太極拳の源流

太極拳は少林寺の内家で修行されていた宗門の行で、世に出て長拳となりスポーツ化されました。記録はインダス文明の時から発展した、カラリパヤットが原型と言われています。その内家の本質を維持するために、武当山などの道教の寺院内家で宗門修行されていて、攻防理論などは道教の太極理論と全く一致しているので太極拳と名付けられました。そして、禁武政策でこの強烈な武術は完全に骨を抜かれて、新たに制定又は伝統とされ、全く武術要素のない、積極的に武術になり得ないものとして再生されました。それが今普及している太極拳です。現在の太極拳の多くの老師は禁武政策の後に生まれた人ばかりです。

いち早く海外に出て、その道教寺院などで修行されていた太極拳を守り抜いたものは、今や華僑の人の中ぐらいにしかいません。

又は、道教寺院と特別に関わりを持った日本人などです。代表的な人物は少林寺拳法の宗家の宗道臣などです。本人は太極拳と言っていませんが、道教の寺院で修行したのは事実です。道教寺院で行われていた武術は太極思想による理論と一致していたのは間違い無く、僧達が太極拳と呼んでいたかどうかは知りませんが、それが今は太極拳(普及している太極拳とは違います)と呼ばれているものです。

伝説によれば、達磨大師がインドからこの格闘技を中国に伝道し、それが外家すなわち外部に流出し修行され、現在の少林拳になったと言われています。

内家で修行されていたものは、僧達によって外部に流出して、道教などの寺院において内家拳として修行されています。

逆に外家で修行されていたものが、現在において崇山少林寺に環流して少林拳として修行されているというのが本当のところです。

日本における少林寺拳法などは、宗家がもともと中国の道教の寺院(道院)で教わったものであると本人が自ら言っていることからも、少林寺拳法の源流が少林寺の本流であるというのが歴史から見ると最も納得できる説でしょう。

少林寺拳法の宗家が行っていた術は、相当、道教寺院で修行されていた太極拳の技が多く含まれていますが、日本で独自に柔術などと組み合わせて、日本人の精神(例えば、交感神経優位的な精神)や身体動作に合わせて体系化したため、既に全く違うものになっているということは少林寺拳法が紹介しているとおりです。発勁理論なども全く逆の理論を使っています。そのことからも日本独自の拳法と言えるでしょう。

このように太極拳とはとても歴史の古い、仏陀までもが修行していたと言われるような武術で、中国において少林寺の内家で発達して、様々な武術抑圧によって、少林寺内部から外に出て、僧達が道教寺院などに潜みその内家を修行したものが太極拳と呼ばれるようになり、少林寺の周辺の外家により、内家の比較的修行がわかりやすい部分すなわち功夫として修行できるものが外家拳として発展していったものが太極拳などとは全く違う外家拳です。

内家拳は逆に中国国内では、殺人的な威力を持つ拳法とされ、相当な抑圧をされていて、清の時代には禁武政策がとられほとんどが外国に渡る中国人によって持ち出されました。又中国人にとって、外国で生きていくためには必然的に身を守る強烈な術が必要だったからです。特に日本においては相当に必要なものだったと聞かされています。

古い時代でも少林寺の内家で修行された内家拳は、強烈な殺傷効果があるので、時の政権に都合が悪いと判断されれば、抑圧されたため、日本における古い時代においても、仏教や道教などと一緒に、僧などに持ち出されて、日本の武道に大きく影響を与えています。

このように、中国国内で、太極拳を伝承することは至難の技で、中国国内から出たことのない中国人には、逆にその本当の太極拳に巡り会う機会が少ないというのが現実です。これはとても皮肉な結果ですが、このことを知る人は少ないでしょう。

太極拳の大師は中国外にいる中国人、又は、そのものから伝承を受けたものにいるのは確かなことです。

今の制定太極拳や伝統太極拳といわれているものが太極拳だと信じて修行している老師は、戦後の中国の政府が伝統として整理したり,又は制定した太極拳の老師たちです。

戦時中に実在した多くの太極拳の師は、相当実践的な攻防術を持っており、道教の寺院などで僧として隠れて禁武政策に接触することがないように、信用の出来る弟子達に太極拳(太極拳とは名付けていませんでしたが)を伝承していました。

弟子達は逆に外国人か、海外で生活圏を広める華僑達でした。

外家拳という、身体の内部まで勁を及ぼすことのない拳法については中国は寛大ですが、内家拳については中国人のその道の人にはその強烈な威力が認識されており、できるだけ、少林寺に伝わってきたような殺傷力の高い武道すなわち、のちに太極拳と呼ばれた内家拳が、本来の姿を取り戻すことには消極的にならざるを得なく、又、積極的に武術になど到底なり得ないものを太極拳として現在に伝統として残し、又は制定し普及させたことは国策として成功であり、そして、それが武術としてもスポーツとしても一般化したことで、既に、真の武術としての太極拳はその大きな潮流の中においては、太極拳ではあるが一般的に知られている太極拳の形や姿勢そして動きなどとは違っていると、今は多くの人に認識されているのです。これで中国においては多くの人たちが太極拳という武術を真に身につけることは全くなくなったということであり、既に太極拳は全く違うものとして生まれ変わったのです。

はっきり言えることは、武道としての太極拳を身につけて、真の内丹を営み、健康と幸福を取り戻すなら、普及している太極拳をもう一度、一歩下がって見つめ直してみることが大切です。

それが、本当に武道なのか?そう考えることも、大切な一生をかけて付き合っていくものとして太極拳を考えるなら、とても大切なことだと思います。

色々な情報を「なぜ?」と突き詰めていくと色々なことが見えてきます。その中の違和感から目を背けなければ、必ずその違和感の元も見つかります。太極拳の套路は、その滔々とした動きの中に違和感を見いだし、その源流を探り、自らの中にその原因を見いだし、それを解決していくことで、素晴らしい無為自然の動きを思い出すことです。

無為自然には違和感はありません。

皆さんは、今普及している太極拳を武道として考えて違和感がないでしょうか?

もしあれば、それは真の太極拳ではありません。

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