4次元の太極拳

 太極拳は十三勢と呼ばれます。

十三の勢には、まず四正手があります。

四正手は、右攬雀尾では、掤は進行方向に向かって右前上から扌履は左後下、擠は前、按は後下から前と、右交差の3次元を描き、左の攬雀尾で左交差の3次元を描き、幅、奥行き高さである空間を全て網羅します。身の幅、眼の奥行き、手の高さの三尖で空間を描くということです。

そして四隅手ですが、野馬分鬃では、靠肘挒で因縁果の三節になり、現在から未来への時間軸を構成しています。後ろ手の採はその現在を身の中心線とすれば、三節に伴う過去の時間を表しています。靠肘挒の勢は採勢が力点となっているのです。そして中心線が支点、そして靠肘挒が作用点です。靠肘挒と進む長勁は後ろ手の採勢が力点となり、身体の中心線が重要な支点として発勁されます。… 続きを読む

雷の光を見て耳をふさぐ

太極拳の実戦的動きを表現するときに、緩やかに速いといわれます。

なぜ緩やかに早いのか?拳のスピードや、動きの速さもそうですが、太極拳の心法に理由があります。

心法においての太極拳の発動の仕組みは、雷が光ると、耳をふさぐという例えになります。

雷鳴がなり始めると耳をふさぐ反射神経は、後天的に備わっています。

雷は光と音と衝撃がその全体です。
音の前には光があり、音の後には衝撃があります。
相手が拳を打つ前を気勢、打った拳が音、自分に当たるところが衝撃として考えてみます。… 続きを読む

徹し(とおし)の発勁

太極拳の発勁で、相手の内部にまでダメージを与える打ち方があります。

鑚勁とも呼ばれ、この発勁の練習については、通常の打撃練習では習得できません。

徹しという技能を身につけます。王流の套路には徹しの発勁で打つことができるような過渡式を備えています。

基本の勢はこの套路で修練できます。

発勁には、その目的に応じて、表面的な部分に痛みを与えたり、経絡を閉ざしたり、経穴を麻痺させたり、虚を創出するものなど色々とあります。擒拿術や投げ技である摔角の作用点も発勁になります。声だけの咆哮も、相手の動きを誘ったり、気で相手を動かす凌空勁ももちろん発勁です。つばを吐きかけることも発勁です。耳や髪の毛を引っ張ったり、衣服をつかんだり、罵詈雑言を発したり、騙したり、演じたりするのも全て発勁です。… 続きを読む

護身とゾーン

地下鉄で体がぶつかったと言うことで、気づかないところから急に刺される。
こんなことは防ぎようが無い。確かにそのように言えるかも知れません。
しかし、楊式太極拳や柳生心陰流ではこの様なときの護身が最も大切な武道の入り口と教えるのです。

実際に私は何度もこれで命が助かっています。(ナイフでどさくさの中で攻撃されることは数え上げればきりが無いほどです。20歳前後の私の環境では日常茶飯事でした。とても多くのやばい人に恨まれていました(逆恨みです)ので、路上でも数回あります。その中で察知はできていたけど、逃げ場が閉ざされて実際に刺されてしまったのは2回、その2回は仕方なく足で腹を防御し、足を刺させ、相手を制しました。これも察知できていたおかげです。)… 続きを読む

今を生きる極意

今日2012年5月21日 午前7時34分。太極拳の套路を終えて、空には薄雲の合間から金環日食が。

デジカメで写真を撮影。まぶしすぎて金環はわかりませんでしたが、肉眼ではしっかりと見えました。

人は一瞬を切り取る写真に心を寄せます。

人生とはこの一瞬に全てがあり、命はここで輝いている。

私は、このように感じて生きています。写真はこの一瞬を切り取る。通じるものです。

インド独立の父。マハトマ・ガンディーの残した言葉がFaceBookで紹介されていました。… 続きを読む

護身の基本の基本

武器を持とうが、拳銃を持とうが、いくら筋肉をつけようが、巧みな術も精神力もつけようが護身なんてものは簡単にできません。

まず護身の基本の基本は心理にあります。

欧米ではそれが当たり前であり、そのためのプログラムが豊富です。

まず、セルフエスティームを高める、すなわち自らを知り尽くしその尊い自分を思い出すことです。
ですから護身術は生まれたときから、始まっているのです。大人になってからもそれを高める方法もあります。まず、これがとても大切です。これを高めるというのは最も大切な護身術の基盤です。… 続きを読む

楽観的に

楽観的と悲観的という言葉があります。相反するものです。

経験に対して、どのように観るかと言うことです。

経験はとてつもない情報を含むものです。

その経験をどう解釈するか。どう認識するかで全てのことは大きく変わってきます。

太極拳であろうが、人生の何事もその認識が何もかも変えていくのです。

例えば、経験したことが失敗であると感じたとします。太極拳なら技が流れるときです。
その原因を自分の内的なことに有ると認識するか、または外的なことであると認識するか?… 続きを読む

楽しけりゃいい

今生さえ楽しければ良い。
死んだ後も、生まれる前も気にしなくても良いと言うことです。

この瞬間を精一杯楽しもうというのが「道」の価値観です。それが滔々と続く。絶対的に。

「道」とは人間にそれを教えるものです。

今生さえ楽しければ良いと、自分(個人)さえ楽しければよいは違うことです。

この瞬間が楽しいと言うことは、実は全てと楽しさを共有していることになります。
「道」にも光り輝いているから楽しいのです。

太極拳の套路はこの瞬間を輝き続けながら、いつまでもいつまでも輝いていきます。これが套路です。… 続きを読む

教えは守らないから教えである。

教えは守らないから教えである。

教えようとしているものは、教えの中にはない。

教えを生み出したところにある。

教えを守るということの観念と概念が、人生において大きな意味を持ちます。

教えとは、読んで字の如く。何かを教えようとしているのであるから、その教えようとしているものを探す入口です。

でないと「答え」と言うでしょう。

禅問答のその「答え」は、例えば人生とはという問いに「指で◯(まる)」。

これが教えでなく答えであり、教えは指で◯という理由の表現された結果である。その教えは「空(くう)」と続くのです。… 続きを読む

石の上にも三年

石の上にも三年。ことわざです。

なんでもそうですが、3年もやれば必ず名人になれます。

これは人間の身体の生理成長(新陳代謝)理論と、脳生理学の運動野や側頭葉の記憶メカニズムでも明かです。

しかし、ここが大事なところです。「石の上にも。」ということです。

冷たい石の上でも3年も座りつづけていれば暖まってくるということです。

同じところに座り続けていないと,絶対に暖まりません。

太極拳経では入り口で間違えると、全く違うところに行ってしまうと説いています。… 続きを読む