太極という境地に自分を置く

「2匹のサルの脳活動を初めて同時に測定し、社会的相互作用によってサルの脳が同期する可能性のあることを明らかにした論文が、今週掲載される。」らしいのですが、こんなことは人間において経験学的にあたりまえのことで、いかにそのようなことに左右されないかということは、人類の昔からの課題でもありました。そうであれば、人間においてはすでに誰もが脳の働きは分かりませんが、心の問題としてこのようなことがあった事は明かです。しかし、今回は脳の働きで証明した論文のようで、経験科学の脳科学的裏付けになるようです。

例えば、相手の両手を前から掴んで引っ張る行為を考えて見ましょう。
相手の手を引っ張る人間は、突発的に相手に対して接触をおこなったことになります。これが、通常においての社会的接触ですが、人生において何度も引っ張られ、または相手を引っ張ったことがある人間は、相手が引っ張られることに抵抗しようとする行為を行う事を、あたりまえに行う事を知っています。
だから、相手を引っ張ればば、相手は抵抗するということが無意識で心の底で生まれます。また通常なら、相手も、引っ張られたら相手の方に引き寄せられることを知っているので、無意識に抵抗します。これが相互間における社会的行為です。ここでは太極拳についてを説明するので、手を引っ張るという行為を取り上げましたが、通常はもっと一般的な社会的行為を取り上げて説明しますが、これも相互間における社会的行為の一つです。
「引っ張れば抵抗する。」これが、陰陽という両儀に染まった人間の通常の行為です。
太極拳の発祥の地である武当山は、中国に古くから発生した「易経」をもとに様々な思想を展開している「道教」のメッカでもあります。
「易経」はいわゆる、無極から太極というカオスとコスモスの臨界的融合点が生まれるまでを太極とし、その後に太極が相対的に分離し両儀となり四象、八卦と六十四卦と現象を生成していく姿を現したものです。いわゆる両儀以降が、相互間における「易」(変化)なのです。これを6本の爻で表していくのですが、この展開を重視するのが「儒教」です。この相互間が社会的行為であれば、これも「易」です。「道教」は太極以前を重視するのが本来の姿で、太極拳はいわゆる太極をもって理をなしています。すなわち易に一切関与しないという姿勢です。従って、太極拳は太極以外を拳理に持たないのです。太極拳の図は「易経」の図の太極図以外の八卦を含まないのはあたりまえのことです。
この八卦は占いでも使われるとおり、こうすればこうなるという現象論です。この現象に囚われないのが太極拳なのです。十三勢は太極の状態にある時空と方角で、両儀、四象、八卦が起こる前の基本的勢いです。陰陽五行説などは、単なる方角に「万物は木・火・土・金・水の5種類の元素からなるという説」を、陰陽説のずっと後に、陰陽家の一人が独自の理論を展開したものです。したがって十三勢の五行はのちの五経説とは関係ありません。単なる天地の間に立てば、自分を定として前後左右という方角を得た人間のことです。今は「道教」の経典に残る以外は、もう骨と皮しか残っていませんが、武当山ではこの太極理論の学問が、とてつもなく盛んでした。
太極拳では、相手が両手を引っ張れば、その引っ張る勢いに随います。相手は両儀をもって相対し、社会的行為の通りの結果を想定しています。相手が引っ張ることに抵抗するという行為をです。
しかし、太極は陰陽が和合相済した状態ですから、太極拳を熟練していれば、太極の状態で動くことを思い出しており、無為自然であり自然と随うのです。
相手は、抵抗が起きないと、通常的で非常に典型的な状態が起こらないことに対する驚きで虚が生まれます。また引っ張ったのに抵抗しないでついてくるということに対して、自分が意図した計画的行為の立て直しを要求されます。
そこで、したがったものはその虚と和合した実を発し、その時に起こる相手の勢いに応じ変化するのです。例えばこの場合であると、相手はまっすぐ引っ張っていたので、相手がついてくると前後の勢いにたわみができます。そのたわみはいわゆる腕に対して上下左右歩方向への勢いを生みます。
これに随い上下左右に旋風する旋風勢によって、太極勢の陰陽転化に従い、相手を右方向へ揺らぎ、自分は左方向へ揺らぐ勢いで、自分がいなくなったところへ落とすのです。引進落空、すなわち扌履勢が働き相手は投げ飛ばされてしまいます。雲手の示意による摔角です。
このような、太極の理のみであらゆる現象に左右されない状態をいつも保持することが、太極拳なのです。太極図以外の外側に、社会的相互作用が存在します。
その易(変化)を予測し、それに対応する術を身につけようと、儒教などの学問も発達しました。太極拳はそのようなところとは無縁に、ただ無為に自然に対応して、そこに起こる現象がありのままにあたりまえの和合相済された状態であるという結果を自然に起こすものです。
中華人民共和国の中国共産党傘下のプロパガンダ機関に孔子学院というものがあり、最近話題になっています。韓国の国旗もそうですが、儒教の意味は管理や秩序維持に大きく役立っているようです。制定太極拳や、伝統太極拳も中国政府によりそのように制定及び復活されました。
老子の実践的思想である「タオ」は「無為自然」が根幹です。そしてこの太極思想を根幹に置いているものが太極拳であり、王宗岳の太極拳論を経典とするなら、「太極者、無極而生、動静之機、陰陽之母也。動之則分、静之則合。無過不及、隨曲就伸。(太極は無極にして生ず。動静の機、陰陽の母なり。 動けば則ち分かれ、静まれば則ち合す。 過ぎること及ばざることなく、曲に随い伸に就く。」ということです。
太極図は易経にて描かれていましたが、易経の内側の太極のことです。易経が生まれるよりもずっと古代からある、太陽が山の表に日を照らし、裏側に影を作るというただそれだけの自然的融合観です。この論文の「見守り役」のように、社会的相互作用によって自分の脳が変化するのでは無く、自分が持つ本来の自然で陰陽が和合相殺した脳によって、主体的に相手の社会的相互作用を包み込んでいくのです。これが太極という境地に自分を置く「太極拳」なのです。

href=”http://www.natureasia.com/ja-jp/research/highlight/12434″>

2匹のサルの脳活動を初めて同時に測定し、社会的相互作用によってサルの脳が同期する可能性のあることを明らかにした論文が、今週掲載される。今回、Miguel Nicolelisたちの研究グループは、2匹のサルの脳活動を同時に記録し、社会的相互作用課題において、2匹の脳活動が同期したことを明らかにした。この課題では、第1のサルが「乗客」となって、コンピューター操作による車椅子ロボットで食料供給装置まで運ばれ、第2のサルが「見守り役」として、その一部始終を観察した。「乗客」は、食料供給装置に到達すると報酬としてブドウを受け取り、「見守り役」は、報酬としてジュースを受け取った。次に、2匹のサルは役割を交代して課題に取り組み、脳活動の同時測定が再び行われた。

情報源: 【神経科学】社会的相互作用によって2匹のサルの脳が協調する | Scientific Reports | Nature Research

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