら立ち退くのはいやでしょう?」
こういう。
だから、道路ができたからって喜ぶのは不道徳だと言い始める。
これが人間である。
自分が例え、昔は森であったマンションに住んでいようが、車を乗り回していようが、森をきり開いた線路に走る電車に乗っていようが。
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太極拳ヒーリング

今日の朝の太極拳で、ヘッドホーンから流れていた、「白鳥」~「動物の謝肉祭」第13番。
 今日のみたけ台公園はとても風が強く、木々の揺れと共に、風の音と音楽のハーモニーで、まるで空を飛んでいるような感覚になりました。
 そんな感覚を再現したくなり、早速公園の風景の動画と音楽を組み合わせてみました。
よろしければ、太極拳をしている感覚で、木々と揺らいでみてください。

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体のさびと気順

 全身に気を巡らしていく。套路をするにも、対錬をするにも、この気順があってこそ太極拳です。

全身の細胞にエネルギーを行き渡らせ、新陳代謝し、酸素を消費し、又供給する。体に呼吸と気がみなぎる。

30代と言わず、20代から、いや子供の頃から、全身に気が巡り、酸素を健康に新陳代謝する能力を維持し続けることは、将来の健康な生活の保険のようなものです。

太極拳を修行するものの心得として、30年前の心身の状況が、現在の心身の状態の基盤を作っていると考え、30年後の未来を想定して、今を生きています。又逆に、30年前の状況が今我が心身の基底であることを認識して、今を生きています。… 続きを読む

易骨・骨を健康に戻す

太極拳では、易骨といって、骨を鍛えていく修練を行います。

骨は命を終えても最後まで残る人体です。

太極拳は骨と筋を使って動くということがわかるようになると、年をとっても骨と筋だけで、十分な勢を保つことができます。

我が専修クラスでは「叩歯鳴鼓」などの坐道で骨に気と勁が伝わる感覚を身につけ、武道クラスでは徹底的に骨を鍛えます。

太極拳の考え方では、バランス筋などを育てても、年齢を増すごとに衰えていきますから、その鎧が取れれば、やせ衰えた骨が残るので、最初から骨と最低限の筋を維持することを修練します。易筋、易骨です。… 続きを読む

直心是道場

「直心是道場」維摩居士という禅僧の言葉です。

エピソードは、修行者が城壁の中にある町の喧騒の中では修行ができないと、城門を出ようとしたところで、外から入ってくる維摩居士を見つけてどこから来たのか尋ねました。

すると「道場から来た」という返事です。静かな修行の場を探したいと考えていた、修行者は弾んで「道場はどこにあるのですか」と尋ねました。「修行をするという直な心があれば、どんな所でもそれで道場、修行の場だ」と答えました。… 続きを読む

違和感

違和感。
清々しい命(生命ではなく、刹那の命)、爽やかな性(先天的な人間としての性)、絶対的な理(何の相対的な条件も影響しない理)が丹、それ以外のものを違うと感じる、その違和感です。
美しい真珠を選定するときに、ひたすら美しい真珠を愛でてその命と性、その理を感じ尽くしてから、多くの真珠の中から違和感のあるものを感性で取り除いていく、そして残ったものが高潔な真珠として世に出て行く。

太極拳では、坐道(静坐)や存思(瞑想)でひたすらこの感受性を高めていきます。… 続きを読む