あるがままに

本当は最も簡単なはずなのに、難しいものです。

本当は最も楽しいことなのに、不安で苦しい。

しかし、本当は最も簡単で、楽しいことであることを。見つけ出すことが出来ればこの世を「あるがままに」生きることが出来る。

人間があるがままに生きることが出来れば、ほとんどの他のものはあるがまま生きているので、とても素晴らしいあるがままの世界が必ず戻ってくる。

太極拳を真に修練するものは、そのようなビジョンを心の中に描いている人が多い。… 続きを読む

武術と套路

套路の武術性。

套路においての真の武術性は、武術の根本にある 人間本来の融和という能力にあります。であるから、套路は美しくて荘厳で力強いのです。

人間に潜在する能力は、枠や条件にはめず、おおらかに開放してこそ、発揮されます。それが太極拳の神髄でもあるのです。そこには、人間本来の素晴らしい活力と、全てのものと仲良く調和できる陰陽合一性がある から、人はこの武術を太極拳と名付けたのです。

楊式の古式は武術の動きをそのまま残そうとしている。

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瞑想太極拳の神髄

85式は楊式の宗家 楊露禅が大成したもので、錬丹法の一つとして黄帝内径とか気功と併せて行われ、仙人を目指す道教の太極陰陽思想の意識を内に秘めています。

中国の華僑賢人達の錬金術として伝統的に伝承され、そこから国民体育法として24式や、その他の流派の集大成として48式が生まれ、88式は85式の体育法として現在に至っています。私たちの太極拳の目的は錬丹法としての太極拳であり、太極拳を深く練っていきます。… 続きを読む

用意不用力と筋肉

まず、用意不用力の意は「意識」ではなく「意」です。

意は心の働きそのものであり、意識はそれを認識する、すなわち意識するという字そのものです。

意の後に意識があり、そこには人間の色々な制約条件が作用する意識的という現象世界があります。武当派の太極拳ではそんなものを使うなど一切教えていません。

しかしながら、日本での最大の武術太極拳の団体では「勁力について、勁力は武術の動作の目的に沿って意識的に体の中から導き出される力の総称である」と実技テキストの冒頭で間違ったことを述べているのです。… 続きを読む

歴史4:王師が楊式太極拳を武当山で修行

楊家太極拳の楊露禅は1840年ごろ、40才を過ぎて北京で王朝の武術指南役となりますが、優雅な生活の長い王朝の中では、武術のような鍛錬を好むものは少なく、彼自身も思う存分練習もできないため、絶えず武当山へ修行のためと称して入山していました。

武当山の太極拳法(武当派太極拳)の套路は多種多様有り複雑ですが、楊露禅は貴族達に教えるために108式を採用または整理し、(同時期に武当山でも武当太極拳として108式を套路としてよく行っており、現在も武当山で伝承されています。武当山と楊露禅は同じ套路をこの時点では行っていたことは事実です。)そしてその套路は子らに受け継がれ楊澄甫が85式の大架式を整理して、貴族達でも練習を楽しめる套路として王朝や貴族に教えていました。… 続きを読む

太極拳から見た肉体の動き

人間の社会生活において、肉体のうちあまり使われていない部分は、スポーツなどの素晴らしい技の中で脚光を浴びています。
スケートのキム・ヨナさんの美しいジャンプなどに使用されるインナーマッスルもそうです。
このように、太極拳は普段使用されていない肉体の動きを、本来持っている能力として思い出して緩やかに育てていこうとする武道なのです。
インナーマッスルなども、リラックスして見つめていくと、しっかりと動き、高度な運動そしてバランスを司る機能として素晴らしいものであることが身をもって経験できます。… 続きを読む