金鶏独立の勢

金鶏独立は85式では、独立式、24式では下勢独立として、套路で練習します。

金鶏独立の勢は上下方向に交差する十字勁を中心として、上手には中心勢を維持しながら、挑勢(下からの振り上げ)、裏勢を肩より上で働かせます。

これにより、金鶏独立は長勁として完成します。
下の手は採勢です。腰腿も十字勁によって,上手の方の足は上に、下手の方の足は下に沈みます。
以上は金鶏独立の鑚勁と長勁の用法です。

金鶏独立は、中心線をねじりながら、腰腿によって、上腿を下腿側にねじ上げて、下の腕をその上腿の膝の外側に採勢によってへばりつけます。… 続きを読む

王師語録#6


中国人が日本人に大事なことを授けるのは、その一族に大きな恩義があるときだけだ。
それ以外にはない。それしか許されないはずだ。
それ以外で大事なことを授かったというなら、それは私には信じられない。

(王師と話していた事を回想して語録に記録しています。下記にはその回想のきっかけになった事柄などを記載しています。)

田中真紀子さん(代議士)が父である田中角栄氏の恩義を受けて、中国政府からとても大事にされているという記事をみて。王師が、日本人が中国人から太極拳の印可を受けたというのを聞いて発した言葉を思い出しました。

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王師語録#5


反射神経や体力を鍛えたければ鍛えれば良い。

しかし、それはいずれ衰える。

そんなものを鍛えているよりも、人間が本来持つ衰えないものを大事に磨きなさい。

実はそれが、反射神経や体力を生まれてから死ぬまで支えているものだよ。

太極拳はそれをただ思い出して磨き続ける。そんな拳法だよ。

(王師と話していた事を回想して語録に記録しています。下記にはその回想のきっかけになった事柄などを記載しています。)

30代半ばのプロボクサーがボクシングジムの会長に,「神経自体が鈍重になってもう戦えない」と言って,引退を申し出たという話を聞いて。

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簡化24式

準備 南を向いて立つ /1.起勢チーシ始まりの型/2.右左野馬分 馬のタテガミを分ける/3.白鶴亮翅 白鶴が翅を広げる/4.左右ロウ膝拗歩 膝を払う5.手揮琵琶 琵琶を抱く/6.左右倒巻肱 肱を巻き込む/7.左攬雀尾 鳥の尾をなでる/8.右攬雀尾 鳥の尾をなでる/9.単鞭 鞭の型/10.雲手 雲を押し出す/11.単鞭 鞭の型/12.高探馬 馬の背から探る/13.右トウ脚 踵で蹴り出す/14.双峰貫耳 … 続きを読む

快拳による練功

太極拳は体の中心部の発動、すなわち呼吸筋やバランス筋の発動を発勁点まで伝えていく、勢と勁道で成り立っています。それを発勁と言います。
その発動を発勁点まで伝えていくのは、無為自然な心意すなわち、意で動くエネルギーの働きである気です。
そこで太極拳は、その発動は沾粘勁という膨らんだり縮んだりする、まるで水が盛り上がっては沈むような動きと、纏糸勁というねじれたり弛んだりする動きが、X軸とY軸の関係で四正、四隅、そして方角である五行を生みだし、太極という無限の動きを生み出しているのです。… 続きを読む

王師語録#4


肺の下の内部が筋肉痛のように痛い?それでいい。筋肉痛だ。呼吸筋のね。太極拳をちゃんと練功できている証拠だよ。背骨の内側は痛くないか?そうだろ、痛いだろ?それでいいんだ。

(王師と話していた事を回想して語録に記録しています。下記にはその回想のきっかけになった事柄などを記載しています。)

最近朝から晩まで、ひさびさに快拳で発勁を練っていたところ、2日後に肺の下と背骨の内側の軽い筋肉痛に襲われたとき、王師に教えてもらっている頃は、何かの病気じゃないかと恐くなってこっそり病院に行ったこともあるなと思い出して。

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王師語録#3

あなた方は、今彼から太極拳を教えてもらっているのではない。
あなた方一人一人がここ以外で太極拳を練習できるように教えているだけだ。
週に一度程度ここに来て、ここで練習するだけで、太極拳など身につくはずがない。
歩いている時、食事をしている時、寝ている時も、仕事をしている時も、じっとしている時でさえ、日常生活のすべてで、生きることのすべてで太極拳を修練できるように教えているということを、必ず理解して欲しい。… 続きを読む

王師語録#2

人という字は,お互いに支え合っているって字?
それじゃ二人の人と言うことになるね。人という字一文字で。

そうじゃないよ。

人は一人でしっかりと歩いている人の姿を字にしたものだよ。

(王師と話していた事を回想して語録に記録しています。下記にはその回想のきっかけになった事柄などを記載しています。)

テレビのコマーシャルの、人という字はお互いに支え合っているんだよ。というフレーズを聞いて。 

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王師語録#1

伝統を守ることはよいことだと思う。しかし、その伝統が間違っていないとは言えない。

歴史を振り返ってみればよくわかることだ。

古き伝人のやり方にこだわっていると、真実の道を見つけることはできない。

しかし、伝統の中にも真実がある。この矛盾を受け入れることが太極の道である。

(王師と話していた事を回想して語録に記録しています。下記にはその回想のきっかけになった事柄などを記載しています。)

映画英国王のスピーチの一場面「ガラス玉を口いっぱいにほおばり話す練習をするという、ギリシャ時代の練習法をする場面」を見ての回想

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瞑想太極拳(存思套路)

套路は、最終的に神=しんという人間の根本的な生命力で動くことを目指します。
武当派ではそのことを、存思(そんし)といいます。
存思(そんし)とはいわゆる瞑想のことですが、仏教などで言われる瞑想とは又違います。
太極拳の源流には坐道といわれるものがありますが、そこでも行われていた瞑想法です。
存思(そんし)は人間の生命の根源、すなわち純粋無邪気な無為なエネルギーに自らを置いている状態のことです。
仏教の禅のように悟りを得るためとか、無念無想とかと又感覚が違い、もっと躍動的でかつ、無為で純粋なものです。生命の根源にあるような根本的な存在で動くのが瞑想太極拳です。… 続きを読む