桜の花びらの絨毯《太極拳三昧》

IMG_1273今日の朝。いつもの公園の地面に、桜の花びらの絨毯が敷き詰められている。足下には、花びらと、地面がまだらを描いている。
この美しさは、無用の用である。
花びらが実なのか?
地面が実なのか?
虚実が織りなって、いい知れない美しさを醸し出している。

太極拳は陰陽の行である。
陰が実なのか、陽が実なのか。
花びらが浮かび上がるのは、地面があるからだ。
地面が存在を見せるのは、花びらの仕業。
太極拳の型と型の間に、過渡式がある。
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大輪の椿の花《太極拳三昧》

朝の太極拳の後に、近くのお寺に参拝する。今日は大きな椿の花が、目に飛び込んできた。掌ぐらいの大きさである。
あの小さな蕾から、この大きな花が生まれ出る。
蕾は、この椿の木が、空間と時間の全てと縁を得て生み出したものだ。
すなわち、全体が、全てが、この蕾を生み出した。
楊式の太極拳は、大架式の套路で練る。大輪の椿の花である。
蕾の中には、この椿の花が詰まっている。
それが花開く、それが大架式である。
そして椿の花は、やがて実を結び種を作る。
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夜明けと夕暮れ《太極拳三昧》

暗闇に、光がしみ出してくる。
夜明けである。
光の中に、暗闇がしみ出してくる。夕暮れである。
今日も人が死に、人が生まれる。
何かが生まれ、何かが消えていく。
この時が生まれ、この時が消えていく。
なぜ、太極の拳法なのか。
この陰陽の無常がわかれば、それが明らかになる。
だから太極拳の套路では、虚実、陰陽、夜明け、夕暮れ、誕生、死亡、目覚め、寝入りのような移り変わりを、滔々と繰り返す。
すると、必ず、陰陽の無常が分かる。
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凌空勁《太極拳三昧》

肌寒い朝。

珍しく、いつも太極拳の套路を行う公園には行かず、すぐ近くの小さな公園へ。

小さな公園を覆い被せるように、桜が満開だ。

いつものように、長い套路をゆっくりと始める。

空気が体の内に染み渡っていく。細胞たちが細胞たちと話し始める。桜たちも、空気の粒も全てがつながる。

凌空勁、太極拳の最高の極意である。空間を越えて及ぶ、自然な力のことである。

この套路のひとときが、凌空勁を知るための大切なときである。

だから套路はゆるやかにやる。… 続きを読む

張り子の虎《太極拳三昧》

套路の型を覚えるのもいい。しかし、型の示意を知らなければ、張り子の虎のようなものだ。
示意は心の示すところ。無意識の心は何をしようとしたしたのか。
示意は型の用法である。
示意は経験すれば明らかになる。だからこそ、対錬で招式をする。
招式は、式、すなわち型に導く為の、用法を掛け合う仮想実戦の想定練習である。
そして、招式が連続して変化し自由自在になる。散手である。
散手を臨機応変に掛け合う、散手対打で練り上げる。
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