太極剣《専門教学》
30年ほど前、兵庫県の六甲山の山奥で、武道としての太極拳を練り上げるために、さんざん太極剣と太極刀を教わりました。
30年ほど前、兵庫県の六甲山の山奥で、武道としての太極拳を練り上げるために、さんざん太極剣と太極刀を教わりました。
今日の朝。いつもの公園の地面に、桜の花びらの絨毯が敷き詰められている。足下には、花びらと、地面がまだらを描いている。
この美しさは、無用の用である。
花びらが実なのか?
地面が実なのか?
虚実が織りなって、いい知れない美しさを醸し出している。
違和感。
清々しい命(生命ではなく、刹那の命)、爽やかな性(先天的な人間としての性)、絶対的な理(何の相対的な条件も影響しない理)が丹、それ以外のものを違うと感じる、その違和感です。
美しい真珠を選定するときに、ひたすら美しい真珠を愛でてその命と性、その理を感じ尽くしてから、多くの真珠の中から違和感のあるものを感性で取り除いていく、そして残ったものが高潔な真珠として世に出て行く。
太極拳では、坐道(静坐)や存思(瞑想)でひたすらこの感受性を高めていきます。… 続きを読む
ポピュラーなものは、太極剣、太極刀ですが、これは斬ることが目的の動きになっているので、武器があると素晴らしい武器術になります。しかし、徒手においても掌法を使用して十分使えるのです。この流れは、古式の武当太極拳では、しっかりと八卦掌という型を套路に盛り込み修練していました。今も伝承されています。もちろん王の楊式太極拳の套路でもこの流れを失わず、掌法はしっかりと練習します。… 続きを読む
仏陀の言葉に「天上天下 唯我独尊」という言葉があります。
うちにいる文鳥たちは、空を飛びます。
私はいくら手を広げても空を飛ぶことはできません。
しかし、私は、大きなものを持ち上げることができます。
ギターの弦は震えて音を出します。
とても美しい音です。
しかし、私はたくさんの歌を歌えます。
そうなんです。全てのものは全て違って全て素晴らしいのです。
これが唯我独尊です。
そして天上天下。全ての中にいると言うことです。… 続きを読む
胡蝶の夢は、道教の始祖の1人とされる荘子による有名な説話です。
巨匠フランシスコッポラがこの説話をモチーフにした文学作品から映画を造り上げました。
私も見ましたが、その思想がよく表されています。
胡蝶の夢は、荘子が夢の中で蝶として、楽しくおおらかに飛んでいたところ、目が覚めたら人間に戻っていた。人間としての私が、蝶になった夢をみていたのか、それとも今の私が蝶が見ている夢なのかという説話でです。
太極拳では無為自然を教えます。… 続きを読む
本当は最も簡単なはずなのに、難しいものです。
本当は最も楽しいことなのに、不安で苦しい。
しかし、本当は最も簡単で、楽しいことであることを。見つけ出すことが出来ればこの世を「あるがままに」生きることが出来る。
人間があるがままに生きることが出来れば、ほとんどの他のものはあるがまま生きているので、とても素晴らしいあるがままの世界が必ず戻ってくる。
太極拳を真に修練するものは、そのようなビジョンを心の中に描いている人が多い。… 続きを読む
套路においての真の武術性は、武術の根本にある 人間本来の融和という能力にあります。であるから、套路は美しくて荘厳で力強いのです。
人間に潜在する能力は、枠や条件にはめず、おおらかに開放してこそ、発揮されます。それが太極拳の神髄でもあるのです。そこには、人間本来の素晴らしい活力と、全てのものと仲良く調和できる陰陽合一性がある から、人はこの武術を太極拳と名付けたのです。
85式は楊式の宗家 楊露禅が大成したもので、錬丹法の一つとして黄帝内径とか気功と併せて行われ、仙人を目指す道教の太極陰陽思想の意識を内に秘めています。
中国の華僑賢人達の錬金術として伝統的に伝承され、そこから国民体育法として24式や、その他の流派の集大成として48式が生まれ、88式は85式の体育法として現在に至っています。私たちの太極拳の目的は錬丹法としての太極拳であり、太極拳を深く練っていきます。… 続きを読む