楽観的に

楽観的と悲観的という言葉があります。相反するものです。

経験に対して、どのように観るかと言うことです。

経験はとてつもない情報を含むものです。

その経験をどう解釈するか。どう認識するかで全てのことは大きく変わってきます。

太極拳であろうが、人生の何事もその認識が何もかも変えていくのです。

例えば、経験したことが失敗であると感じたとします。太極拳なら技が流れるときです。
その原因を自分の内的なことに有ると認識するか、または外的なことであると認識するか?

内にあると認識すれば、その根本的な問題が自分にあると考えてしまうわけです。
自分は武道に向いていないなどと。運動音痴とか?不器用であるとか?

このように、何事もうまくいかない経験は、内にあるのだからどうしようもないと考えてしまうのです。
自分は、そのような人間だと落ち込んでいき、うまくいくことなどあり得ないと悲観的になっていきます。

太極拳は、ここで内と外の境界を教えるのです。

内は先天的な本質です。外はそれ以外全てであると教えます。
すなわち自我も、個性も、性格も、努力してつけた筋力、運動能力も、器用、癖、コツ、向き不向きなども全て外なのです。

太極拳は套路も技も全て、その先天の理を使って修練する武道ですから、その差が修練の過程ではっきりしてきます。ですから、熟練してくると経験的に内外のしきい値が見えてくるのです。

だから、人生においても、何事もうまくいかない経験は、無為自然の本質で生きていないからだとちゃんと理解できるようになるのです。技がうまくいくのと同じようにです。

変わることのできる後天的な自分も含め、それを外的な要因と受け止め、その後天的な認識における観念を変化させていく。であるから、楽観的なのです。
変えることができるからなのです。ですから、太極拳は誰でも巧くなります。当たり前の理を使うからです。すなわち内という普遍性をです。

太極拳は真の修行を深めていくと、とても楽観的に技を使える自信が身につきます。
また、その理を人生に生かしていくことにより、楽観的な人生を歩むことができます。外は自由に変化させる事ができる易だからです。

太極拳を学ぶものはこのことをよく理解して,極楽観的に練習を楽しむことが大切です。これが神明への道です。

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