太極拳の武の高手への道で、他の武道と大きく違うところがあります。
全ての武道、そして全ての人とは言いませんが、多くの武術は、新しい動きを身につけたり,又コツを覚えたり、秘伝みたいなものを新しく知ることで上達するとされています。いうなれば積み上げていくものでしょう。
太極拳は自分の持って生まれた,無為自然の才能に気づき、それを練ることのみに高手への道を求めています。太極拳は積み上げているものを一度捨てて,本当の自分に気づき、それからその積み上げているものを使うものです。
もともとある才能に気づき、その強さに気づき,そして生きているだけで幸せである,本来の自分に気づきます。
それが太極拳を修行する全てです。放松といってもこのように心意が伴って初めて神気精の一致した放松が行えるのです。
積み上げていくものには、積み上げた人によって差が出ます。
しかし、本来の自分という普遍のものは、全ての人が平等です。
捨てて捨てて捨てきっていると,もっと深い本当の自分が見えてきます。
それが無極です。無極とは一般的によく使われますが、完全なる無といった方がいいでしょう。
積み上げていくというのは、いたちごっこのように、徒手には刀、刀には銃、銃にはミサイルと言うふうにどこまで行っても終わりがありません。
それに差が出てくるだけです。
本来の人間の普遍性に気づく,全ての人が共有しているものに気づく、もっというと森羅万象が共有しているものです。それで、
太極拳の陰陽和合という精神も見つかります。
その精神が見つかると、太極拳の技術は全てそれに従って動きます。
全ての技が,自然に無為にその太極という陰陽和合の仕組みによって繰り出されます。
練習の時には、意識が主になり最初は動いているとしても、いずれ意識ではなく意が主になり,認識する前に早く強く動けるようになるのです。
そこで初めて太極拳を武道として極めたことになります。
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