青年期のシナプスの刈り込みと太極拳

この論文を読んでいて思い出したことがあります。

 私は、中学後半時代から、世の中に起こる違和感と大人の偽善に我慢できず何にでも誰にでも反発していて、高校時代は、母親以外の誰の言うことも聞かず、特に学校では好き放題で、歴史ある高校で初めての落第生になったことや、思うことやりたいことのやり放題であったことを、太極拳の師に話したことがあります。

 その時のことです。高校時代は、祖父の組織の関係者から真剣による「柳生新陰流」を習っていたときも、その先生からも同じことを言われました。

その言葉は「よかったな」です。

剣術の師からはそれ以上の話は聞けませんでしたが、王師はこう切り出しました。

「武当山では、青年期の心と体を一切抑圧しないことにしている。例えば、套路や日常の対錬においても、思いのまま自由にやらせる。それはなぜか。この時期に管理抑制するような形や心の抑圧を教えると、幼少期からの育ち方にも由るが、必ずと言って良いほど、後にひどい場合は重要な精神の病や、少なくとも太極拳で神明に達する道が全く遠ざかる。多くの武術はこの大事な青年期に多くの癖や規則、要訣や法則で縛りつけ、それを身につけさせようとする。多くの癖が身についても、その代償として多くのものが刈り込まれていることを誰も知らない」

というような趣旨の話しを延々と聞かされました。王師も若い頃はとても自由奔放であったが、先天の性にある先天的な「愛」が全てを包括していたから、全てに対して一体を超えることは無かったと太極理論をひもときながら話し始め、私と師は「愛」について深く談義をし、私も高校時代を思い出しとても納得した事を思い出します。

私の教わった太極拳が、正におおらかにくつろいで先天の性を失わず、自分の青年期にピークに達した後天の性の心身がそのまま生かされているのは、このような経験科学に基づいた基本精神に立っているからでしょう。

今この論文が発表されましたが、またも、太極拳の経験科学の素晴らしさには驚かされるばかりです。

青年期はリスクと脆弱性をはらむ一方で、成長と可能性がピークを迎える、というしばしば見られる逆説的性質を探究した一連の論文と記事が、NatureおよびNature関連誌、さらにはScientific Americanの計10誌に掲載される。Natureの「青年期の科学」特集の冒頭では、青年期自体を解明するまでの道のりは長いという見解が示されている。「思春期」という概念には、若者が10年以上に

・・・現在、世界の10~24歳の90%が住む低所得国と中所得国における青年の日常生活を理解することの重要性が強調されている。Beth StevensのIn Retrospect(News and Views)では、青年期の異常なシナプス剪定が統合失調症の原因になっていると主張するFeinberg仮説について評価している。

情報源: 成年に達すること:「青年期の科学」特集 | Nature | Nature Research

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