空気との圧力

楊式太極拳は武道である。従って、誰かと相対している。套路とは、その相対する相手が空気であるに過ぎない。招式などの武道の対錬も、散手も、相手との融合をもって相手を制していくのが楊式の太極拳である。そうであれば、その高度な練習方法である套路に於いても、空気と融合しその空気との圧力を神気精で感じながら行えないといけない。そうすると、空気との融合は、まるで粘りけのある油の中を漂っているような感覚になる。意識でそのように思うのでは無く、実際にそのような感覚が生まれる。そうすれば、実際に、快拳で散手を行っていても同じ感覚であるはずである。人間相手に相手との融合を圧力を感じながら自覚するのは簡単だが、空気が相手となると高度な感受性が必要である。その感受性を現実に活かすことができるのが聴勁であり、その圧力を操作するのが粘勁、走勁、化勁などの蓄勁と発勁である。… 続きを読む

胸三寸

としごとに さくや吉野の さくら花 樹をわりてみよ 花のありかを

有名な一休和尚が、仏法のありかを問われ、「胸三寸」と答え、それなら胸を開けてやると迫られたときの短歌である。胸を開けてやると迫った、者はその後弟子になったという逸話。

太極拳に置き換えてみると

ゆらぐごと 煌めく型の 神(しん)の髄 身を割りてみよ 髄のありかを 

太極剣の神髄も「胸三寸」である。

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太極拳を論じることなかれ

太極拳の思想を論じることはある。しかし、太極拳は論じることができない。哲学として捉えた場合は、太極拳は無元論である。陰陽思想は二元論であり、太極思想は一元論である。論じた時点で元が生じることを気付かないことを、老子は戒めている。これが解ると、真の太極拳を知るきっかけになる。人生も同じである。

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