太極拳 走圏の練習
古式太極拳には八卦掌にもある走圏の基本練習があります。
套路の中では玉女穿梭及び、肘底看捶や抱虎帰山、白鶴亮翅などの過渡式、野馬分鬃の歩法などで行います。
走圏を練るには、以上の式を単練で連続して行います。
套路にはない型で、数種の走圏がありますが、全て衆敵の実戦を想定して練習します。… 続きを読む
太極拳は道教の理念を武道の中に多く取り入れています。
道教の祖師は老子ですが、彼の「無用の用」という概念は有名です。
例えば、太極拳の套路で、広い公園で大きな大地に立っていますが、大地の内で使っているのは足で踏んでいる部分だけです。だからといって、足が踏んでいる部分だけを残して他が無くなってしまったらどうでしょうか?奈落の底に脱落ですね。このように踏んでいるところは用、踏んでいないところは無用、次に踏んだところが用であり、踏み終えたところが無用に変化するのです。これが太極拳の歩法です。… 続きを読む
この撇身捶を招式という一つの技に分割すると、さっと50ぐらいはあげることができます。
85式の套路には撇身捶が数回出てきますが、その撇身捶を全て違う招式や用法を想定して練習するのが最も太極拳を使えるようになるための効果的な套路練習です。
武当派の流れをくむ王流楊式太極拳は実戦的な徒手武術です。その套路にある撇身捶は基本勢のみを練り上げる基本式です。

王流楊式太極拳にはその撇身捶の基本勢をもって行う多くの招式があります。主に拳脚による攻防が中心です。もちろん把式も多くあります。… 続きを読む
どのような運動でも武道でも、準備運動というものを行います。
太極拳も練習の前には準備運動をおこないますが、実際に武道として太極拳を使うということを考えると、本来準備運動はいらないのです。
まず、太極拳の練習の前には、経絡を刺激する運動として、指龍という、五指を動かして体の気の通り道、経絡とその通過点の経穴の緊張をやわらげる準備運動を行います。
しかし、指を動かすだけなので、これが準備運動かというほどのものです。指龍は、厳密に言うと朝起てから、畑仕事やちょっとした家事、朝ご飯の用意をするときに、柔らかなリラックスした動きをして経絡がなめらかに刺激されていればいれば、もう練習を行う前には必要のない準備運動です。朝起きたときから自然と準備はできているということになります。… 続きを読む
現在行われている太極拳の套路で、型の姿勢、ひどい場合には手の形や足の裏の形などを正しく行うように要求があるとされていますが、実はその套路の型自体は、他の武道と同じく、構えもしくは、残心という、技の始まり部分と終了部分だけなのです。
もちろん構えと残心は大切ですが、その途中にある過渡式が実は技なのです。套路で行う技は基本勢による技が主体ですが、構えて技を練って技を終えて残心、そして連続技で套路が構成されている運用なのです。… 続きを読む
高探馬帯穿掌の穿掌の打ち方は手法でやります。主にに点穴で使いますが、この場合の穿掌の場合は龍の勢の一つ竜頭を使いますので、特別な打ち方が必要です。筒の中に槍が仕込んであって、筒を鞭のようにのように差し出すて、急に止めると中の槍が勢いよく飛び出します。これが高探馬帯穿掌です。
大事なのは、この高探馬帯穿掌の過渡式勢です。高探馬帯穿掌は高探馬からの過渡式に重要な勢があります。これを練習します。高探馬から左足が前に進みながら、急激に止まります。その勢は差し出した穿掌の先から飛び出ます。… 続きを読む
撇身捶の勢を使って劈拳を打つ。用法として、相手の右手で右肩を押さえられて、背勢にされ、相手が左打虎を我が後頭部に放つ場合。撇身捶の勢にて腰腿で右にうねり、右腕の抱掌にて打虎を防御しながら、我が左腕は相手の右腕をしたからすくい上げ、右腕で上から下へ劈拳を放つ。
散手対打 打虎劈身捶(その他)上冲劈身捶
扇を閉じて広げるようにして打つ劈拳。
用法としては、劈身捶のように背勢に拳を受けない場合、例えば我は右前で相手の右劈身捶を左胸に受ける場合、我が左腕は外、右腕は内で交差し(十字手)摺叠して左腕で相手の劈身捶を外に流し、右腕で上から下へ相手の右側顔面や頸動脈や胸に劈拳を放つ。勢は十字手の合から開である。
散手 把式(解法)
両者手揮琵琶-甲・右手揮琵琶・乙左手揮琵琶

最近、王流楊式太極拳でも、自立厚生運動の広報の一環として、話題のツィッターやFaceBookなどに実名で自動的に記事が投稿されるように設定しています。
そのためか、数人の武術家の方達から、当王流楊式太極拳の歴史を教えてほしいという要望がありました。
もちろん、私の師の王征(又は宗)家からきいていた歴史はとても明確で、近代中国史と共に、又私のつじつまを求める質問に答えるように、ことごとく違和感のない、つじつまのあった答えをいただいていたのでその歴史は知っています。… 続きを読む
元・明代に生きた遼東(遼寧省)出身の道士で仙人。字は君宝、幼名は全一。張三豐(1247年 – ?)が技を学ぶために少林寺に入門しています。
張三豐はとても文武とも優秀であったため数年を経ずして首席になりました。
彼は道教の道を求めて、少林寺を出ていきました。
彼は、湖北の武當山に至ると、そこは天の柱のような峰が奥深く静まり返り、しかも清冽であり、無為自然な心身を求める神仙の道がある龍の峰であるとして、中でも3つの峰がずば抜けていて、青々として素晴らしいものであったと記しています。… 続きを読む