囚人から人に戻る太極拳

囚われを見つけ出すのが太極拳の套路です。

囚われという字は人を囲みの中に閉じ込めている字です。

囚人の囚です。

物理的に檻に閉じ込められていいるのではなく、色々な条件に囲まれている状態です。

例えば、功名富貴(こうめいふき)という四本の線を取りはからえることが出来れば、並外れた人間になることが出来、そしてもっとレベルの高い話では、道徳と仁義という四本の線を重視する心を解き放すことが出来れば、聖人の仲間入りが出来ると、あの論語と並んで広く読まれている菜根譚(さいこんたん)の前集33項にも書かれています。

道徳や仁義さえ囚われることのないところが囚人でないところです。

太極拳はあらゆる条件を放松します。解き放します。そこから生まれる気によってのみ勢が生まれ、型となり技となるのです。

この囚われない套路が理解できたとき、日常の全ての心身の動きもつながって理解でき過ごせるようになります。

意識や感覚に囚われ惑わされていると、套路の動きが滞ることは,ゆっくりと動く経験するとよくわかります。身体がとても重くなってきます。

重くなれば、勢いもなく、行動も遅くなります。 武道として太極拳をするのなら致命的です。

太極拳は,その囚われを逆に扱えるようにする訓練をします。 五行という中心に自らを据えて、四方八方を自由に扱えるようにします。

五行は進(前進)、退(後退)、顧(右向き)、盼(左向き)、定(中心)で、性質的エレメントは水、火、木、金、土です。八卦は掤、履、擠、按、採、挒、肘、靠で,その内の掤、履、擠、按、を四正とし、採、挒、肘、靠を四隅として、その囚われの入り口である各四門(しもん)を自由に扱えるようにする訓練をします。

あらゆる方角である八卦(八門)と、時間軸である五行(五歩)にある囚われを解放する術を身につけるのが、太極拳の武術です。

そして套路はその基本練習です。基本は十三勢と呼ばれます。

ですから、太極拳の套路は、姿勢や動きの正誤なども囚われとなり、一般に普及している太極拳の要求すらも囚われとなります。

そのようなものに囚われている限りは、そのようなものと運命を共にするしかありません。姿勢が崩れると一緒に連れて行かれ、動きが崩れると一緒に動かされ、意識が動くと意識と共に身体が動きます。相手がそれを自由に操れるもの(太極拳の高手)であれば、相手の自由自在にならざるを得ません。又、日常生活でも、そのような動きに右往左往するしかありません。いつも姿勢を正し、動きを正しくして生きていくしかありません。安全な域でです。

無になろうとする意識すら囚われとなるのです。いくら無視しようとしても無視する事も、いくら乗り越えようとしても克服する事もできないのです。

太極拳の套路は、道徳や仁義さえ人を囲む四本の線として囚になるということも超えて、無になろうとする意識すら、目や鼻、口や耳の四本の線すら放松したところで行うものです。

囚われのない動きで大河のように滔々と流れた套路の姿が、人として天地の間に立ったときこそ、太極拳は心も体もまるで雲の中を歩いているような感覚に導いてくれます。

その感覚で一日を過ごす。これこそが太極拳の目指すところです。このような囚われが見えていないと、対処する事もできません。 まず自分が囚われている限りは、相手を自由に扱う沾粘や走や化などの勁を発することは出来ません。

まず、囚われを全て取り去ってから、囚われを扱うのです。このような修行は遠回りだと思って、今は、まず囚われを教えている太極拳がほとんどですが、囚われを覚える近道は囚われを近道で覚えたに過ぎません。いつまでたっても真の放松に到達することはありません。まず、囚われを捨てる修行から始める、そしてその囚われを扱う道が太極拳の道なのです。

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